第2話 結道高等学園とローランシア王国の異界話が繋がるとき
夜になると学園は裏返る。
――その一節は、結道高等学園在校生らにより代々伝えられてきた。
礼拝堂には異界の扉が開く。
――その一節は、ローランシア王国の神職者らにより代々伝えられてきた。
あちらこちらで、まことしやかに語られる「裏返り」の怪異。それは、文字通り怪異に触れた者の肉体が裂けるものから、現世と対なす裏世界へと引きずり込まれ、怪異と入れ替わってしまうものまで。様々な恐ろしい顔を見せる。
「裏」とは、得体の知れないもの。どこか恐ろしいもの。漠然とした負のイメージが付き纏う。
だからこそ、その言葉に魅せられ、踊らされる者も現れる。そして、その者たちがまた、漠然とした怪異を口伝してゆくことになる――
「いいか!? 絶対に置いてくなよ! 手柄も逃げるのも全員一緒だからな」
「分かってるって、例のモノをバッチリ動画に収めるんだろ」
「夜の校舎をうろつく、裏返りの幽霊! ウワサ通りのモノが撮れたら、大儲けだねっ」
少年らの声が、ひそやかに響く。青年期に移ろうとする彼らは、噂の真相を確かめようとやって来た在校生だ。声は潜めているものの、隠しきれない興奮に口数は多い。
街路灯の光も届かない、夜闇に包まれる23時を過ぎた結道高等学園の正面玄関前。非常灯の青白い灯りで、ぼんやりと照らし出された廊下を覗き込む三つの人影が、スマホを掲げてゆっくりと校舎外縁に沿って歩き出す。
少し距離を於いてもう一つの影が後を付き従うが、先をゆく彼らは気付いてはいない。
「……ご……さ、い」
ふと
弱々しい少女の声が、忽然と暗闇から響く。
三人の耳に、その声はしっかりと届いた。けれどもとより彼らは、本気で怪異と遭遇するつもりなど無い。いや、何者ともつかない白い影がボンヤリと撮れれば、くらいの期待はあった。ただ、夏の日の眉唾怪談話で盛り上がるだけを期待していただけで――対面する覚悟まではない。
ひゅ、と鋭く息を飲んで、恐怖に身を強張らせる。
「ごめ……な……さい」
先程よりもはっきりと、暗く沈んだ声が再び少年らの耳に滑り込んでくる。
「ぎゃぁぁぁあああ!!!」
「やめて、出ないで、話さないでっ!!」
「僕らは単なる通りすがりの、無関係な者ですからーー!」
途端に大声を上げて、少年らは大慌てて走り出す。三人は、あっという間に校門の向こうへ駆け抜けてゆく。
距離を置いていた一人は、彼らに何が起こったのかも分からない。唖然と見詰めている間に、三つの背中は闇に紛れて見えなくなった。
「まじか!?」
思わず声が裏返る。
目の前の彼らが揃って何らかの異変に見舞われたのは間違いなさそうだ。だが、それが怪異のせいなのか、虫や、気の所為なのかも判断ができない。
彼には、何の異変も訪れていないのだから。
何かは起こったのだろう。けれど、それが何かは分からない。
「行くしかない……か」
片手を額に当て、ゆるくウエーブした前髪をクシャリと握った少年――伊咲 陽翔は、あともう少し先進めば辿り着ける目当ての部屋に恨みがましい視線を向けた。何かが起こり始めている予感はある。偶然とは言え、ついさっきまでの四人から一人きりとなった今は、速やかに立ち去るのが正解だろう。けれど、そこまで不穏な状況になったとしても、陽翔はソコへ行かなければならないのだ。
医務室。
20時までうっかり眠っていた医務室のベッド。はっと目覚めたときには、真っ暗な室内に置き去りにされており、慌てて鍵の開いていた窓から飛び出した。多分、そのときに落として来てしまったのだ――ズボンの尻ポケットに3カ月持ち続けて、くしゃくしゃになってしまったタバコを。
「三年の夏にあんなもんが見付かったら、内申に響くし。何とか、センセーに見付かんないうちに始末しなきゃ」
声に出して自分を奮い立たせ、竦む足を叱咤して進む。数時間前に飛び出したのと同じ、中庭に面した医務室の窓に手を掛けたところで、ふと違和感を感じた。
きっちり閉まっていたはずのカーテンが僅かに開いている。
「え、まさか誰か見回りに来た? うそ、まずいって……。タバコ……まだ落ちてんじゃ」
呟きながら室内を覗き込む。
――と、青白い少女の顔が見返して来た。
「ーーーーっっ!!!!」
叫んだのは、怪異と自分と。
「殿下の顔を偽る魔物っ!?」
青白い少女が、更にその顔を白くして悲鳴を上げた。