【16】呪いを振り撒いていた者
テオが目を覚ましたのは、明らかに自宅ではない。高級宿らしき部屋のベッドの上だった。
部屋の壁紙や意匠には見覚えがある。エルバートが利用していた宿だ。以前、手の怪我を治してもらった時の部屋とは違うけれど、あの宿の一室なのだろう。
テオは意識を取り戻すと同時に飛び起き、日課と予定を頭の中にズラリと並べた。
その日の予定を朝一番に自分の頭に叩き込むのは、テオの癖だ。ついでにアレンの予定も覚えておいてやる。でないと、いい加減なアレンはすぐ予定を忘れるからだ。
起きたら顔を洗って身支度を整える。その後で小一時間ほど訓練。それから食事をして炭鉱に向かい──と、そこまで考えたところで、テオは両手で顔を覆った。
自分がいるのはローレンス家ではなく高級宿。自分はまだ、非日常の延長線上にいるのだ。
「めう」
ベッドの上で身を起こしたテオの足下辺りで、鳴き声がする。
ベッドをコロンコロンと転がっているのは、白い毛玉だ。
(僕の中から出てきた、毛玉……)
あの時顕現した剣だの盾だのはなくなっているのに、毛玉だけは元気にテオの上をコロコロしている。つくづく奇怪な生き物だ。
(あ、一応目がある)
ボンヤリと毛玉を観察していたら、すぐそばで声がした。
「おはよう、テオ」
テオはギョッとして振り向いた。
ベッドのそばにある机の前に、エルバートが腰掛けている。彼は書き物をしていた手を止めて、テオを見ていた。
「エルバート様……」
「辛ければ、横になっていて構わない。あれだけ力を使えば、体への負担も大きいだろう」
テオは横目で窓の外を見た。時刻はまだ午前だろうか。道行く人々の中には、憲兵の姿がやけに多く見えて物々しい。大型の呪魔が出たせいだろう。
大型で力の強い呪魔が現れると、そこに小型の呪魔が集うことがあるからだ。
「良かったら、食べないか」
エルバートは机の上の紙袋からパンやゆで卵、チーズなどの食べ物を取り出し、テオの前に並べた。更に、テーブルに置いていたポットを手に取る。
テオは慌てた。英雄エルバートに給仕まがいのことをさせるわけにはいかない。
「エルバート様、僕が、やります」
「倒れて寝込んでいた子どもに仕事をさせたら、私が天使様に叱られてしまう」
「うぅ……」
「天使の加護を得た者は、それだけ奉仕の精神が求められるんだ。だから、気にしないでいい」
エルバートはポットの茶をカップに注ぎ、テオに差し出す。
テオは小声で礼を言ってカップを受け取った。昨晩雨が降ったのか、三月の朝にしては少し冷え込んでいるので、温かいお茶は素直にありがたい。
「……君も飲む?」
テオは毛玉に声をかけたが、毛玉は「めう」と鳴いてベッドを転がり落ち、そのまま床をコロンコロンと左右に転がった。多分遊んでいるのだ。害はなさそうだし放っておこう。
テオは爽やかな香りの茶を飲みながら、昨日の出来事を思い出す。
英雄エルバートと灰色騎士ベリルとの出会い。エルバートの従騎士の座を巡るアレンとの決闘。カルラという少女との仮面探し。そして、大型の呪魔との遭遇。
テオは茶で舌と喉を潤し、一番気になっていたことを訊ねた。
「街の被害状況は……オリビア母さんと、アレンは、どうなりましたか?」
「炭鉱と街の一部が崩れ、怪我人も出たが死者はゼロ。呪い憑きとなった人達は、全員呪魔化する前に呪いから解放されたよ。オリビア・ローレンス夫人も、〈再生〉の加護があったから、もう殆ど傷は塞がっている」
あぁ、とテオは口から安堵の吐息をこぼし、カップをテーブルに戻して、両手を祈りの形に組んだ。
「ありがとうございます……オリビア母さんを……炭鉱のみんなを救ってくれて」
呪い憑きになった人間は、全身が呪いに蝕まれた時、呪魔化する。そうなったらもう助からない。
オリビアや炭鉱の男達が呪魔化したら……それが、一番テオが恐れていたことなのだ。
感謝を捧げるテオに、エルバートは穏やかな声で告げる。
「被害を最小に留められたのは、君とアレンの奮闘あってこそだ。礼を言わせてほしい。本当にありがとう」
憧れの英雄に礼を言われた。それは、とても嬉しくて光栄なことだ。だけど、テオには素直に喜べない理由がある。
テオが呪魔の足止めをできたのは、あの力があってこそなのだ。
「僕は……歩く呪いだったんですね」
呪い憑きの中で、奇跡的に呪いの進行が止まった、呪いを武器にできる存在。
テオが歩く呪いになったのは、昨日大型の呪魔に胸を貫かれた時……ではないのだ。
