兆し
学園での魔獣襲撃から数日——
王都全体が、静かな緊張に包まれていた。
王立学園で起きた“結界内での魔獣出現”は、本来あり得ない出来事だ。
事件は即座に王宮へ報告され、王都中の貴族たちが不安を隠せずにいた。
王宮の会議室には、重々しい空気が漂う。
長机の上には報告書が山積みされ、王と高官たちが険しい顔を並べていた。
「……近頃、王都近郊でも魔獣の出現が相次いでおります。特に北の森では被害が拡大、数も質も以前とは比較になりません。」
報告の声が響くたび、場の空気が一段と冷え込む。
王はゆるやかに息を吐き、問うた。
「王都の結界は、問題ないのか?」
「はい、陛下。王都内部に侵入した例は学園での事件以降確認されておりません。しかし——何かが“変化”しているのは確かです。」
何百年と続く王都の結界は絶対の防壁。
今までこのような事例はない。誰もが言葉を失った。
レオンハルトは沈黙の中、ひとり報告書に目を落としていた。
だが、心は別の場所にある。
(……やはり、アーヴェントの二人が関係している)
学園の結界を突破した魔獣。
そして、あの異様な魔力の暴走——。
リアン・アーヴェントの中に眠る“何か”が反応したのを、彼は確かに感じ取っていた。
だが、それ以上に不可解だったのは。
(……リディア・アーヴェント嬢だ)
彼女がリアンに触れた瞬間、暴走は止まった。
あれは偶然ではない。
彼の力が、まるで彼女の存在に“従った”ように見えた。
(祝福の力ではない。
……まるで、彼女自身が何かを——)
思考の奥に焦燥が走る。
あの出来事の光景が、何度も脳裏をかすめた。
血と魔力の匂いの中で、怯えながらも前に立った彼女の姿。
その目に宿る強い光が、忘れられない。
「殿下、今後の方針をどうされますか?」
重臣の声が思考を引き戻す。
レオンハルトはゆるやかに立ち上がり、視線を王へ向けた。
「王都外の異変を調査します。第一・第二騎士団を派遣し、現地の状況を確認してください。情報が揃い次第、私が直接動きます。」
「はっ、承知いたしました。」
ざわめきが収まり、再び会議室に静寂が戻る。
だが、レオンハルトの胸の奥だけは、なおざわついていた。
(……リディア。あなたは一体、何者なんだ)
自分でも理解できないほど、思考の中心に彼女がいる。
理性が警鐘を鳴らすたびに、心は逆に惹かれていく。
まるで、抗えぬ運命に手を引かれているかのように。
ふと、王の低い声が響く。
「レオンハルト、お前が直々に動く必要があるのか?」
彼はわずかに微笑み、頭を下げた。
「はい、陛下。この異変は放置できません。
……王都を、民を、そして——守るべき者を守るために。」
その瞳には、理性と抑えきれぬ熱情が交錯していた。
窓の外では、遠くで雷鳴が響く。
まるで何かが、静かに目を覚まそうとしているように——。




