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忘却のカースナイト  作者: 依空 まつり
一章 忘却少年
17/23

【17】どこにもいない子、知らない子

 高級宿を出たテオは毛玉を服の中に隠し、ローレンス家に向かった。

 この毛玉はテオの呪いの一部でもあるので、テオから離さない方が良い、とエルバートは考えたらしい。

 二〇時間後、この街に聖騎士団が到着する。大型の呪魔(テルメア)が出たことで、小型の呪魔(テルメア)が寄ってくる可能性が高いため、しばらくは警戒体制をとる必要があるからだ。

 エルバートはその聖騎士団との引き継ぎを終えたら、中央部(エリントン)に戻る。新しく灰色騎士団の所属になるテオを連れて。

 出発は二四時間後。それまでは自由にして構わない、とエルバートは言ってくれた。

 本来はテオが逃げないよう宿に拘束するべきなので、これは相当に寛大なお目溢しだ。

 テオは無意識に下を向いていた顔を上げ、見慣れた街を歩く。

 見慣れた街、見慣れた人々──この風景にテオはいつまでも溶け込めない。見慣れた風景の一部になれない。

 歩く呪い(マッドウォーカー)のテオは、人々の記憶に残らない異物だから。


(……そうだ)


 ふと思いつき、テオは住居区に行く前に、服飾品を扱う店に足を運んだ。

 幸い、小遣いはポケットの中にある。この額だと買えるのは、ハンカチ一枚が限界だ。

 テオは青紫の花の刺繍を施したハンカチを選び、「これください」と店番の老婆に声をかける。

 膝に猫を乗せていた老婆は、のんびりと眼鏡を持ち上げ、テオを見た。


「見ない顔だねぇ、旅行客かい」


「……いえ」


 テオは、何度かこの老婆と会話をしたことがある。

 膝の上の猫は夫が飼い始めたこと。夫に先立たれたこと。老婆は猫が嫌いだったけれど、いつしか猫と和解したこと──全部、老婆から聞いた話だ。

 テオは小遣いをカウンターに載せた。


「少し、遠くに行くことになったから……母に、プレゼントを買おうと思ったんです」


「喜んでくれるといいねぇ」


「はい」


 真新しいハンカチを綺麗な紙に包んでもらい、テオは再び住居区を目指す。

 尾刺棘(ブラッド・テール)に刺されたオリビアだが、彼女は〈再生〉の加護持ちで回復が早く、既に傷は癒えているらしい。アレンも大きな怪我はないという。

 ハンカチの包みを胸に抱き、テオは考える。

 テオは歩く呪い(マッドウォーカー)で、これからは灰色騎士として呪魔(テルメア)と戦う──それを聞いたら、きっとオリビアもアレンも悲しむだろう。

 だから、このハンカチを母に渡し、こう言うのだ。


『僕、聖騎士にはなれなかったけど、灰色騎士になれるんだ。僕は騎士になるんだ。呪魔(テルメア)をやっつけて、自分の身に降りかかった呪いも、打ち破ってみせる。だから心配しないで二人とも』


 なるべく明るい顔で、誇らしげに振る舞おう。

 そうして、いつかテオが自分に呪いを植え付けた呪魔(テルメア)を倒し、呪いから解放されたら、ローレンス姓を名乗ることを許してほしい。


(その時こそ、言うんだ……)


 オリビアには「僕を貴女の息子にしてください」。

 アレンには「本物の兄弟になろう」──と。

 テオは不安を押し隠し、堂々とした態度で玄関の扉を開けた。


「ただいま」


 手狭なローレンス家のテーブルの前では、オリビアがニンジンの皮を向いていた。昨日、呪魔(テルメア)に襲われたばかりだというのに、もう起きて仕事をしているのだ。

〈再生〉の加護で傷が癒えているとはいえ、今日ぐらいは休んでほしい。テオがそう声をかけるより早く、オリビアは目を丸くして言った。


「あら、どちらさまですか?」


 まるで、時間が止まったみたいだった。

 そうして時間が止まったまま、動かなければ良いと思ってしまうほどに、現実は残酷だった。

 テオは凍りついた舌を動かし、声を絞り出す。


「僕……テオ、だよ」


 テオのことを忘れかけている人でも、名前を言えば、「あぁ、そんな奴もいたっけ」という反応を見せる。

 その程度の反応でも良いから──と祈るような気持ちのテオに、オリビアは少し困ったような顔で微笑みかけた。


「テオ君というのですね。アレンのお友達ですか?」


 ハンカチの包みを持つ指先がサアッと冷える。全身の血が足下に落ちていき、目の前がチカチカする。

 今、自分はどんな表情をしているだろう。


(笑え)


