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本当の彼女を見て

 相沢さんの家に向かう間、会話は一つもなかった。


「多分……この辺りじゃと……ああ、ここじゃな」


 龍之介が、LINEに送られてきた住所を頼りに歩く日暮れ。彼女の家は、学校にほど近い場所にあった。

 何の変哲もない、普通の一軒家。元々は花々に囲まれていた家だったのか、家に上がるための階段の端にはそれぞれプランターが置かれており、子供の字で“にちにちそう”とか“あさがお”とか“ちゅーりっぷ”と書かれている。


(相沢さんが小さいときに書いたのかな……)


 可愛らしい字に反して、プランターにある花は茶色く枯れていた。少し高い位置にある植物に手を伸ばすと、指先が触れた途端にホロホロと崩れてしまい、決して最近枯れてしまったものではないとよく分かる。

 何の変哲もない、ただの一軒家。それなのに、この広い一軒家で、たった一人で暮らしていると思うと、なんだか胸がざわついてしまう。


(行きたくないな……)


 確かに相沢さんに嫌味は言ったけど、でもまさか倒れるなんて思わないじゃない。

 龍之介があんまりにも真面目な顔をして怒るから、後に引けないし、気まずいし。正直、ここまできたらもう褒められたもんじゃない?と思ったりもするけど、それでも、龍之介は決して踵を返す事はなかったし、「もういいよ」とは言ってくれなかった。

 重たい気持ちを示すような曇り空の真下。前を見ると、龍之介も同じようにプランターに視線を落としていた。


「……全部枯れてるね」

「そうじゃな」


 声色が落ちる。

 決して嘲笑的な意味合いではない、何かを思うようなその言葉。


「一人じゃ……ここまで手入れはできんのかもしれんのう」


 そっか。相沢さんの両親はいなくて、いまこの家にいるのは一人だけなら、こういった細かい植物の管理とか、見た目の管理も全て相沢さんがしなきゃいけないのか。


「…………昔さ、学校でアサガオを育てたりしなかった?」

「うん?ああ……青いプランターで育てる奴か」

「そそ。それで、その時ね、早耶は家に持って帰ったあと自分で育てるのサボっちゃって。……でもその時は、ママが早耶の代わりに水をあげてくれたんだよね」


 あれはそう、小学三年生の時だったと思う。

 夏休みの宿題で、アサガオを育ててそれを日記に書くように言われて、みんなでアサガオを植えた青いプランターを持って帰った。でも、気合を入れて水やりをして、絵を描いて、さらには色塗りまでやったのは三日だけ。笑っちゃうほど典型的な三日坊主で、そのあとは「きのうとおんなじでした」って書いて、水やりすらママがブツブツと言いながらやったんだ。


「……でも、相沢さんは、こういうのも全部自分でやらなきゃいけないんだね」


 私には、過保護すぎるところがあるけど、パパがいるし、ママがいる。でも、相沢さんは助けてくれる人が、近くにいないんだ。……そんなの、考えてみればわかる筈なのに、私は考えることもなく、ただ目の前で楽しそうなところをやっているところだけを見て、あんなことを言ってしまった。


「私、最低じゃん……」


 だって、相沢さんが誰よりも真面目だってこと、分かってる。

 誰にでも優しくて、分かりやすくいい子ちゃんで。先生からは、模範生徒のように扱われているし、そのくせ、アッサリと龍之介の懐に入り込むし。

 視線を落とした先の私の革靴は、ブランド品でピカピカだ。いま足を止めた石階段だって、うちのだったらゴミなんか許さないくらい綺麗だ。でも、その綺麗なことが普通だって思っていた事は、全て誰かの手によって成り立っていたってことなんだ。

 階段の隅に残った枯れ葉や、おそらく彼女のものではないだろう吸殻。ちらりと見た白い石に掘られた相沢という文字も、彼女の事情を知っているいまは寂しく見える。胸がしめつけられるように苦しくなって、次の足が踏めない。

 それでも、龍之介は此処で止まることを許さなかった。


「小田切、行くぞ」

「うん……」

「大丈夫、一人だけで行かせるつもりなんてない」


 でも、その声は少しだけ柔らかくなった気がする。

階段の先で、ギイッとペンキの禿げた白い柵扉を開けて中へと入ると、入り口のところでインターホンを鳴らした。ピンポーンと弾む音は家全体に響くようで、そこに続く沈黙に、私たちは顔を見合わせた。


