【1】旅立ちは汽車に乗って
窓の外の景色が、勢いよく流れていく──そう錯覚するほどの速さで走っているのだ。今、テオが乗っている蒸気機関車という乗り物は。
「すっっっ……ごいですね!」
感動を隠せないテオの隣の席に座るのは、英雄エルバート。向かいの席に座るのは、灰色騎士のベリルとカルラである。
この車両は聖騎士団の貸切らしく、離れた席にはエルバートの部下である聖騎士達が着席していた。彼らは灰色騎士の見張りなのだ。
聖騎士団の人間は、皆揃いの外套を着ている。ベリルは昨日見たのと同じ巻きスカートの制服。カルラは灰色騎士の制服で、目元を隠す仮面をつけていた。どうやら新しく買ったらしい。
テオがはしゃいでいてもカルラは無反応だったが、エルバートとベリルはどこか楽しげだった。
「そうか、テオは汽車は初めてか」
そう呟くエルバートの向かいの席で、ベリルがうんうん頷く。
「若者の新鮮な反応は良いものだなー。汽車でこれなら、飛行船に乗ったらもっと驚くんじゃないか?」
蒸気機関車は一般人にもだいぶ普及してきたが、飛行船はまだまだ数が少なく、使える人間はごく一部。
聖騎士団では一艦所有しており、聖騎士団本部のあるレイエル聖区と、呪魔が侵略してくる西の最果てを往復しているという。
(まぁ、僕達灰色騎士が乗せてもらえるとは思えないけど……)
だけど、自分はいつか呪いを解いて、聖騎士になるのだ。そうしたら、乗る機会だってあるかもしれない。そう考えると、なんだかワクワクしてきた。
「めうっ」
その時、テオの鞄から白い毛玉の相棒レニーが顔(毛玉の一部にしか見えないが、多分顔だ)を覗かせた。
ベリルが身を屈めて、鞄の毛玉を覗き込む。
「それって、呪装顕現の時にポロッと出てきた……」
「僕の相棒のレニーです」
きっとレニーも景色が見たいのだ。テオは鞄を膝に乗せ、窓側に向けてやる。
この鞄も、中身の荷物も、全てアレンが用意してくれた物だ。
養母であるオリビアに忘れられてしまったテオは、まだローレンス家には戻れない。だからテオの着替え等を、アレンがこっそり家に戻って回収してくれたのだ。
ただ、アレンも全てを持ってきたわけではない。斜めがけの鞄一つに入る分だけだ。
『テオは、いつかこの家に帰ってくるんだから、全部を持ち出す必要はないだろ』
鞄を渡す時、アレンはテオにそう言った。その言葉が嬉しかった。
(そうだ、絶対に帰ってくるんだ)
灰色騎士団として実質、首都に連行されるテオと違い、アレンは正式にエルバートの従騎士になる身。即ウォルグを旅立つわけではない。今は諸手続きをして、ウォルグの知人に別れを告げている頃だろうか。
その時、「めふぅ」と鳴き声がした。ベリルが指先で、毛玉をツンツン突ついているのだ。
「呪装顕現で、使役体を出す奴は見たことあるけど……こういうのは初めて見るなぁ」
「使役体……? そんなことも、できるんですか?」
自分でレニーを出しておいてなんだが、呪装顕現でそんなことができるなんて、テオは想像もしていなかったのだ。
驚きの声をあげるテオに、ベリルが少し遠い目をして言った。
「呪装顕現ってさ、自分の中にある呪いを粘土みたいにこねて、任意の形にするようなものなんだ。だから、武器や重火器を作る奴もいれば、鳥や小動物なんかの形をした、使役体を作る奴もいる」
ベリルは例を挙げながら、毛玉の首らしき箇所をクシクシと撫でる。
毛玉からは「めふぁ〜」とご満悦そうな鳴き声がした。どうやらテクニシャンらしい。
「ただ、顕現したものって大抵は黒っぽいんだよ。私の獣の手足も、テオの剣もそうだったろ?」
「はい……」
「白い生き物を顕現ってのは、初めて見た。カルラは見たことあるか?」
カルラは無言で首を横に振る。
呪魔が注入する呪いは、赤黒いドロドロだ。呪い憑きの呪斑や、歩く呪いの呪印、呪装顕現で作り出すものも、大抵同じ色味をしている。
とは言え、テオはまだ呪装顕現のことをよく知らないのだ。
