【6】本は大事に
「この人、調理場に押しかけてきて、ブラウン・テールは何かとか、どうやって作るのかとか訊いてきたんです」
「……それで、お前手伝ったの?」
正直、ヒューゴはノアの対応が意外だった。
ノア少年は見ての通り大人びた少年で、年上相手でも素っ気ないし、迷惑な時はハッキリとそう言う。そんなノアを、どうやって手伝わせたのか?
ヒューゴの疑問に、ノアはしかめっ面で答えた。
「『先輩がとてもお腹を減らしているみたいなんです。自分で取りに行けない程に逼迫しているんです。どうかお願いします』って頭下げてきたんですけど」
「…………」
「今にも死にそうなほど飢えてたらしいですね、可哀想なヒューゴさん」
ヒューゴを見るノア少年の目は、哀れな大人を見下す目だった。死ぬほど可愛げがない。
一方テオはと言うと、ニコニコしながらヒューゴが皿を受け取るのを待っている。
「どうぞ、ヒューゴさん! 揚げたてが美味しいそうですよ!」
「お、おう……」
想像していた結果と違ったが、テオは舎弟に相応しい行動をしているのだ。これはこれで、悪くない。
ヒューゴは胡座をかいた足の上に本を広げたまま置き、皿を受け取ろうとした。
すると、テオはサッと皿を引っ込める。その顔から笑顔が消えた。
「ちょっと待ってください。それだと、本が汚れます」
「あぁ? 別にいいだろ。それ食いながら、本読むんだし」
「ブラウン・テールは油脂が多いですし、まぶしたシナモンシュガーがこぼれます。本が汚れたらどうするんですか」
テオから妙な圧を感じ、ヒューゴは閉口した。
舎弟相手に強気に出ようとしても、根が小心者なのだ。相手に強く出られると、反射的に腰が引けてしまう。
「あー、うっせー」
ヒューゴは逃げるように目を逸らし、読みかけの本を開いたまま伏せてベッドの端に置く。
途端にテオが大声をあげた。
「その置き方は、本が傷みます!」
「俺はいつもこうするんだよ」
その時、ヒューゴは寒気を覚えた。
テオの吊り気味の目がギョロリと動いて、ヒューゴを見据える。まるで獲物に狙いを定めるみたいに。
テオは皿をテーブルに置き、ジリジリとヒューゴのベッドに近づく。
「ヒューゴさん、本の扱いを改める気はありますか?」
「は、はぁぁぁ? なに言ってんのお前? あぁ? おぉん?」
新入り相手に下手に出てたまるか、舐められたら負けだ、とヒューゴは精一杯の虚勢を張った。
それがトドメだった。テオが目を細めて、ベッドに乗り上げる。
「改める気はないんですね。分かりました」
* * *
灰色騎士団司令室に、三人の大人の姿があった。
紙袋を被った中年、団長のJJ。
サーベルを帯剣している眼鏡の男、管理官のアーチボルド。
そして、砂色の髪に褐色の肌の、巻きスカートの女、団員のベリルである。
JJは執務机の前に座り、その横に控えるようにアーチボルドが立つ。
アーチボルドがいると、それだけで威圧感があるのだが、ベリルは執務机の前で、特に姿勢を正すでもなく、自然体で佇んでいた。
ベリルはアーチボルドみたいな堅物男が嫌いじゃない。寧ろ口説きたいぐらい好きだ。多分、口説かれてはくれないだろうけれど。
アーチボルドはベリルをジロリと睨み、詰問した。
「何故、あの生き物の報告をしなかった」
あの生き物──テオが連れている白い毛玉、レニーのことだ。
ベリルは事前報告で、テオの能力について言及しているが、その際、レニーについては触れなかった。それを、アーチボルドは責めているのだ。
「いやー、正直、報告しようかどうか迷ったんだけどさ、あれがテオの使役体かどうか半信半疑だったんだって。今まであんな生き物っぽい使役体見たことなかったし。しかも白いし」
ベリルの言葉に、アーチボルドも思うところはあるらしい。彼は普段から気難しそうな顔を更に険しくしかめた。
「確かに、顕現が得意な者でも、あれだけ生き物らしい生き物を出したことはないが……」
「私も最初は、テオのペットが服の中からポロッと出てきたのかな〜って思ったもん」