 血を流す心を押し殺し、テオは己に命じた。


(ちゃんと、笑え)


 口の端を持ち上げて、テオは上擦った声で言った。


「アレンと約束があったんですけど、なかなか来ないから、様子を見にきたんです」


「まぁ、そうだったのですね。アレンってば……あの子は今、外に出ていて」


「あのっ!」


 テオは指先の震えを誤魔化し、買ったばかりのハンカチの包みを、オリビアに差し出した。


「これ、受け取ってください。オリビアさん(、、、、、、)は覚えていないかもしれませんが、僕は貴女にとても……とてもお世話になったんです」


 ──貴女は僕に名前をくれたんです。


 ──五年間、実の息子と同じように、愛情を込めて育ててくれたんです。


 ──手伝いをしたら褒めて、間違いをしたら叱って、風邪を引いたら看病をして、悲しかったら抱きしめてくれたんです。


 オリビア母さん、と胸の内で呟き、テオは笑った。

 多分、自分は今、泣きそうな顔をしている。あまり上手に笑えていない。

 それでも笑わなくては。


「僕は貴女に……ずっと、ありがとうが言いたかったんだ」


 オリビアはキョトンとしていた。当然だ。知らない子どもが入ってきて、突然こんなことをしたら、不審に思うに決まっている。

 それでも彼女は柔らかく微笑む。泣きそうな子どもを安心させるように。

 そうして、必死の表情のテオからハンカチを受け取ってくれた。


「ありがとう、テオ君」


 その笑顔を、テオは目に焼き付ける。


 ──忘れるものか。絶対に。


 視界がボヤける、駄目だ、泣くな。テオは片腕を持ち上げ、目元を覆った。


「こちらこそ、受け取ってくれてありがとうございます。突然お邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」


