【1】騎士志望の少年
西に海の見える炭鉱街ウォルグの丘で、金髪の少年と茶髪の青年が剣の訓練をしていた。
金髪の少年は小柄で、まなじりの吊り上がった気の強そうな顔立ちだ。一房だけ伸ばした髪を細い三つ編みにしている。
茶髪の青年は、目尻も眉尻も垂れ下がった優しげな顔立ちである。背は高いが、あまり威圧感はない。
二人ともサスペンダー付きのズボンに汚れたシャツを合わせ、そこに簡素なベストを引っ掛けていた。この街ではよく見る、ありふれた服装だ。
「やぁっ」
金髪の少年が姿勢を低くして、茶髪の青年の懐に飛び込もうとする。
それを茶髪の青年が冷静にかわし、距離を取った。
木剣を振るう二人の動きは、街の荒くれ者のそれとは違い、きちんとした型がある。剣の握り方も、ロングソードを想定した握り方だ。
再度突っ込んできた金髪の少年の剣を、茶髪の青年は的確に跳ね上げる。そうして、やんわりとした口調で指摘した。
「テオ、切り返しが甘い。剣先も上がってるよ」
「ちょっと手汗で滑ったんだ」
テオと呼ばれた金髪の少年は唇を尖らせて反論し、そこでハッとしたような顔をする。
「……いや、アレンの言うとおりなのに、僕は己の弱さに言い訳をしてしまった。騎士にあるまじき不誠実だ。反省する」
「それは流石に、気にしすぎじゃない?」
アレンは呆れているが、テオは真剣だった。
テオが憧れている英雄、高位聖騎士エルバートなら、こんな情けない言い訳はしない。
「聖騎士の息子なら分かるだろう、アレン。呪魔は心の弱さにつけ込む。だからこそ、騎士は常に強い心を持っていないといけないんだ」
騎士はかくあるべき、と口にするが、テオもアレンも別に騎士ではない。
二人ともこの街の炭鉱夫だ──とは言え、一四歳のテオはまだ見習い扱いである。ツルハシを振るうよりも、ランプ磨きやクズ拾いなどの雑用が主な仕事だ。
それでもテオは、いつか騎士になるのだと心に決めていた。
そのために、父が聖騎士だったアレンに、こうして剣の稽古をつけてもらっているのだ。
テオは剣を構え直したが、アレンはあまり気が乗らないようだった。
「テオ。少し休憩しよう」
「僕はまだまだ戦える」
「仕事に支障が出ても困るでしょ。また、この間みたいに炭箱の裏で居眠りする気?」
「うっ」
先週の出来事を思い出し、テオは思わず口ごもる。
テオは真面目な少年である。誓って仕事をサボったりなんてしない。
ただ、その日はギリギリまで訓練をしていた上に、大量の雑用が重なって、終業時間と同時に炭箱にもたれてウトウトしてしまったのだ。
アレンが起こしてくれなかったら、そのまま次の就業時間まで寝こけていたかもしれない。
体が大きくて体力のあるアレンと比べて、テオはずっと貧相で疲れやすい。アレンは体力のないテオを気遣っているのだ。
何も言い返せないテオに、アレンが険しい顔を取り繕って釘を刺す。
「テオは小さいから、探すのが大変なんだよ」
「うぐぅ……なんだよ、自分は大きいからって……」
アレンは険しい顔から一転、とても優しい顔になった。
慈悲すら感じる笑顔だ。
「テオ、そろそろ現実を見よう。俺が大きいんじゃなくて、テオが小さいんだよ」
慈悲深い顔で無慈悲だった。
「ぐぬぬぬぬ……!」
テオは怒りに眉を吊り上げつつ、それ以上の反論を飲み込む。
過去の失敗を掘り返されるのは悔しいが、あの時は、アレンがちゃんと自分を見つけてくれたことに安心していたからだ。
どうにもテオは影が薄く、人から忘れられがちなのである。きっと背が低いせいだ。アレンぐらい大きくなったら、もっと人の記憶に残れるのに、とテオは常々思っている。
その時、街の方から「おーい」と幼い少年の声が聞こえた。
こちらに駆け寄ってきたのは、黒髪の姉弟だ。姉のマリーナは一五歳、弟のピーノは一〇歳。二人とも炭鉱街に住む、テオ達のご近所さんだ。
少し鈍臭い姉のマリーナを置き去りにして、弟のピーノが丘を駆け上り、テオ達のもとに辿り着く。
ピーノは息を切らしながら言った。
「アレン! それと、えーと……セオ?」
名前を間違われたテオは、頬を引きつらせながら「テ、オ」と主張する。
