【10】テオの秘密、英雄の秘密
丘を下ったテオは、その足でフラフラと走り、炭鉱のボタ捨て場に辿り着いた。
普段、鉱夫が休憩に使っている丸太に腰掛け、ボタ山を見上げる。
炭鉱では坑道の採掘や選炭作業の際に、膨大な量の廃棄物が出る。
それを廃棄していく内に出来上がったのがボタ山だ。山のような、ではなく山なのだ。それだけ炭鉱の廃棄物は量が多い。
土や石、質の悪い赫炭などが混ざったその山を、テオはボンヤリと見上げた。
(まるで、僕みたいだ)
役に立たなくて捨てられた物の山──それが、今の自分に重なって見えて、テオは虚ろに笑った。
風はやや冷たく、赤みがかった灰の雲は黒さを増している。じきに雨が降るだろう。
(惨めだなぁ……)
何よりもテオが許せないのは、アレンに対して甘ったれたことを考えてしまった自分自身だ。
アレンはテオに花を持たせるために、わざと負けるのではないか、なんて勝手に期待して、挙句、本気のアレンに手も足も出ないまま敗北した。甘ったれにも程がある。
(痛い。悔しい)
ボロボロと溢れる涙が、顔を汚す。顔も体も手も、あちこちが熱を持ってジクジクと痛い。
本当は泣き喚きたいけれど、テオはなけなしの矜持をかき集め、頭の中で叫ぶにとどめた。
(アレンの馬鹿ぁぁぁ! ……違う。分かってる。アレンは悪くない。僕が弱いのがいけないんだ!)
テオがアレンに勝てるぐらい強ければ、エルバートの従騎士になれた。
だけど、テオはアレンより弱かった。ただそれだけの話だ──と頭では分かっているけれど、感情が追いつかない。悔しさと惨めさで、頭が破裂しそうだ。
泣き声を押し殺し、ふぐぅふぐぅと呼吸を繰り返していたら、微かな足音が聞こえた。
テオはハッと顔を上げる。すぐそばに佇んでいるのは、淡い金髪に紫の目の青年エルバートだ。
憧れの英雄が来てくれた喜びより、この酷い顔を見られたことの恥ずかしさが勝った。テオは慌てて服の袖で顔を拭う。
「あまり強く擦ってはいけない。布を濡らしてきたんだ。まずはこれで拭こう」
腫れた頬にヒタリと当てられた布は、清潔で冷たくて気持ち良い。
エルバートは丁寧な手つきで顔を拭って、傷口に手を添える。その手が淡く輝いているのを見て、テオは焦った。
「駄目です、エルバート様! 僕は、貴方の祝福を貰えるような人間じゃない……!」
「どうして、そう思うんだい?」
詰問とは程遠い、静かで優しい問いかけだった。
テオはグスッと洟をすすり、エルバートを見つめる。
「だって、僕が騎士を目指したのは……」
これは懺悔だ。
テオは今まで誰にも語らなかった、己の胸の内を吐露する。
「目立ちたかったから、なんです」
* * *
テオは隠れんぼが嫌いだ。
だって、アレン以外、誰もテオを見つけてくれないから。そうしてテオを忘れたまま、皆次の遊びを始めてしまうから。
「僕、昔から影が薄くて……誰も、僕を見つけてくれないんです。顔も、名前も、覚えてくれない」
だから、人に親切であるよう振る舞った。誰かの役に立てば、きっと自分のことを覚えてもらえると思ったからだ。
人に感謝されるような行いをすれば、確かにその時だけは相手の記憶に残った。だけど、一日もすれば忘れられてしまう。それは、テオにとって静かな恐怖だった。
「ローレンス家に拾われて何年も経つのに……僕は周りから、『あの家の子ども』って認識されていないんです」
きっと、周りがどう思おうと、アレンもオリビアも気にしたりはしないのだろう。だけど、テオが嫌だったのだ。
周りから認められていないのに、ぬけぬけとローレンス姓を名乗るだなんて許せない。
「だから、騎士になろうと思ったんです」
理想はダンカンのような聖騎士だけど、聖騎士になるには厳しい条件がある。それならせめて、領主に仕える騎士でも良いから、とにかく騎士になろうと考えた。
「すごい騎士になれば、きっとみんな、僕のこと覚えてくれる。そしたら、僕は胸を張ってローレンス姓を名乗れる、って……」
鉱夫に姓はいらないが、騎士になるには必要になる。だから騎士叙勲されることが決まったら、その時初めて、オリビアに言うつもりだったのだ。
僕を息子にしてください、ローレンス家の一員にしてください、と。
騎士にならなくても、オリビアはテオをローレンス家の息子として扱ってくれる。それでも、周囲の人間から「テオはローレンス家の人間」と認識されないのは嫌だった。
騎士になれば、きっと目立てる。きっと覚えてもらえる──浅はかだと分かっている。
それでも、人に覚えてもらえないテオは騎士の栄光に縋った。
「だから……僕は……」
熱を帯びた言葉は、だんだんと尻すぼみになっていく。
こうして言葉にすると、自分がどれだけ見栄っ張りだったか、よく分かる。恥ずかしすぎて、死んでしまいたい。
「結局、僕が騎士になりたいのは、僕の見栄と欲のためだったんです」
誰かを守りたいとか、神に仕えたいとか、そういった立派な志があるわけではない。