「寝ている間に、君の体を少し調べさせてもらった。胸に呪印があるだろう?」
テオはシャツの胸元を捲った。
心臓の真上の辺りに、赤黒い紋様が浮かんでいる。呪斑のようにただ斑らに染まるのではなく、紋様じみた形のそれは、歩く呪いの証である呪印だ。
「その呪印は、昨日発現したものだね?」
「……はい」
「おそらく君は以前から、心臓に呪印があったのではないか……とベリルが言っていた」
呪いを植え付けた呪魔が死ねば、呪いは消える。歩く呪いも解放されるはずなのだ。
だが、昨日テオの胸を貫いた呪魔は死んだにもかかわらず、テオの胸にはまだ呪印が残っている。
「元々あった呪印が、昨日の呪魔の攻撃を受けたことで、皮膚の表面に引っ張り出されたのだろう」
珍しいケースだがね。とエルバートが控えめに付け足す。
テオは服の上から胸元を押さえた。手のひらに伝わる心臓の鼓動に変化はない。だけど、テオの心臓には確かに呪印が刻まれているのだ。それが、今なら不思議と分かる。
つまるところテオは、五年前アレンに拾われる前から歩く呪いだったのだ。
そして、テオに呪いを植え付けた呪魔は、まだどこかで生きている。
「君は、自分が周囲の人間の記憶に残りづらいと言っていたね。それはおそらく、君が歩く呪いであることが原因だろう。呪いの中には、周囲の人間の精神に影響を与えるものもある」
今なら、自分が何故親に捨てられたのかがよく分かる。
テオが呪いを抱えている危険な存在だったからだ。
「精神に干渉する呪いは、加護持ちや歩く呪いには効きづらいんだ。だから、私やベリル、それと君のご家族は君を認識できたのだろう」
なるほど、エルバートは加護持ち、ベリルやカルラのような灰色騎士は歩く呪い。ローレンス家の人間は、亡きダンカンも含めて加護持ちだ。
「僕は、ずっと……」
呟き、言葉を切る。目の奥が熱い。
「この街の人達に、呪いを振り撒いていたんですね……」
自嘲と同時に、涙がボロリと溢れた。
今になって思い知る。自分の愚かさを。醜さを。
「僕は、僕に優しくしてくれた人達を呪ってたんだ。それなのに僕は……『この街は僕を覚えてくれない』って、心のどこかで恨めしく思ってた……!」
あぁ、我が心の故郷、炭鉱の街ウォルグよ。
どうしてあなたは、僕を忘れてしまうのでしょう。どうして覚えてくれないのでしょう。どうして僕を、孤独にするのでしょう。
……ずっとずっと、そう思っていた。他でもない、自分自身が原因だなんて知りもせず。
「テオ」
エルバートがテオの名を呼ぶ。この優しい英雄は、きっと分かっているのだ。
テオにとって、名前を呼ばれることが、どれだけ特別なのか。
「歩く呪いが呪いから解放される方法はただ一つ。自身を呪った呪魔を見つけ出し、殺すことだけだ」
「……はい」
「そのためにも、君は自身の力と向き合わなくてはいけない」
優しくも哀しげなその言葉に、テオは己の処遇を察した。
歩く呪いは灰色騎士団の所属になるとベリルは言っていたが、それを拒んだらどうなるかまでは語らなかった。
歩く呪いは今でこそ奇跡的に呪いの進行が止まっているが、いつ呪いが全身に回って呪魔化するかは分からない。
だからこそ、ベリルもカルラも首輪をつけることを強要されている。
「……僕は、どうなりますか」
「中央部の首都に連れていき、灰色騎士団に登録する」
「……拒んだら?」
エルバートは一度目を閉じ、そして開いた。
大好きな英雄に残酷なことを言わせてしまう。それがテオは悔しくて、悲しかった。
「灰色騎士団への登録を拒む歩く呪いは、その呪いの程度に応じて、聖騎士団で拘束、もしくは島流しにすることが定められている」
島流しは死罪の次に重い罰だ。海から呪魔が攻めてくる状況で島流しにされることは、隔離されて死を待つことと同義である。
歩く呪いになった時点で、テオに選択肢などなかったのだ。
「灰色騎士に、姓は必要ですか?」
「……いいや、逆だ。灰色騎士は姓を名乗ることを許されない」
一般的な騎士、及び聖騎士は、叙勲の際に必ず姓を必要とする。もし姓がない場合は、主君に与えてもらうか、養子縁組をして姓を取得させるのだ。
だが、灰色騎士団は騎士とは名ばかりの厄介者の集まりだ。故に背負うべき姓を必要としない──どころか、家から追放されて姓を奪われることもあるという。
(あぁ、良かった)
おかげで、ローレンスの名を汚さずに済む。
テオは泣きたい気持ちで笑った。