だが、ピーノはテオのことなど、ろくに視界に入っていないらしい。アレンを見上げて声を張り上げた。
「坑道に呪魔が出たって!」
少し遅れて追いついた姉のマリーナも、ずれた眼鏡を直しながら、弟の言葉を補足した。
「東の一三坑道。お父さんも潜ってるの……!」
黒髪の姉弟の言葉に、テオはゴクリと唾を飲む。
(遂に、きた……)
緊張に背中のあたりの筋肉が強張って、それが指の先まで広がっていく気がする。剣を握る手が、冷たい汗で滑った。
そんなテオに、アレンが声をかける。
「テオ、行ける?」
いつも優しげなアレンだが、こういう時はしっかりとした芯のある声を出す。それが心強い。
(僕は、高位聖騎士エルバートみたいな騎士になるんだ)
テオは大きく息を吸い、己を鼓舞するように声を張った。
「あぁ!」
二人は頷き合うと、丘を駆け下りた。
丘は決してなだらかではなく岩場まじりで、どこもかしこもゴツゴツしている。
長身のアレンは長い足を持て余さず、足場の悪い丘を駆け降りた。アレンはいつもおっとりしているけれど、体の使い方が抜群に上手いのだ。
小柄なテオは、時に足場をピョンピョン跳び移りながら、アレンに続いた。
(アレンが俊敏な馬なら、僕は坂を転がり落ちるボールだ)
大事なのは、自分の体を把握すること。
どこまで届くか、どこまで曲がるか、どこまで耐えられるか、どこまで持ち上げられるか、どこまで跳べるか。
アレンに剣を教わる時、よく言われる言葉だ。
(僕の足は、跳躍は、あの岩まで届く)
テオは左斜め下の岩場に向かって跳び、着地する。この距離がテオが跳べる距離──アレンには、まだまだ届かない。
そのことがテオは悔しかった。
* * *
テオが呪魔討伐に挑むのはこれが初めてではない。過去に三回参加しているが、一回目は恐怖に足が動かず、何もできずに立ち尽くしたまま終わった。
二回目は、せめて足だけでも動かさなくてはと一歩踏み出し、すっ転んで何もできなかった。
三回目は、もう少しだけ足が動くようになったが、どう立ち回れば良いか分からず、大人達の周りをチョロチョロしただけで終わった。
(今日こそは……)
テオとアレンは崖を駆け下り、炭鉱の入り口に向かう。
呪魔が出たことで、中にいた何人かは外に避難してきているらしい。その一人にアレンが声をかけた。
「呪魔が出たと聞きました。大きさはどのぐらいですか?」
「馬を取り込んだやつだ。おそらく二等級。出たのは東の一三坑道奥のあたりだ」
そのやりとりを聞きながら、テオは頭の中で坑道の地図を広げた。
テオは体格や腕力でこそアレンに劣るが、勉強は得意なのだ。坑道の地図、鉱夫の配置、採掘予定に備品の消耗速度まで、大体把握している。
(珍しいな。呪魔が出るにしては、随分深いところだ……)
テオが考え込んでいる間に、アレンは木箱に雑に放り込んであった剣と盾を手に取った。
盾は木製だが、剣は訓練用の木剣とは違う、赫鋼製の少し良い剣だ。銀色の刃は光の加減でたまに赤みを帯びて見える。
テオは盾は持たず、剣だけを手に取り、ついでにランタンも引っ掴んで、昇降機に飛び乗った。
二人は剣を腰に差し、ランタンも腰のベルトに固定して、昇降機の手すりを両手でしっかりと握りしめる。盾を持ち込んだアレンは、脇で挟んでしっかり固定した。避難していた炭鉱夫が「気をつけろよー!」と声をかける。
アレンが昇降機のレバーに手をかけ、テオを見た。
「テオ、振り落とされないでね」
「分かってる!」
アレンが昇降機のレバーを下げると、二人が乗った籠は勢いよく降下した。降下というより、ほぼ落下に近い速度だ。
建物五階分ほどの高さからの落下は、何度経験してもスリリングである。特に小柄なテオの場合、手すりにしっかり掴まっていないと、吹っ飛ばされかねないのだ。
やがて、ゴウンと大きな音を立てて、降下が止まった。
二人はそれぞれ剣とランタンを握って昇降機を降り、横に伸びる坑道に潜る。こういう時の先頭はテオだ。
東の一三坑道は、アレンが普段採掘を担当している場所ではない。一方テオは雑用係で、炭鉱中を駆け回っているし、地図に載っていないような坑道内の横道も全部覚えているのだ。
