第5話 役立たず聖女マリアナは、魔物を退治したくない
王城の一角にある礼拝堂に、レンベール王太子によって閉じ込められてから一昼夜が経つ。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……ってばぁ」
白い列柱に囲まれた高い天井に、ションボリと繰り返されるマリアナの声が反響する。
昨夜、マリアナは異様な気配を感じてこの場所を訪れていた。直観は当たり、その場に忽然と開いた異界の扉から、王太子そっくりな魔物が姿を現したのだ。幸い――かどうかは分からないが、少々強引な方法で彼を送り返す前に、その風貌を正確に目にしなかった王太子は、彼を「不貞相手」と騒ぎ立てた。けれど、異界の扉と共に消えた彼をついぞ見付けることが出来なかった王太子は、ようやくマリアナの言った通り、少年が異界の扉から現れた「魔物」だとする言葉を信じてくれたのだ。
それで安心した途端のこの仕打ち。魔物ならば倒して聖魔力を磨けと、そう云うことなのだろう。
「はぁぁーーーーーーーーー……。嫌だよもぉ。ごめんなさいってばぁ」
特大の溜息と泣き言をこぼして、マリアナはへたりと床に座り込む。
人の目の多い公爵邸であれば、即座に侍女や家庭教師からの叱責を受けるだろうが、ここは王城内の礼拝堂で、しかも絶賛軟禁中だ。どんな雑な言葉を心のまま発しても問題などない。
「わたしは殿下と婚約させられた15歳になるまで、血だけ繋がった高貴なオトーサマの存在も知らない平民だったんだからぁ。もぉ、謝るから元のところに戻してぇ……。
王太子妃なんて、一生のうちで見ることもないはずのモノになる覚悟なんてあるわけないし。それに聖女の血筋に生まれた責任? 知らないわ……おかぁさんは、そんなの何にも教えてくれないまま逝っちゃったんだもの」
マリアナは、魔物を退け、人々を助ける聖なる力を持つ稀少な聖女の一人だ。いや、最後の一人になるかもしれない貴重な末裔だ。
代々の聖女や神官は、どう云う訳かローランシア王国を古くから護り続けたパレス公爵家にのみ生まれ続けてきた。だからパレス公爵家の一族は、代々その血を絶やさない様、薄めない様、近親婚を繰り返してきたのだが――そのせいか、濃くなった血は子を成す力を弱めてしまい、近年では夫婦に子が一人生まれれば重畳と云うことにすらなっていた。
現在、パレス公爵家の正当な子孫は三十路を超える嫡男ただ一人。だが彼に子は無く、彼自身の聖魔力は微弱で、爪の先に明るい光を発する気休め程度のものだ。そんな中、先代公爵が気まぐれに年若い使用人に手を付け、生まれたのがマリアナだった。
しかも彼女には生まれ持った聖魔力が有り、代々の聖女や神官が編み続けて来た王国全土を覆う結界の補修さえやってのける力の持ち主だった。だからこそ、この王国最後の聖女となるかもしれないマリアナを、王家は婚約者として囲い込んだ。血筋を遺す産駒として、手元に残したいパレス公爵家の猛反対を押し切る形で。
そのままマリアナが順調に能力を開花させれば、長年の懸念事項である魔物を、王家号令のもと完璧に駆逐することも出来得る。そう期待もされていた。
だがここで、思わぬ事態が起こった。
なんと、マリアナは魔物を退じることが出来なかったのだ。
「魔物退治の出来ない役立たず聖女かぁ……いいよもぉそれで。わたしはあの子たちを無差別に傷つけることなんて出来ないもの。人だって、良い人も、悪い人も居るのに、なんであの子達がみんなワルイコだって思い込むんだろぉ」
いや、出来ないのではなく、しないのだ。マリアナには、魔物と呼ばれるモノの本質を見抜く力が備わっていた。黒く濁った魔力をまとうモノは、人を襲って自らの力に加えようとする。けれどそうでないモノは、一見は同じ恐ろしい形をしてはいるが、好んで人を糧にしてはいないのだ。そんな無辜の魔物を、風貌を理由に傷付けることなど出来ない。
たがそう主張したところで、元平民のマリアナの言葉を信じる人間は居なかった——婚約者を名乗る、レンベール王太子ですら。それどころか、退治に後ろ向きなマリアナを、役目から逃げ続ける責任感の無い怠け者だと謗り始めた。
「役立たず聖女」の誕生である。
「ごめんなさいってばぁ」
今日もマリアナは全てを諦めきった弱々しい声で、贖罪の言葉を繰り返す。自分の主張を貫き通す力を持たない彼女が、無条件に王国を護る聖女像を押し付ける周囲に、唯一対抗するための手段として——。