【18】テオ
腕を掴まれ、背後から怒鳴られた瞬間、テオは大きく目を見開く。
その目から、ボロリと大粒の涙が零れた。
名前で呼んでくれた。覚えてた。
皆がテオのことを忘れてしまったこの街で、アレンだけは覚えていたのだ。
「あ……うぁ……あ、わあぁあぁあん!!」
ボロボロと涙が溢れる。テオはその場に膝をつき、アレンを見上げた。
長身で、垂れ目で、いつも優しそうに微笑んでいるけれど、しれっと口の悪い幼馴染は、痛みを堪えるような顔でテオを見ている。
「アレン……アレン! うわぁぁぁん……わぁぁん……!!」
地面にしゃがんでワンワンと泣くテオの前で、アレンは膝をつく。昔からそうだ。テオが落ち込みしゃがんでいると、アレンは膝をついて目の高さを合わせてくれる。
テオはしゃくりあげながら、アレンの服の裾を掴んだ。子どもじみた仕草だと分かってる。それでも、自分を知っている人を手放したくなかった。
「僕のこと、誰も覚えてなくて……オリビア母さんも……!」
一緒に仕事をした鉱夫達も、一緒に遊んだこともある街の子ども達も、そして、大好きな母親も──皆々、テオのことを忘れてしまった。
どうして、どうして、と繰り返してきた絶望は、他でもないテオが抱える呪いが原因だった。
途切れ途切れに訴えるテオに、アレンが静かな声で言う。
「俺はちゃんと覚えてるよ。テオを見つけた日のことも」
「うん……」
「小さい頃のテオは高い所が好きで、いつも父さんの体をよじ登っていた。母さんが作るご飯は何でも好きだけど、一番好きなのは肉団子とキノコ」
いつもは、ゆっくりおっとり喋るアレンが、今は珍しく早口になって、昔話を語る。
「テオは本が大好きで、粗末にするとものすごく怒る。本を棚に戻す時は、赤ん坊をベッドに寝かすみたいに慎重になる」
「うん……」
「昔のテオは堅苦しい言い回しばかりで、言葉遣いが砕けるのに時間がかかったっけ。父さんの喋り方を真似したり、下品な炭鉱ジョークを意味も分からず口走って、父さんが母さんに絞られたり……」
「うん……」
「テオは騎士になるのが夢で、いつも剣の訓練を頑張っている……けど、自分の体の使い方を充分に把握できてないというか、自分の体を大きく見積りすぎてるというか」
「…………」
「テオが思っているより、テオの足って短いんだよ?」
「じ、自分が大きいからってぇ……!」
「ほら、いつもの調子が出てきた」
眉尻を下げて笑う顔は、テオがよく知るいつものアレンだ。
「テオ」
アレンはテオの涙が少し落ち着いたのを確認すると、膝をついたまま頭を下げた。
「昨日は、思い切り叩いて、ごめん」
昨日──エルバートの従騎士の座を賭けた、決闘のことを言っているのだろう。
決闘直後はアレンの意図が分からず大泣きしたが、今なら分かる。
テオは涙と鼻水でドロドロになった顔を服の袖で拭い、アレンを見た。
「アレンは、ベリルさんから歩く呪いの話を聞いて、僕も歩く呪いだって気づいたんだろう?」
「……うん」
「だから、エルバート様の従騎士を諦めさせようとした」
アレンは苦々しさを隠さない顔で、小さく頷く。
「歩く呪いの境遇がろくでもないことは、すぐに察しがついたからね」
ベリルはなんでもないことのように笑っていたが、歩く呪いは、いつ呪いが進行して呪魔化してもおかしくないのだ。
当然に首輪をつけられ、聖騎士の監視下に置かれる。その上で、灰色騎士として呪魔との戦いを強要されるのだ。その実態をアレンは即座に見抜いたのだろう。
だからアレンは、テオを逃がそうとした──逃したところで、テオが歩く呪いであるという事実は変わらないけれど。
「テオ、俺はこれからエルバート様の従騎士になって、聖騎士を目指そうと思う」
「えっ!?」
アレンが決闘の提案をしたのは、テオを聖騎士から遠ざけ、歩く呪いであることを隠すためだ。
だが、既にテオが歩く呪いだということはバレている。アレンが聖騎士になる理由はない。
それなのに、アレンはいつもの調子で言うのだ。
「だって、聖騎士になれば、呪魔と戦う機会が増えるでしょ? ……テオに呪いを植えつけた呪魔を殺せば、テオは呪いから解放される」