先を進みながら、テオはボソリと呟いた。
「東の一三坑道……嫌な場所だな。少し前に湧き水が出たところだ」
「汲み上げ機は、もう設置したんだっけ?」
「うん、水抜きが進んで、採掘が始まったばかりのはずだ」
坑道における出くわしたくないものと言えば、湧き水、ガス、そして呪魔だ。
湧き水は時に勢いよく噴き出して人を流すし、ガスはランタンの火に引火して大爆発、呪魔は人を襲って、呪いを植えつける──どれも炭鉱夫にとって恐ろしい災害だ。
二人は慎重に耳を澄ませながら、坑道を移動した。奥の方からは、残った炭鉱夫達の怒鳴り声が聞こえる。それと、馬のいななきも。
炭鉱では横移動の荷運びの際、馬を使うこともあるが、あの鳴き声は多分違う。
(この先に、呪魔がいるんだ)
まずは相手との距離を確かめて、剣は正しく握り……と、テオはやるべきことを挙げていく。
強張った顔のテオを見て、アレンが言った。
「馬を取り込んでいるらしい。突進に気をつけて」
「うん」
「練習通りにやれば大丈夫」
「うん」
「テオは騎士になる気がない」
「うん…………ううんっ!」
若干上の空で返事をしていたテオは、眉を吊り上げてアレンを睨む。アレンは小憎たらしいほどニコニコしていた。
テオは全身の負けん気をかき集め、剣を掲げて宣言する。
「僕は英雄エルバートみたいな騎士になるんだ! この剣に誓って!」
「それ、炭鉱の備品……」
「行くぞ、アレン!」
勇ましく進むテオの背後で、プッと小さくふきだす声が聞こえた。
「ほら、いつもの調子に戻った」
そう言ってアレンは盾を掲げ、テオより前に進む。
坑道の奥、少し開けたその場所では、数人の炭鉱夫が黒い馬の化け物から逃げ回っていた。
黒い馬の化け物──正確には、馬を取り込んだ呪魔だ。
呪魔は、〈忘却の海〉を超えて大陸に侵略してくる、不定形の赤黒い化け物で、取り込んだ生物を真似るという性質がある。
呪魔は基本的に人間を取り込むことはない。何故なら、呪魔にとって人間とは、増殖するために必要な媒介だからだ。
代わりに、人間以外の生き物を──動物や魚、鳥などを取り込んで、その動きを真似る。
今、目の前を走り回っているのは、赤黒い毛並みと赤い目を持つ馬だ。よく見ると筋肉やたてがみまで再現している。
だが、見た目が馬だからといって、人参で大人しくなるわけではないのだ。現に、黒い馬は鉱夫達を追い回している。
逃げ回っている炭鉱夫達の一人──鉱夫頭のガットが、こちらに気づいて声をかけた。
「アレン! チビ! 赫鋼は持ってきたか!?」
「この二本だけです!」
アレンが応じると、ガットが物陰から手を振る。
「よし貸せ! こっちに投げろ!」
「投げるのは危ないですって」
アレンがそう言ったにもかかわらず、他の鉱夫達まで口々に「こっちだこっち!」「こっちに寄越せ!」と言い出した。
彼らは、自分の手でこの厄介な化け物をぶち殺してやりたくて仕方がないのである。ウォルグの鉱夫は喧嘩っ早くて血の気が多いのだ。
その時、馬の姿の呪魔が、アレン目がけて突っ込んできた。アレンは図体がデカいので、こういう時、真っ先に狙われやすいのだ。
アレンは体を捻って突進をサラリとかわし、ガットに訊ねた。
「親方達の剣はないんですか?」
「落盤で埋もれちまったんだよ!」
どうやら呪魔対策で念のためにと持ち込んだ剣は、タイミング悪く起こった小規模落盤で埋もれてしまったらしい。
そうなるとツルハシで応戦するしかないのだが、ツルハシは呪魔を倒すのに向いていない。呪魔は体積を半分以下にしないと倒せないからだ。
馬を取り込んだ呪魔は、ブルルと馬の鼻息を真似ながら、再びアレンに向かって突っ込んできた。
同時に、今までフサフサ感を再現していた馬の尾が、細く長く伸びる。蛇にも似た尾刺棘は僅かに赤みを帯びており、先端には太く鋭い鉤爪が生えていた。この尾刺棘が呪魔の武器だ。
呪魔は獲物が人間以外の時は、尾刺棘の先端にある鉤爪で獲物を抉り、弱らせたところを取り込む。
そして獲物が人間の時は、取り込まずに尾刺棘で呪いを植え付けるのだ。
呪いは人間を内側から支配し、最後は全身を飲み込んで、新しい呪魔となる。そうやって呪魔は増えていくのだ。