人に親切にしてきたのだって、ただ自分を覚えていてほしかったからなのだ。
自分はアレンみたいに、「みんなが少しずつ幸せになればいい」と幸福をお裾分けできるような人間ではなかった。ただ、自分が目立ちたいだけだった。
「きっとアレンは、僕のそういう狡さに気づいたんだ。だから、決闘なんて言い出したんだ……」
冷たい目で剣を振り下ろすアレンを思い出したら、また目の奥が熱くなってきた。
テオが嗚咽を噛み殺していると、正面にしゃがんでいたエルバートがテオの横に腰掛ける。
高潔なる英雄エルバートが、ボタ山の前で丸太に座っている──現実味のない光景だ。
テオがぼぅっとエルバートを見ていると、エルバートは静かに言った。
「君は、自分が目立ちたくて騎士を目指したと言うけれど、私には『胸を張ってローレンス家の一員になりたかった』という風に聞こえる」
「それでも、僕の見栄なのは事実です……」
オリビアとアレンは、テオが立派な人間じゃなくても、きっと家族として受け入れてくれるだろう。ただ、テオは二人の好意に甘えるだけの家族になるのは嫌だった。
誰の目から見ても、ローレンス家に相応しい、そういう人間になりたかった。それはテオのエゴだ。
「君は、自分が騎士を志す動機が不純であると、自分を責めているんだね」
「……はい」
「なら、私が聖騎士を目指した理由を話そう」
テオは今までにないぐらい緊張した。
英雄エルバートが聖騎士を目指した理由。すごく気になる。そんな話を自分なんかが聞かせてもらって良いのだろうか。
「私が聖騎士を目指したのは……」
テオはゴクリと唾を飲む。英雄が聖騎士を目指した理由。そこには一体どんな覚悟が、決意があるのだろう?
エルバートは真剣な顔で言った。
「好きな人を振り向かせたかったからだ」
「……え」
「残念ながら、まったく相手にされなかったがね」
ポカンとするテオに、エルバートは真顔で付け足す。
「ちなみに人妻だった」
「──ぶっ」
ふきだした後、慌ててテオは口元を拭った。
自分は英雄エルバートの前で、なんという振る舞いを!
焦るテオに、エルバートは少しだけ眉尻を下げて問う。
「幻滅したかな?」
「いえっ、えっと、驚いたといいますか……」
動揺のあまり無意味に手を動かしつつ、テオは自分の胸に問いかけた。
──英雄エルバートに幻滅したか?
答えは否。ビックリはしたけど、幻滅はしてない。憧れは今も胸にある。
テオは人差し指と中指を揃え、宙に横線を描く。この線は短剣だ。それを握り己の胸に当てる仕草をして、横に座るエルバートを真っ直ぐに見つめた。
「聖騎士を志した動機が何であれ、貴方に救われた人が大勢いるのは事実です。高位聖騎士の称号を得てもなお、貴方は驕ることなく、最前線で呪魔と戦い続けている。僕が貴方を尊敬する気持ちに、変わりはありません」
「真実の誓いか。古い作法を知っているな」
エルバートは穏やかに微笑み、テオの拳に手を添える。
「君は他人に敬意を抱ける人間だ。ならば、その敬意を自分自身にも向けると良い。謙遜は美徳だが、自らを貶め続けると心が尖り細ってしまう」
神秘的な紫色の目が、テオを映した。
虚偽を許さずありのままの真実を写す、神様の鏡みたいだ。
「目立ちたいだけなら、他にも方法はあったはずだ。だけど君は騎士を選んだ。それは、きっと君がそうありたいと思ったからだ」
初めて騎士を志そうと思ったのは、いつだろう。もう思い出せない。だけど、騎士が良い、騎士になりたいと思った、その気持ちだけは本物だ。
「君は、騎士になるための努力を怠ってはいない。そうだろう?」
はい、と頷き、テオは己の心に誓う。
この言葉を嘘にしないためにも、もっともっと頑張ろう、と。
アレンと己を比べて、どうせ僕なんて──と卑屈が顔を出した時は、エルバートの言葉を思い出そう。
他人だけでなく、自分自身にも敬意を。
「僕、またアレンに挑みます。そうしてアレンに勝ったら、その時は……僕を従騎士にしてくれますか?」
「あぁ、勿論」
エルバートの手から溢れ落ちる温かな光が、じんわりとテオの肌に触れ、傷を癒していく。
まだ細かな擦り傷はあるが、打撲の腫れは綺麗に引いた。〈再生〉の天使の加護だ。
「心に影がさした時は、自分にこう言い聞かせなさい。『汝、騎士たれ』」
「はい!」
汝、騎士たれ──胸の内で呟くと、その言葉はしっくりと心に収まった。
テオは勢いよく立ち上がる。凹むのが早ければ、立ち直るのも早いのがテオの強みなのだ。以前、アレンにそう言われた。
「エルバート様、たくさんのお言葉と祝福をありがとうございました。僕、頑張ります」
「家に帰るのなら送ろう。ローレンス夫人が心配している」
「いいえ、すごく元気になったので、ちょっと修行してから帰ります」
拳を握りしめて、元気のアピールをすると、エルバートは肩を震わせて笑った。
「ふふ、そうか。では、頑張りたまえ」
「はい!」




