【2】ベーコン一枚分の幸せ
ウォルグの炭鉱では、しばしば呪魔が出没するため、討伐者には臨時報酬が出る。
特に今日、テオとアレンが二人がかりで倒した呪魔は、そこそこ体の大きい二等級だったため、報酬には色がついた。
炭鉱からの帰り道を、テオとアレンは並んで歩く。時刻は既に夕方で、日は沈みかけているが、街の賑わいは昼と変わらない。
鉱夫は基本的に二四時間の三交代制なので、炭鉱街は深夜でも早朝でも店を開けていることが多いからだ。
アレンが屋台を見て、嬉しげに呟いた。
「これだけあれば、潰し焼きのパンが腹一杯食べられるね」
どうやら、臨時報酬の使い道を思いついたらしい。
テオは紙幣と硬貨で膨らんだポケットを押さえ、アレンを見上げる。
「お小遣いはよく考えて使わないと駄目だぞ、アレン」
「よく考えた上で、俺の血肉にしてるんだよ」
アレンはおっとりしているけれど、食いしんぼうだ。食べ物が絡んでいる時が一番真剣な顔をしている。
そんな彼はいつも、朝食のパンだけでは足りず、追加で麦粥を啜っていた。それでも昼前には「お腹が減った……」とぼやいているのだ。背の高さの秘訣は食事量かもしれない。
テオは臨時報酬の内訳を頭の中で計算した。
「報酬は五ルオ──生活費の足しに一ルオ、貯蓄に三ルオ五〇メルグ。残りを二人で分けて、臨時の小遣いは一人二五メルグ。潰し焼きのパンはカグーおじさんの店の最安値でも、一三個が限界だ」
「テオは計算が早いね」
テオはフフンと鼻を鳴らし、大人ぶった態度でアレンを見上げる。
「いつも頭を使って生きてるからな」
「咄嗟の判断は苦手だけど」
「自分は咄嗟の判断だけで生きてる癖にぃ……!」
アレンは落ち着いているからしっかり者に見えるが、万事において大雑把だ。咄嗟の判断でどうにかできてしまうから、あまり物事を深く考えない。
アレンはすごい奴だけど、自分の将来と真剣に向き合っていない、とテオは常々感じている。
「テオもたまには何か買えばいいのに。本以外でさ」
「騎士たる者、常に知見を広げなくてはいけないんだ。勿論、大事なのは知識を溜め込むことではなく、いかにそれを活かすかで……」
それっぽいことを言っているが、テオの読書は半分ぐらいは趣味だ。
テオは本を読むことが……というより、文字列を追うのが好きなのである。張り紙や書類があると、ついつい端から端まで読みたくなる性分なのだ。
騎士たる者云々と熱く語るテオを、アレンがチラリと見下ろす。
「母さんはきっと、『家計の貯金ではなく自分の貯金にしなさい』って言うよ」
「いいんだ」
テオは迷いのない口調でキッパリと言う。
「これは騎士らしくあるためじゃない。僕がそうしたいから、そうしてるんだ」
テオは、アレン・ローレンスに拾われた子どもだ。
今から五年前、テオはウォルグの街外れで行き倒れていた。それを見つけたアレンが家に連れて帰ったのである。
当時アレンは一二歳。怪我をして引退した元聖騎士の父と、還俗した元修道女の母との三人暮らしだった。
アレンの両親は、息子が痩せた子どもを連れ帰ったことに大層驚いたが、痩せ細ったテオを看病し、元気になった後も家に置いてくれた。
テオには自分が拾われる前の記憶がない。自分の名前も、親の顔も、何故自分がここにいるのかも、何も覚えていない。テオという名前は、アレンの母オリビアがつけてくれたものだ。
当然に年齢も不明なので、便宜上、当時一二歳だったアレンより三つ下ということにしている。
「……あ」
その時、アレンが足を止めた。彼は人混みの中で、誰かを見つけたらしい。長身のアレンは、そういうのに気づくのがテオよりずっと速いのだ。
「テオ、ちょっと待ってて」
そう言い残して、アレンは人混みをスイスイと縫って進む。慌ててテオはそれを追いかけた。
アレンを見つけるのは苦ではないが、小柄なテオは人混みにのまれやすいのだ。影が薄いせいで、悪気なく人にぶつかられることもしょっちゅうである。
苦労して人混みを抜けた先では、アレンが黒髪の姉弟に話しかけていた。
呪魔が出たことを教えてくれた、マリーナとピーノの姉弟だ。
アレンはポケットから紙幣を取り出し、自分の小遣い分をマリーナに握らせる。
マリーナは申し訳なさそうな顔をしていた。きっと、受け取れない、と彼女は言ったのだろう。そんな彼女にアレンが言う。
「マリーナのお父さん、さっきの呪魔の襲撃で怪我をしたでしょ」
アレンは家族以外の相手にも丁寧な物腰だ。そういうところは母のオリビアに似ている。
「こういう時は助け合わないと。でないと、自分の番が来た時に助けてもらえなくなっちゃうからね」
「アレン……」
「だから、俺の番が来たら助けてくれる?」
冗談めかしたアレンの言葉に、姉弟の表情が緩む。二人はしきりに、ありがとうを繰り返し、アレンに頭を下げていた。
その光景を、テオは少し離れたところで立ち尽くして見守る。
テオは騎士志望だ。英雄エルバートのような高位聖騎士になりたい。
だけど、時々思うのだ。
(……僕よりアレンの方が、ずっとずっと騎士向きだ)
アレンは同年代の子どもと比べて背が高くて、力が強く、体の使い方が抜群に上手かった。
テオには時々意地悪を言うが、基本的に誰に対しても優しいし面倒見が良い。だから皆に慕われているし、一目置かれている。