「呪装顕現って、他にどんなことができるんですか。あと、僕の忘却の呪いのこととか……」
「うーん、首都に着いたらバタバタするだろうし、今のうちに軽ーく説明しておくか」
この車両は聖騎士団の貸切で、外部の人間に話を聞かれる心配もない。
ベリルは「ベリルおねーさんの、呪い講座開講〜」と前置きをし、説明を始めた。
「呪いは不可思議な力だけど、ある程度、法則性があるんだ。例えばだけど、呪いは加護持ちや歩く呪いには効きづらい。現に、私もエルもカルラも、テオのことを忘れてないだろ?」
「確かに……」
故郷のウォルグで、普段テオのことを忘れなかったのは、ダンカン、オリビア、アレンの三人──ローレンス家の人々のみだ。そして、この三人は加護持ちでもある。
五年前、捨て子だったテオに街の人間は誰も見向きもしなかった。それもおそらくは、「捨てられている子どもがいる」と認識した数秒後に、その事実を忘れてしまったからだ。
加護持ちのアレンが気づいてくれなかったら、テオはあの場でのたれ死んでいただろう。
「でも、オリビア母さんは……僕を育ててくれた人は、加護持ちだけど、僕のことを忘れてしまいました……」
育ての親に忘れられた、の一言にベリルとエルバートが少しだけ痛ましげな顔をする。カルラは仮面をしているから分からない。
ベリルは下手な慰めは言わず、テオの疑問に答えた。
「オリビア・ローレンス夫人は呪魔に呪いを植えつけられて、呪い憑きになってたんだよな? その後、テオが呪魔を倒し、ローレンス夫人は呪いから解放された」
「……はい」
「ローレンス夫人がテオのことを忘れたのは、その後だ」
「その通り、です」
ベリルは細い指を顎に添え、少し思案して口を開く。
「考えられるのは、三パターンかな。
一、ローレンス夫人が呪い憑き化したことで、天使の加護が弱っていた。
二、一時的にテオの忘却の力が、加護持ちにも影響を与えるほど強くなった。
三、ローレンス夫人を呪った呪魔が、テオの忘却の力を強く浴びたことで、呪いで繋がっているローレンス夫人にも影響が及んだ」
テオは静かに驚いた。実のところ、テオは一と二は想定していたのだ。
ただ、三は想定外だ。呪魔と、それに呪われた呪い憑きが、そういう形で繋がっているなんて、考えたこともなかった。
「特にテオの忘却は、呪魔にも作用するんだろ? だったら、条件次第じゃ加護持ちや歩く呪いにも効くと考えた方が良い」
「……はい」
加護持ちにも忘却の呪いが作用する──例えば、アレンがテオを忘れたら。恐ろしい想像に、テオは無意識に鞄を抱き寄せる。
そんなテオの不安に気づいたのか、ベリルは殊更明るい声で言った。
「最悪の事態を避けるためにも、自分の呪いを検証してみるのは大事だぞー。じゃあここで、呪いのタイプについて解説しておこうか」
ベリルは鞄から紙とペンを取り出すと、「強化」「顕現」「特殊」と紙に書き込んだ。
「歩く呪いは呪いを自分の力として扱えるわけだけど、タイプは色々でさ。ざっくり、この三つに分けて考えるんだ」
「強化、顕現、特殊……ですか?」
「そう、強化は自身の肉体や武器を強化するタイプで、近接戦闘に強い。顕現は呪装顕現がそれな。呪いの力を任意の形にするわけだ。剣とか盾とか毛玉とか」
「めうー」
鞄の中でレニーが不服そうに鳴いたので、ベリルは「ごめんごめん、レニーだったな」と訂正した。
騎士剣、盾、ブーツ、マント、あと毛玉──それは、先日のテオが呪装顕現で作り出した力だ。
自分の中の呪いが呪印から溢れ出し、意味ある形を取ったもの。聖騎士が〈創造〉の加護で生み出す武器とは違う、禍々しい武器。
あの時は無我夢中だったけれど、あれは相当に気力と体力を使う。そう何度も使えるものではないだろう。
「……特殊というのは?」
「『肉体及び武器の強化』『武器等の顕現』この二つに当てはまらない特殊能力かなー。テオの忘却の力がそうだよ。それも踏まえて、テオの評価は五段階評価でこんな感じだ」
【テオ】
強化:三 顕現:三 特殊:?
