第7話 マリアナは本気出せば凄いはず! 信じて拗らせる王太子レンベール
ドン
――と、背中へ鈍い衝撃を受けて息が詰まる。
「んぐっ……はっ」
肺の中の空気が押し出され、奇妙な音が喉からこぼれた。
「っく、んだよ。二日続けてっ」
陽翔は、床に打ち付けた背中を庇いつつ、ゆっくりと上体を起こそうとする。だが今日はやけに身体が重い。ボンヤリとそんなことを考えていると、「いったぁ」と耳のすぐそばで少女の声が響いた。
(近い!?)
反射的に声の方向へ首を向ければ、陽翔に斜めに折り重なり、美しい面立ちの少女が倒れている。彼に向けられた顔は、落下の痛みに耐えてギュッと目が閉じられ、吐息が届く距離にある。
(えっ!? 誰コレ? めっちゃ美少女なんだけどっ)
いや、誰かは分かっている。けれど心が否定するのだ。2日にわたって突き飛ばされる、暴挙に遭った身としては。
それでも事実として少女は、見れば見るほど芸能人やモデルなどよりも遥かに清楚で、これまで目にした誰よりも美しい。
年齢こそ自分とはそう変わらない彼女は、美しいと云う一点だけで、全く別の生物にすら見えた。白いきめ細やかな肌に、うっすらと桃色に染まる頬、艶やかなサクランボ色のふっくらとした唇、長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられていることで一層神秘性を帯び、名作絵画の女神よりも整った面立ちが、濡れ羽色のサラサラの長髪によって更に引き立てられている。
その美麗な顔が、ぐわりと目を剥いて大きく歪んだ。
「な、な、な、なっ! なにしてくれるんですかっ!!」
豹変した少女に、やっと人間味を感じることが出来た陽翔は、ようやく詰めていた息を吐く。
「は!? 何って、こっちのセリフだっての! 窓乗り越えさせようとしたかと思ったら、途中で強引に押し出そうとして、危ないだろうが!! おかげで身体は捻るし、変な落ち方するしっ!?」
「それは、殿下があなたを切ろうとするから、安全な異界へお戻しすべきだと判断したからでっ! ちょっとだけ荒っぽいやり方になっちゃったかも、とは……。えーと、確かに思わなくも、ないかもしれなくも……ごにょごにょ」
「いや、本当にごにょごにょ言うのかよっ!?」
強引だった自覚はあるのだろう。しゅんと意気消沈すると共に、間の抜けた狼狽え方をし始めた少女の反応に、陽翔は堪らずブハリと噴き出した。おろおろと謝罪を口にするタイミングを計っていた少女だったが、きょとんと目を見開く。
「………………えがお」
ぽつりと呟いて、食い入るように見詰める。
「え? ちょっと、なに!? 俺が笑ったのがそんなに変なの? そんな真顔で見られるようなこと?」
「だって、殿下の笑顔をはじめて見たから……」
言いかけて、陽翔をじっと見詰めると、左右に首をゆるゆると振る。
「ううん、そうじゃないですね。あなたのお顔が、殿下にそっくりなんです。けど、殿下はいつも怒ってばかりで、笑顔は、見たことがなくって……。けど、きっとそんな感じなんだろうな、って」
陽翔の笑顔に、少女が言う「殿下」の顔が重なったらしい。自分に真っ直ぐ向けられた目が、別人を見ていると知って、胸の奥に苦い澱みを感じる。
(なんで? 誰かに下手に関心を持たれるのは嫌いだから、俺に他人の面影を重ねて見られたって、何の問題もない。興味を持たれないのは、むしろ好都合のはずなのに)
陽翔は、微かに感じる苛立ちに首を傾げ、じっと少女を見詰めた。
◇ ◇ ◇
異界へと落ちかけたマリアナに、咄嗟に伸ばした手はしっかと届いていた。
だが近衛兵らが駆け寄り、口を開けた異界に近付きすぎたレンベール王太子を引き戻した。
「なんてことだ……」
愕然とした呟きが、聖女の姿を掻き消した礼拝堂の壁に当たって消える。
近衛兵らの的確な動きにより、王太子の安全は確保され、彼はこの世界に留まった。けれども聖女は魔物とともに異界へ飲まれてしまった。
いつも自信なさげに謝罪ばかりを繰り返し、王国一の優れた魔導の教師を付けて聖女の魔法の特訓を積ませても、いっこうに魔物を華々しく駆逐する素振りを見せない。聖女たる多大な魔力を持っているのに、魔物の駆除では使いこなせない。役立たずの呼称を享受し続ける、愛すべき不器用な婚約者。
「マリアナっ!! どこだっ!? 返事をしろ! マリアナぁあぁぁぁあっ!!!」
必死に叫ぶ声は、冷静で自分にも他者にも厳しい普段の王太子とはとても思えない取り乱したもの。
マリアナが王太子たる自分の婚約者で、共に国を背負って行く立場なのだと自覚すれば、もっと能力は伸びるはずと信じて、声を掛け続けた。聖女の力を持つ重要性を、口を酸っぱくして解き続けた。
その尽力も虚しく、いつまでも自信のなさから脱却出来ないマリアナは「役立たず聖女」の汚名を返上する気配を見せない。
けれど、レンベールは賭けたのだ。例え父王が、マリアナの血筋の悪さ故に、貴族からの協力を得ることが難しいと難色を示しても――パレス公爵家随一の聖女たる魔力の強さを持つマリアナとなら、理想の安寧の国家を築ける。そう将来展望を描き、強引に自分の婚約者の座に据えた。
父王からは「分かっていると思うが、弟が成人を迎えるまでの猶予だ」と苦言を賜っている。マリアナが、貴族の信任を得られる成果や能力を示さねば、王太子の座は弟のものになるのだ。
けれど、レンベールは信じている。
彼女は弱気に「ごめんなさい」を繰り返す役立たずなどではなく、自信と力に満ち溢れた聖女となり、自分と手を取り合って共に王国を治めるべき存在となるはずなのだ――と。
「マリアナーーーー!!」
その掛け替えのない少女が、一瞬のうちに異界の口に魔物と共に飲み込まれてしまった。