 テオはこれ以上顔を見られないよう勢いよく振り向き、家を飛び出した。


       * * *


 ローレンス家を飛び出した先で、見覚えのある黒髪の姉弟が目に入った。マリーナとピーノだ。

 ローレンス家から飛び出したテオに、マリーナが控えめに声をかける。


「あの、ローレンスさんのお客様ですか? アレンとオリビアさんの様子はいかがでしたか?」


「オリビアさん、呪魔(テルメア)に襲われたんだろ? まだ寝込んでた? 見舞いしたら迷惑かな?」


 優しい姉弟だ。二人とも、心からアレンとオリビアの身を案じてくれている。

 マリーナはよく手作りのお菓子をくれた。彼女はアレンが好きなのに、ちゃんとテオの分も用意してくれるのだ。

 ピーノは生意気だけど姉思いの良い子だ。マリーナが落ち込んでるとテオに相談しにくることもあった。

 時々、テオの存在を見落とすけれど、それでも二人はちゃんとテオを認識していたし、友達だった。


 ──この二人の中に、もうテオはいないのだ。


 テオは目元を手で隠し、感情を殺して答えた。


「オリビアさん、もう起きていましたよ。アレンは留守のようです」


 それだけ告げて、逃げるように走る。走る。テオだけが覚えている、テオを忘れてしまった街を。




 街を離れたテオは、炭鉱の近くにある事務所に立ち寄り、そこに置きっぱなしにしている私物を回収した。

 炭鉱は昨日の呪魔(テルメア)騒動のせいで、発掘作業が止まっている。まずは、落盤の危険性を調査するところから始めないといけないからだ。

 テオが荷物を抱えて事務所を出ると、ちょうど炭鉱の方から鉱夫頭のガットが戻ってきた。

 ガットもまた、呪魔(テルメア)の呪いを受けて呪い憑き(カースド)化していた筈だが、エルバートの〈再生〉の加護で治療してもらったのか、今はすっかり元気そうだ。


「ん? 坊主、誰のガキだ?」


 ガットはテオのことを、鉱夫の子どもだと思ったのだろう。鉱夫の子が軽食を届けにきたり、着替えを回収しに来たりというのは、別に珍しくない。

 テオは曖昧に笑った。


「……落盤は、大丈夫でしたか?」


「ん? あぁ、奥の方がちょいとヤバいから、採掘開始まで間が空きそうだな」


「……だったら、ちょうど明日、銀行の代表の方が訪問する日ですから、そこで相談をした方が良いと思います。機材申請の書類は緑のファイル。親方のちょっと良い服は、奥のタンスの下から二番目です」


 ガットはポカンとした顔をしている。

 気の利くチビだな、の言葉はもう出てこないのだ。

 テオはガットに頭を下げた。


「今までお世話になりました……お酒の飲み過ぎは程々に、お体にお気をつけください」


 それだけ言って、テオは逃げるようにその場を駆け出す。

 すれ違う鉱夫は、誰もテオのことを気にしない。「よぉ」と声をかける者すらいないのだ。

一瞬チラッとテオを見ても、すぐに興味を失っていく。


「うー…………うぅぅぅ……!」


 テオは歯を食いしばりながら走り、やがて、人のいないボタ山の辺りで足を止めた。

 そこにしゃがみこんで、抱えた膝に顔を埋める。


「めうぅ……」


 服がモゾモゾと動いて、腹側から白い毛玉がコロリと落ちた。しゃがんだ時に潰してしまっただろうか。


「ごめん、苦しかったか?」


 テオはしゃがんだまま、両手を差し伸べてみた。

 毛玉はピョコピョコ跳ねながら、テオの手のひらに飛び乗る。

 テオは表情を緩めた。小さな生き物特有の体温と微かな鼓動は、孤独な心を少しだけ癒してくれる。


「君は、何なんだろうな」


「めぁー」


「僕はテオだよ。テオ」


 手のひらの毛玉は一応手足があるようだった。ただ、悲しいほどに短い。ついでに尻尾と耳らしき物もあるが、これも小さすぎて、フワフワした毛並みに埋もれている。

 毛玉は、テオの手のひらにフワフワの毛並みを擦り付ける。体が痒かっただけかもしれないが、甘えられているみたいでテオは嬉しくなった。


「めうー」


「慰めてくれてるのか?」


 多分違うのだろうけれど、自分の好きなように解釈しておく。

 毛玉に顔を近づけると、フワフワした毛が頬を撫でた。とても可愛い。


「……僕はテオだよ」


「めあぁー」


「テオって言うんだ」


 動物はテオの名前を呼べない。だから、呼ばれなくても苦しくない。

 言葉を理解しない生き物に、遣る瀬無い想いをぶつけているだけだと分かっている。それでもどうか、今だけは許してほしい。


「テオだよ……僕は、テオ……」


 泣くな。お前は騎士になるんだろう。自分にそう言い聞かせ、歯を食いしばる。


(誰か、名前で呼んでよ)


「めぁあー」


 突然、手のひらの毛玉がピョンと飛び上がり、テオのポケットに飛び込んだ。

 毛玉はモゾモゾと体を動かして、ちょうど良いポジションを見つけると、そこに収まり丸くなる。


「わ……」


 小さな生き物の温もりが服越しに伝わってくる。それが今は酷く手放しがたい。

 テオは無理につまみ出さず、ポケットの上からそっと毛玉を撫でる。

 その時、背後から足音が聞こえた。鉱夫だろうか。或いはボタ拾いの子どもか──そう考えながら振り向いたテオは息を呑んだ。

 こちらに向かってくるのは、長身の少年……アレンだ。

 テオの全身から血の気が引く。逃げなくては、と思った。

 だって、テオはもう、親切で優しい人達の知らない人を見る目に耐えられない。

 ポケットの毛玉が落ちないよう、軽く片手で押さえながら、テオは走り出し……。


「──テオっ!」


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