特殊の部分は未知数、ということらしい。
比較対象が分からないので、なんとも反応しづらいテオのために、ベリルが「私はこんな感じな」と自分の能力を書き足してくれた。
【ベリル】
強化:四 顕現:二 特殊:〇
「私は肉体強化して、近接戦闘をバリバリするタイプ。獣の手足を顕現したけど、テオの剣とか盾ほど凝ってはないだろ? だから、顕現はちょい低評価」
「なるほど……」
言われてみれば、ベリルが顕現した獣の手足は、そこまで細部が凝っているわけではなかった。
ベリルの場合、細かい造形を再現するより、手足をひたすら強化して爪で切り裂く戦い方が合っているのだろう。
その時、今まで無言だったカルラがテオの服の袖を引いた。
「どうしたんだい?」
テオが訊ねると、カルラは汽車のガタンゴトンという音に紛れてしまいそうなほど、か細い声で言う。
「テオの忘却は……あまり使わない方が良いと思う」
カルラの忠告は淡々としていて、それなのにどこか切実に聞こえた。
その進言に、ベリルが「そうだなー」と相槌を打つ。
「強化だけなら、そんなに負担にならないんだけどさ、顕現と特殊は、体や精神に負担がかかるんだ。テオも気絶しちゃったろ?」
確かに、騎士剣や盾を顕現した後、テオの全身は酷い倦怠感に包まれた。
テオの心臓の呪印から溢れ出した、あの黒いドロドロした呪いは、もう既にテオの一部でもあるのだ。損なえば、テオ自身に負担がかかるだろう。
あの時の感覚を思い出し、険しい顔をするテオに、エルバートが少し低い声で告げた。
「歩く呪いの力は強力だが、無理をしすぎると、呪いの進行が進むことがある」
背筋がゾクリと震えた。
そうだ、歩く呪いは、呪いの進行が奇跡的に止まった存在。だが、いつその呪いが再び進行するかは分からないのだ。
呪いの進行が進み、全身が黒く染まったその時、テオは呪魔に──人を襲う化け物になる。
(力の使い方には、気をつけよう)
そう肝に命じ、テオは三人に深々と頭を下げた。
「力の扱いには充分気をつけます。皆さん、ご指導ありがとうございます」
「真面目だなぁ。そんな良い子のテオに、ベリルおねーさんがお菓子をあげよう」
ベリルは鞄からキャンディの包みを取り出し、テオの手のひらに一つ載せた。
「ほい、エルとカルラもお一つどうぞ」
ベリルがエルバートとカルラにもキャンディを配ると、「待て!」と声がした。
声を荒らげたのは、エルバートの部下である若い聖騎士の一人だ。濃い金髪で、顔の中心に斜めの傷痕がある。男はギラリと敵意に満ちた目でベリルを睨んだ。
「ランドルフ団長、歩く呪いが触れた物など、食すのはおやめください。万が一のことがあっては大変です」
その言葉に、テオはガンと頭を殴られたような心地だった。
そうだ、エルバートがあまりに自然に、テオ達に接してくれるものだから、忘れていた。
いつ呪魔化するか分からない歩く呪いは、人々から忌避される存在なのだ。
ここにいる聖騎士達は、テオを歓迎しているわけではない。彼らは、テオ達が呪魔化したら即討伐するための見張りだ。
エルバートは部下には目を向けず、ベリルから貰ったキャンディの包みを広げる。
「グレゴリー。私は、友人に貰った菓子を食べる自由もないのだろうか?」
エルバートの声に、相手を責めるような響きはない。ただ、少し眉尻を下げた表情は寂しげで、グレゴリーと呼ばれた若い聖騎士は途端に態度を改めた。
「……出過ぎたことを申しました」
エルバートは気にしていない、という態度で穏やかに微笑み、キャンディを口に放り込む。
そこにベリルが座席から身を乗り出し、若い聖騎士に蠱惑的な上目遣いをした。
「坊やもキャンディが欲しかった? おねーさんが食べさせてやろうか?」
そう言って、ベリルは見せつけるように舌を出し、キャンディを己の口に運ぶ。挑発的な仕草に、若い聖騎士がムッとした顔をした。
だが聖騎士が声を荒らげる前に、エルバートがやんわりとベリルを窘める。
「ベリル、あまり若者を揶揄わないでくれ」
「ごめんごめん」
なんだか大人のやり取りだ。テオは少しドキドキした。
(ベリルさんとエルバート様は、どういう関係なのだろう? やけに親しい気がするけど……友達?)
テオは手のひらにのせたキャンディを食べるか迷う。折角だから取っておいて、後で大事に食べようか。
(この人達は、僕のことを忘れないんだな)
会話の中でいつの間にか忘れられて、「あ、そこにいたのか」という顔をされない。名前を忘れられて「金髪の子」と曖昧な呼び方をされたりしない。
みんな、「テオ」と向き合ってくれる。
(……嬉しいな)
喜びを噛み締めていたら、やはりキャンディをすぐに食べてしまうのが惜しくなってきた。
テオはキャンディをポケットにしまい、ベリルに礼を言う。
「ベリルさん、キャンディありがとうございます。後で大事にいただきます」
「だーめ、今の内に食べちゃうこと」
ベリルはポケットからキャンディを摘まみ上げ、包みを開けると、テオの口にそっと押し込む。
そうして彼女は、イタズラな猫のように笑った。
「こわーい大人に見つかる前に……な?」