ベリルの知る使役体とは、赤黒い呪いの塊を粘土代わりにして、鳥や魚、動物や妖精などを形作った物だ。フワフワの白い毛玉なんて前代未聞である。
JJが書類に目を通しながら、のんびり呟いた。
「あの魅惑のフワフワ毛玉が、呪いの力の一部であることは間違いないんだけどなー。俺の目で見たから、間違いない」
白目も虹彩も何もかも黒く染まってしまったJJの目には、呪いが見えるのだという。
例えば歩く呪いが、服を着込んで呪印を隠していても、なんとなく呪印の位置が分かるらしい。
ただ、決して高精度ではなく、ふんわりぼんやり分かるだけ、というのが本人の言である。
JJは腕組みをし、椅子の背にもたれた。
「俺はフワフワちゃんも気になるけど、テオの呪印の位置も気になるね。元々は心臓にあったのが胸の上になったって、相当レアケースよ、これ」
JJは世間話のような口調で、ベリルに話を振った。
「でさぁ、ベリルの目から見た新人のテオ君って、どんなん? なんかすげー良い子で、俺ビビったんだけど」
「うん、大体そんな感じで合ってるよ。真面目で一生懸命な良い子」
忘却の呪い持ちで、人から忘れられやすい体質だからなおのこと、テオは人に覚えてもらおうと必死なのだろう。
テオ、と名前を呼ぶだけで、緑の目がキラキラと輝き、ほんの少し口角が上がることに、ベリルは気づいていた。名前を呼ばれることすら、テオには特別に嬉しいことなのだ。なんとも健気でいじらしい少年ではないか。
「寧ろ、私が気になるのはカルラの方かなー」
カルラ──常に仮面で顔を隠している、白髪の寡黙な少女。
彼女は呪魔との戦闘時以外は、いつもボンヤリしていて、他者と交流しようとしない。構いたがりのベリルがあれこれ話しかけても、反応が薄いのが常だった。
それなのに、テオと会ってから、どうにも様子がおかしいのだ。
「アーチボルド管理官も見てたろ? 馬車の中でさ、カルラが珍しく会話にまざってたじゃん? 汽車の中でも、そんな感じだったよ」
実際にカルラが喋った回数自体は、さほど多くない。ただ、会話の最中、カルラが口を挟むタイミングを探っていたことに、ベリルは気づいていた。
まして、カルラが誰かの服の裾を引くところなんてベリルは初めて見た。
アーチボルドは眉間に皺を寄せ、ボソリと言う。
「……歳の近い人間がいたから、はしゃいでいたのではないか?」
「おやぁ? 管理官ってば、カルラの呪いのこと忘れちゃった?」
「そうだったな。彼女は……」
その時、「ギャアアアアア!!」という断末魔に似た叫びが響いた。ヒューゴの声だ。
三人は顔を見合わせ、部屋を出た。ヒューゴの叫びはいまだ断続的に続いている。
二階に下りた三人は、男性騎士が寝室に使っている大部屋の前に、準職員のノアがいることに気がついた。
無愛想なノア少年は大人達が駆けつけたことに気づくと、自分はこの騒動に一切関係ありません、という顔でボソリと言う。
「ヒューゴさんが本を粗末にして、新人の人がキレました」
ベリルは、どれどれと部屋を覗き込む。
奥の方のベッドでは、ヒューゴが折り曲がっていた。
うつ伏せになり、背中を反らす──いわゆる海老反りの体勢なのだが、その角度がエグい。
そしてヒューゴにまたがり腕を拘束し、過酷な体勢を強要しているのは、他でもないテオだった。
テオは緑色の目を剣呑にギラつかせて、ヒューゴを見下ろしている。
「人間の体って、これ以上曲がらないですよね? 貴方が本にしたことも、これと同じです」
「ぎゃああああ。やめ、やめ、馬鹿っ! それ以上は曲がらな……っ」
「もう二度としないと、本を大切にすると誓ってください」
「するっ! するから離せ馬鹿ぁっ、あっ、あぎゃっ……」
ヒューゴが白目を剥いて泡をふく。
JJが「おぉう」と呟き、アーチボルドがため息をつき、そしてベリルはしみじみと呟いた。
「真面目一辺倒の良い子ちゃんかと思ったら、意外と怒れるんだなー。うんうん。おねーさん、わんぱくな子は好きだぞー」