いつだったか、街に占い師の老婆が訪れた時、老婆はアレンを見てこう言った。
『この子には英雄の相があるね。多くの苦難の果てに、素晴らしい名誉と栄光を手に入れるだろう』
占い師の言葉を聞いた子ども達は、大いに盛り上がった。
やっぱりアレンはすごい。聖騎士の息子なだけある。きっとアレンも、父親のような英雄になるのだ──と。
アレンは困ったような顔で曖昧に笑っていたが、テオはきっとその占い師の言う通りになるだろうと思った。
アレンは誰かに手を差し伸べる時、「騎士とはかくあるべき」なんて考えない。「俺がやりたいからやったんだよ」と言う。
そういうところが、天然の英雄気質だとテオは思うのだ。
(自分のことばかりで、視野が狭い僕とは大違いだ)
理想と現実の差は、はてしなく広い。それがテオとアレンの実力差なのだ。
テオのもとにアレンが戻ってきた。こういう時、人混みに呑まれがちなテオをすぐに見つけられるのも、アレンのすごいところだ。
アレンをすごいと思う気持ち、優しさを嬉しく思う気持ち、それを自分と比較して落ち込む自分勝手さ──様々な感情を飲み込み、テオは不貞腐れた声で呟く。
「……いつも、アレンだけ損をしてる気がする」
「じゃあ、こうしよう。テオが俺に、潰し焼きのパンを奢る」
「なんでだよ」
「そうすれば、みんなちょっとずつ幸せになれるだろ」
テオは毒気を抜かれて、フハッと息を吐いた。
「アレンは食いしんぼうだなぁ……分かった。トマトとチーズと、あとはベーコンも入れたやつにしようか」
兄貴分にベーコン一枚分の幸せぐらい、お裾分けしてやろうではないか。
二人は潰し焼きのパンの屋台を目指し、並んで歩く。
「アレンは……聖騎士になろうとは思わないのか?」
一年前に死去したアレンの父ダンカンは元聖騎士だ。いずれアレンも聖区に赴き、神に誓いを立てて聖騎士になるのではないか、と大人達は期待している。
だけどテオは、「聖騎士の息子だから聖騎士になるべき」という考えをアレンに押しつけたいわけではないのだ。
「えぇと、ダンカン父さんのことは関係ないんだ。ただ、アレンはどうしたいのかって話で……それに、アレンは加護持ちだろ?」
神に仕える三天使の加護を持つ者のことを加護持ちと言う。
加護持ちは個人差があるが、概ね一般人よりも身体能力が高く、聖騎士もその殆どが加護持ちで構成されていると聞く。
アレンも、アレンの両親も加護持ちだ。アレンは聖騎士になるべくして生まれた逸材と言って良い。
だが、アレンの答えはあっさりしていた。
「俺は、聖騎士にも騎士にもなるつもりはないよ」
騎士と一言で言っても様々だが、概ね各地の領主に仕える騎士か、レイエル聖区で神に忠誠を誓う聖騎士の二つに大別される。
テオが憧れているのは聖騎士だが、聖騎士は狭き門だ。とは言え、領主に仕える騎士だって、誰にでもなれるようなものではない。
「でも、アレンは以前、占い師のお婆さんに言われたじゃないか。英雄の相があるって。多くの苦難の果てに素晴らしい名誉と栄光を手に入れるって」
「多くの苦難があるのは、ちょっと……えぇ……やだなぁ、それ」
「志が低い!」
「俺は、ほどほどの人生でほどほどの幸せが良いよ。剣を振るうのだって、近くに呪魔が出た時だけでいい」
「……むぅ」
アレンは、本当は戦うのが苦手らしい。そんなアレンをテオは臆病だとは思わなかった。
炭鉱に呪魔が出た時、アレンは臆さず剣を取り、誰よりも速く斬り込むのだ。
(本当は、アレンにも騎士を目指してほしいんだけどな)
アレンと共に切磋琢磨し、一緒に騎士を目指す未来を夢想したことは、一度や二度ではない。
なによりアレンは本当に強いのだ。多分、剣の天才だ。このまま炭鉱夫として一生を終えるのは惜しい、と思ってしまうのはテオの我儘だろうか。
「アレンは、ウォルグで鉱夫として一生を終える気か?」
「うーん、じゃあカグーおじさんの店を継いで、潰し焼きのパンの店をやるとか?」
「アレンは食いしんぼうだから、つまみ食いで赤字を出しそうだ……」
テオの呟きにアレンが笑う。大人の誤魔化し笑いだ。
「テオが騎士になるなら、応援する。でも、たまには家に帰ってきてほしいかな」
「……アレンは、何かやりたいことはないのか?」
「俺は、家族がいて毎日ご飯が食べられれば、それで充分」
アレンの言う「家族」には、当然にテオが含まれている。それをテオは知っていたけれど、言及はしない。
夕焼けに照らされる慣れ親しんだ街を、二人は他愛もない話をしながら並んで歩く。
ズラリと並ぶ煙突のシルエットが、夕焼けのオレンジ色と明暗のコントラストを作っていた。その時間がテオは好きだけれど、少し怖い。
(なんだか、空が燃えているみたいだ……)
ウォルグの西には海があり、目を凝らすと船影が見える。
東には中央部に向かう鉄道が走り、赤みがかった灰の煙をモクモクと吐き出していた。あの船も鉄道も、ウォルグで採掘された赫炭を、あるいは呪魔の亡骸を、各地に運んでいるのだ。
(いつか、僕も汽車に乗って……中央部のレイエル聖区で神に誓いを立てて、聖騎士になるんだ)
夕焼けを背に東の空を見つめ、テオは静かに誓った。




