銀の底石を散りばめた金魚鉢
観賞魚を取り扱う店があった。
いつの間にかに出来ていたその店は駅からの帰り道にあった。
木で出来た軒先に風鈴が吊り下げられている。
「前はなにがあったんだっけ?」
最初に気が付いたのは夏休み。部活動の帰り、幼なじみのミカちゃんとそんな話をしながら店の前を通り過ぎた。
それから1週間くらいした後、ミカちゃんがその店に寄りたいと言った。
「みおちゃん、あの店に寄ってかない?」
「あの店?」
「新しく出来たさかな屋さん? さかな屋さんって言うと食べる魚を買うお店みたいだね」
そう言って、ケラケラと彼女は笑った。
午前中で部活動が終わり時間があったし、彼女の提案を了承した。
「でも、面白いものあるかなぁ?」
「わたし、ペットショップで動物とか見るの好きなんだ」
「そっか」
正直に言うと、苦手だ。
特に水槽に入れられた魚が死んだような目をしてたくさん泳いでいるのを見ると、漠然とした恐怖を感じる。
とはいえ、隣で無邪気に笑う友人の前でそんなことは言えないが。
「あっついね。この電車、クーラー壊れてんじゃない?」
「みおちゃんって名前に似合わず暑がりだよね」
「どーゆー意味よ」
「涼しそうな名前してるのになぁ、て」
「名前は関係ないでしょ」
「暑いのは確かだけども」
とりあえず話題を変えるのに適当な話を口にして、電車に揺られる。ふとした拍子に水槽の中で揺らぐ水草が思い浮かんだ。
(どんだけ行くの拒否ってのんよ、アタシ……ミカちゃんにバレたりしないかな……?)
他愛のない会話を交わしながら例の店までやって来る。
夕方に見る店構えよりはいくらかマシだが、やっぱりどこか暗い雰囲気に尻込みしていると、ミカちゃんは臆面も無く店内に入っていった。
「やあ、いらっしゃい。若い子がこんな店に来るなんて珍しいことがあったもんだ」
店主と思しきお兄さんが気怠げに愛想笑いを浮かべる。
「お探しの魚でもいるのかい?」
「金魚を見たくて」
「ああ。それならあっちの棚だよ」
お兄さんは椅子から立ち上がると、店の奥にある棚まで案内してくれた。
「最近はSNSとかあるだろう? 変わった品種を名指しするお客さんとかも多くてねぇ」
「あー。まあ、確かに見かけますね」
「金魚ってさ、元々は鑑賞用に品種改良された魚なんだよ。元はフナっていうその辺の川にもいる在り来りの魚なんだ」
「へ、へぇー……そーなんですか……」
いや、知ってるがな。それくらいは。
そうは思っても、わざわざ説明してくるお兄さんの話に相槌を打ちながら、じーっと金魚を見つめるミカちゃんの横顔を見つめていた。
(なにが楽しいのか、分からん……)
彼女は"在り来り"な金魚を見つめて言った。
「10匹ください」
「えっ!?」
思い切りのいい数字に少し驚いて思わず声を出してしまった。
「まいど」
お兄さんの方はさも普通と言った具合で手際よく網で金魚を掬うと、10匹きっかり袋に入れる。
「そっちのお嬢さんは買わないのかい?」
「いえ、私は大丈夫です」
「家に金魚鉢とかないの?」
「昔、飼ってたので、あるにはありますが」
そんなやり取りをしていると、お兄さんは袋にもう一匹の金魚を入れた。そして別の袋に一匹の金魚と水草を入れて私に手渡す。
「お友達がたくさん買ってくれたからお嬢さんにもサービスしてあげる」
「いえ、私は……」
私が断ろうとしていると、会計を済ませたミカちゃんが強引に私の胸元に金魚の入った袋を押し付けた。
「せっかくだから、みおちゃんも飼ってみようよ! 飼ってみたら可愛いかもよ?」
「うぅ、そんなぁ〜」
夏祭りの金魚すくいした後に渡される金魚を家に持ち帰る時のやるせなさのようなものを味わいながら観念して受け取ると、お兄さんは言った。
「エサはうちで買ってね」
「そういう魂胆ですか、やられましたよ」
入店した時と打って変わって自然体な笑顔を見せるお兄さんに私は少し油断した――、いや、してしまった。