アレンの言葉に、テオはクシャリと顔を歪めた。
アレンは、あんなに騎士になる気はないと言っていたのに、聖騎士を目指すというのだ。テオを救う、そのためだけに。
「アレン……アレンが僕のために聖騎士になる必要はないんだ。これは僕の問題で……」
「テオ」
アレンは椅子代わりの丸太に座ると、隣に座るようテオを促した。
テオがノロノロと腰を下ろすと、アレンは前方のボタ山を見上げ、口を開く。
「一つ、昔話をしようか。俺は子どもの頃、レイエル聖区で暮らしていて……聖騎士見習いの子ども達に交ざって、訓練をしていたことがあるんだ」
父ダンカンが聖騎士で、引退するまでレイエル聖区で暮らしていたことは、テオも何度か聞いている。聖騎士の息子なら、さぞ将来を期待されていたことだろう。
ボタ山を見ていたアレンの目が、真っ直ぐにテオを見る。
「そこで俺は、他の子ども達にものすごく嫌われていた」
「性格が悪かったから? ……ぎゃっ!?」
アレンの腕が持ち上がり、テオの額をバチンと弾いた。
頭蓋骨に響く痛さに、テオは額を押さえて仰け反る。
「俺、加護持ちだろ」
「うん」
ローレンス家は皆、加護持ちだ。オリビアは〈再生〉、アレンは亡きダンカンと同じ〈破壊〉の加護持ちである。
「本当は、二つ持ちなんだ」
「はぁ!?」
「母さん譲りの〈再生〉と父さん譲りの〈破壊〉。まぁ、〈再生〉の方はそんなに強くなくて、他人を癒せるほどじゃないけど」
テオは額を押さえたまま、あんぐりと口を開けた。衝撃に涙が引っ込む。
親が加護持ちの場合、子どもにも同じ加護が表れることがある。まさにアレンがそうだ。
だが、それは決して確率の高い話ではないのだ。寧ろ珍しい。
現在、三つの加護を持っているのは、この世でただ一人、英雄エルバート・ランドルフのみ。
二つの加護を持っている者は一〇人といないはずである。聖騎士団にとって、喉から手が出るほど欲しい逸材だ。
「そ、それって、すごいことじゃないかっ!」
なんで黙っていたんだ! という言葉をテオは咄嗟に飲み込んだ。
アレンがその力をひけらかさなかったのは、オリビアの教育の賜物だろう。
どんなに優れた力を持っていても、それをひけらかすような真似を、オリビアは良しとしない。
「加護が二つもあると、まぁ身体能力の強化がすごくて……当時の俺は訓練中、六歳年上の騎士見習いに大怪我をさせてしまったんだ」
「当時のアレンって……」
「確か、九歳ぐらいだったかな」
つまり相手は一五歳。それも騎士見習いなら、それなりに鍛えていたはず。それを九歳のアレンは倒してしまったのだ。さぞ注目されたことだろう。
「九歳で加護二つ持ち……同年代の子ども達にしてみれば、嫌な存在だよ。自分達の地道な訓練はなんだったんだ、って思うだろうし。そのせいで随分と嫌われたんだ」
「いや、やっぱアレンの性格も原因だと思う……ぎゃふっ、べふっ」
恐ろしく正確なデコピン二連打が、額の同じ位置を叩いた。骨がジンジン痺れて頭の奥がグワングワンする。
テオは額を抑え、涙目で喚いた。
「だって、僕には口悪いじゃないか! サラッと暴言言うし!」
「暴言? いつの話?」
全く心当たりがないという顔だ。
アレンの垂れ目を模すべく、テオは目尻を下に引っ張り声真似をする。
「『テオが思っているより、テオの足って短いんだよ?』」
アレンはキョトンとした顔で首を傾けた。
「……事実だよね?」
「そういうとこだよ!」
テオの頭は、次第にカッカと熱くなってきた。
アレンの凶悪なデコピンは泣くほど痛いが、テオの弱気を砕いてくれたらしい。
「つまりアレンは、同世代の人間のやる気を削ぐから、騎士団には入りたくないって思ってたんだな」
「まぁ、そういうこと。まして、本気を出して、テオのやる気を削ぐのはしのびなかった」
アレンは自分が本気を出したら、その実力差にテオが落ち込むと思っていたのだ。
それは事実だ。確かにテオは、何度もアレンと自分を比べて落ち込んだ。だけど、やる気を削ぐ? まったくアレンは大馬鹿者だ。
テオはゆっくりと息を吸う。そうして感情を腹の奥に溜め、一気に吐き出すように、腹の底から吠えた。
「舐めるな!」




