帰路──揺れる馬車の中で
市場を出ると、薄い光が差し込む。
馬車の側で待っていたのは、
リディアの専属メイドのミリアだった。
「お嬢様……その少年は?」
「後で説明するわ。ひとまず馬車を。」
「……承知しました。」
特に追求することもなく、ミリアは馬車の扉を開け、
ふわふわのブランケットを置いてくれた。
(必要以上の詮索はせず、必要なものだけ用意してくれる。ミリアは本当に仕事ができるメイドだわ)
ミリアが一礼して私たちの向かいに腰掛けると、馬車は静かに動き出した。
揺れる馬車。座席の端っこに座るリアンは、膝を抱えてすごく小さく見える。
「リアン、もっとこちらに寄っていいのよ。こっちの方が柔らかいでしょう?」
「……あったかい……」
やっと出た声は震えていて、胸がギュッと痛む。
「うちに着いたら、暖かい部屋と服を用意するわ。痛いことも、怖いことも、もう二度とないから安心してね」
「……ほんと……?」
「本当よ。私は嘘つかないわ。」
リアンは恐る恐るリディアの袖を掴む。
馬車が揺れると、リアンはビクッと肩を跳ねさせ、
リディアにしがみつくように寄ってきた。
「大丈夫よ、馬車が揺れただけ。
誰も貴方を傷つけたりしないわ」
「……また……あそこに……もどる……?」
「戻らない」
はっきりと言い切ると、リアンの赤い瞳がじっとリディアを見つめた。
「貴方はもう“リアン・アーヴェント”。
私の……弟よ。」
「……すてない……?」
「捨てるわけないでしょう。」
リアンは泣きそうな顔で、それでも信じたくて、言葉を探すように呟いた。
「……おねえさま……」
その一言で、胸がじわっと熱くなる。
こんなに幼い少年が今までどれだけの苦しみを抱えてきたんだろう。
「ええ。私は貴方のお姉様よ。」
馬車の窓の向こうに、アーヴェント公爵家の白を基調とした屋敷が見え始める。
「……ここ……おうち……?」
「そうよ。あなたのお家。」
リアンは、その光景を食い入るように見つめ――ぽたり、と涙を落とした。
「……ただいま……って……
いって……いい……?」
「もちろんよ。
あなたは、帰ってきたんだもの。」
その瞬間、リアンの赤い瞳がほんのり光を帯びた。
リディアはまだ知らなかった。
それが“力”の兆しだということを。