店を出て、ミカちゃんと二人で歩いていると、彼女は不意に呟く。
「在り来りの金魚をこんなに買ってどうすんの?って聞かないの」
「まあ、人それぞれ趣味はあるし? 私も一匹飼い始めたら分かんないし?」
「そっかそっか」
ミカちゃんとはそんな会話をしながら帰宅した。
夏休みが終わって学校が始まると、お互いに忙しくなってミカちゃんと一緒に帰る機会も少なった。
彼女は部活動が終わると足早に帰宅することが増えて、彼氏が出来たんじゃないか。とか、そんな憶測がみんなの間で広まった。
「まあ、ミカちゃん可愛いし。むしろ今まで居なかった方がおかしいって」
「女っ気のないアタシらと違うからねぇー」
「えー、それ僻みじゃない〜?」
「なわけ。可愛いって褒めてんの」
「まあ、運動できるできないに顔とか関係ないからね。この場合だとアタシらがミカちゃんに勝てるところないって話なんだけど」
同級生達がそんな会話を始めると、私は自然に口数が少なくなる。そんな私に気が付いたのか、クラスメイトの一人が私に声を掛けた。
「みお、どーしたの?」
「ん、いや……今日の練習もハードで疲れたなって……」
「わかる。センパイら居なくなってのんびりやれるかと思ったらミカちゃんのレベルでアタシらまでやらされるから堪んないよね」
「まあ、それはあるねぇー」
私がミカちゃんと仲良いのを知ってて言ってくる、その清々しさがモテない理由だろ。とも思いながら、家で飼ってる金魚が鉢の中で苦しそうに口をパクパクさせてる姿を思い出す。
(人間関係には良くあることだ、気にしない……)
だから嫌いなんだ――、ペットなんて――。
それから数ヶ月、3年生になる目前にミカちゃんは部活を辞めた。彼女は誰よりも努力して上手くなって、可愛くなる為に人よりも何倍も勉強していたのに知ろうともしない人には伝わらなかったんだなって思った。
私はただ、止められなかった。
――ミカちゃんの気持ちも、陰で妬んでいた同級生の悪口も。
そして、それきり彼女とは疎遠になってしまった。
あの日にもらった金魚は、今日も金魚鉢で死んだ目で口を動かして生きている。
朝にエサやりした時にあの子の目に映っていた私の目も多分やっぱり死んでいたと思う。
二人で帰っていたあの時のような暑さの日、ふとした帰り道にエサを切れそうなことを思い出して、あの店に寄ることにした。
「あ、ミカちゃん……」
彼女は店先で"金魚の入った袋"を吊り下げ、店主と楽しそうに話してた。
その笑顔を見た時に安心したような気がしたし、夕方の薄暗い雰囲気がそうさせたのか、ぞわりと背筋が凍る思いがした。
「また金魚を買ってるの?
あんなに……たくさん……?」
声をかけようか迷ったけど、私は彼女が帰るまで横道に隠れてしまった。
ミカちゃんが帰ってから店に入ると、店長はいつもの営業スマイルでこちらを見やった。
「やあ、いらっしゃい。お探しの品種でもあるのかな?」
「毎回それ言わないでください。私は金魚のエサしか買いませんよ」
「つれないねぇ、まあエサを買っもらえるだけでも有り難いんだけどね」
いつもと同じ一番安いエサを無言でレジに置く。
「金魚はね、本当は鑑賞用に作られた品種なんだ」
「またその話ですか、知ってますよ」
店主はお釣りを私に手渡して、いつもは言わない一言を付け足した。
「けれども、家畜やペットが飼われる前提だとしても。
――あの子らが生き残る為の努力をしてきてはいないって誰が決めたんだろうね」
その一言が何故だがとても胸に沁みた。
家に帰ると、あの子は水面まで浮かび上がって仰向けのまま動かなかった。
金魚を庭に埋めた後、私は金魚鉢を叩き壊した。
打ち捨てられた水草の水滴が地面に落ちていくのを見下ろすと、散らばった銀色の底石がキラキラと輝いて見えた。
ーおしまいー
ハジメマシテ な コンニチハ!
高原 律月です!
今回は少し暗めのお話にしてみました!
それではまた、次回〜 ノシ