剣を握るテオの手が震える。
初戦闘は一歩も歩けなかった。二回目と三回目も役立たずだった。
(……足は、動く)
ブーツの底が、ザリザリと地面の上を滑る。
大丈夫だ、きっとできる。そう自分に言い聞かせるため、テオは口を開く。
「『高潔なる英雄、高位聖騎士のエルバートは……』」
それは何度も耳にした英雄譚。
続く言葉を何度も心の中で繰り返し、剣を握りしめてきた。だから、頭より体が覚えている。テオは叫んだ。
「『どんな窮地でも諦めない』ッ!」
そう言い聞かせると、乱れていた構えが──剣の握り方、腕の角度、足の開き具合、重心など──それらが自然と整う。
再度突進してきた呪魔をアレンが盾で押さえ込んでいる隙に、テオは呪魔の背後に回り込んだ。
生物を真似た呪魔には赤い目があるが、実際はほぼ全身が感覚器官なのだという。つまりは体中に目がついているようなものだ。どの方向から攻撃しても、不意打ちにはならない。
それでも、二人同時に別方向から攻撃を仕掛ければ、呪魔の意識を分散することはできる。
「やぁっ!」
テオの剣が、呪魔の後ろ足を抉った。
馬の体がバランスを崩した隙に、今度はアレンが盾を下げて、右手の剣で首を刎ねる。
大柄なアレンが敵をひきつけ、その隙にテオが攻撃して、敵の体勢を崩す。体勢が崩れた敵にアレンが更に攻撃。それが、二人が練習してきた戦い方だ。
呪魔には明確な急所が存在しない。倒すためには、体積が半分以下になるまで、斬って、斬って、斬りまくるしかないのだ。
テオとアレンは立ち位置を変えつつ、呪魔を斬りつけた。
剣に伝わってくる感触は、生き物の肉を断つ時のそれに似ている。骨がないだけマシだが、それでも勢いよく斬りつけていれば、段々手が疲れてきた。
手から剣がすっぽ抜けないよう、テオは歯を食いしばる。
(大丈夫。まだ戦える。毎日いっぱい訓練してきたんだ)
呪魔は一度は引っ込めた尾刺棘を、今度は首の断面から伸ばしてきた。
それを素早くアレンが盾で防ぐ。
「テオ!」
アレンの声に背中を押されるように、テオは剣を振りかぶる。
(英雄エルバート、僕に力を……!)
尾刺棘が生えている首の断面目がけて、剣を振り下ろす。
勢いののった一撃は、尾刺棘を鮮やかに切り落とした。
ボトリと地面に落ちた呪魔の残骸は、次々と硬化していく。
呪魔は基本的にブヨブヨした赤黒い塊で、生物を取り込むとそれに似た質感になる。そして、切り落とされた部位や亡骸はこうして硬化するのだ。
テオは念のため、足下の黒い残骸を、剣の先でコツコツと突ついてみた。一番大きな塊も、しっかり硬化している。
「たお、した……」
初めて呪魔退治に成功したら、何か格好良いことを言おうと決めていたのに、いざ倒した時、口をついて出たのは単純な喜びの言葉。
「やっ……たぁ──!」
途端に物陰に隠れていた鉱夫達が、ドッと声を上げて飛び出してくる。
彼らはテオとアレンを揉みくちゃにした。
よくやった、と背中を叩いて褒める者もいれば、ご機嫌な口笛を吹いている者もいる。
そんな中、鉱夫頭のガットは、太い手でテオの頭をグリグリ撫でた。
「まったく、ガキが無茶しやがって!」
「う……すみません」
思わず萎縮するテオに、ガットが太い眉を吊り上げ怒鳴る。
「気の利くチビが欠けたら、俺らの仕事に支障が出るだろーが!」
テオは驚き、思わず口を半開きにした。
だって、自分は非力な鉱夫見習いだ。ろくにツルハシも持たせてもらえず、任される仕事は雑用ばかり。
だから、自分が欠けて、何かに支障が出るなんて考えもしなかったのだ。
ガットはテオの仕事ぶりをちゃんと覚えていてくれた。評価してくれた。そのことが嬉しくて、テオの胸は弾んだ──が、それはそれ。これはこれ。
テオは声を張り上げ、主張した。
「チビじゃなくて、テオです! テ、オ! あと親方、採掘計画書をまた事務所の机に出しっぱなしにしていたでしょう。あれ、片付けましたからね。今日失った赫鋼の剣の補充に関する書類は水色の表紙の綴りですよ」
「ね? うちのテオは、気の利くチビでしょう?」
アレンの言葉に、鉱夫達は一斉に声をあげて笑った。