「……」

「……返事ないね」

「……もう一回鳴らすか」


 ピンポーン。遠くに響くような音が、部屋の中へと響く。

 次の瞬間、ドダドタドタッと何かが走るような物音が響き、ばんっと扉が勢いよく開いた。


「い、いらっしゃい……」


 そう言って、当然だけど相沢さんが出てきた。

 でも可愛いパジャマを着て、頭に冷えピタを張っている相沢さんの顔は、お風呂で逆上せたんじゃないかってくらい真っ赤だった。

 外側に開いた扉の勢いに引っ張られたその体は、私の方へと倒れこむ。咄嗟にその体を受け止めてみるものの、背中側はぐっしょりと濡れている。あまりにも高い体温に声を上げると、彼女は申し訳なさそうに言った。


「ちょ、お……っ何やってんの?!」

「あ…ご、ごめん……小田切さん……あれ……でもどうして小田切さんが……?」

「今はそういう場合じゃ……っいや、もう熱ひどすぎ、~~~っもう、中入るよ!」


 不慮の事故とはいえ、こうやって人の身体を抱きしめるだなんていつぶりだろう。殆ど力が入っていないのか、此方に倒れこんだ身体は重く感じて、いかに小田切さんの体調が悪いかがよく分かる。

途中で龍之介がヒョイとお姫様抱っこで抱き上げるも、羨ましい以前に不安とか、驚きが押し寄せる。


(こんなに高い熱なのに、一人ってこと……?)

「相沢、上がるぞ」


 龍之介が言って、お姫様抱っこをしたまま靴を脱ぐ。

 いや、律儀だな。


「はぁい……きたないですが……」


 相沢さんも馬鹿みたいに丁寧だ。


「いやいや、今言ってる場合じゃないっしょ」

「ごもっともで……」


 相沢さんは龍之介に任せて部屋へと上がり、リビングに入る。リビングもいたって普通のリビングって感じなのに、テレビの前には布団が敷かれている。ただ、端に避けられた斜めを向いているテーブルにあるコップの中身はなく乾いているし、それに私たち以外はまったくの無音だ――。


「……よっと、布団でよかったんか」

「うん……ありがとう。……へへ……全部近いからこっちにお布団しいちゃった……」


 言いながらもフラフラと頭を揺らしている相沢さん。声も普段よりも覇気がない。それなのに座布団を出さないと……とまた無理をしそうだったので、それを制して


「相沢さん、寝る前に一回着替えた方がいーよ。着替えある?とってこようか?」


 と言うと、彼女はソファの上にあるカゴを指した。


「あ……そこにお着換えセットある……」


 おお、流石は相沢さんだ。早耶も寝る前にはこういうお着換えセットとか作ってたら、ギリギリでどれにしよう、こっちがいいかな?こっちがいいかな?と悩まないのかもしれない。

 そんなことを考えながらお着換えセットが入っている小さなカゴを引き寄せる。


「龍之介、あっちむいて」

「お、おん」

「こっち向いたらぶっ飛ばすからね。……いや、念には念をかな、相沢さんフライパン貸してもらえる?」

「ッ信頼がなさすぎんか?!」


 当たり前じゃん。男子なんてどいつもこいつもスケベなんだから。

 いくら相手が龍之介とはいえ、このあたりは完全に信頼することは出来ない。

 念のため龍之介は廊下で待ってもらって、そのあいだに相沢さんも着替えてもらう。なんとなく、人に見られて着替えるのは恥ずかしいかなとローテーブルにあったコップを取って、台所で水を汲んで適当に時間をつぶしていると、近くにある冷蔵庫にたくさんのメモが張られていることに気付いた。


“サンサンスーパーの特売日は毎月5のつく日”

 “月曜日ゴミの日、水曜日は可燃の日、木曜日は不燃物の日”

 “粗大ごみは回収に来てもらわないといけないので電話必須、あとコンビニでチケット買う”

 “何かあったら 晃くん:080-××××-××××”

 “光熱費/電気代/保険料の支払い:20日/携帯代金は末日、”

 “遺族年金と児童手当の入金は末日”


 連絡先とスーパーの情報以外は、どれも、親にやってもらえばいいじゃんってものばかりだった。多分、早耶の家にこういうのがあっても特に気にしないようなものばかりだ。

 でもこういうのも全部やらなきゃいけないのか……。

 家の中は、普通の家だ。でも、無音であるせいか妙に家の中全体が暗く感じて、部屋の中で響く時計の音が、ホラー映画の劇中っぽくて不気味に感じる。


「着替えましたぁ……」


 その声を聴いてから相沢さんの方を見ると、彼女はリビングで一人ぽつんと座り込んでいた。新しいパジャマを着てもらったばかりなのに、窓辺から差し込む茜色の夕焼けが照らすその姿は、やけに寂しく見えた。


「お水、飲む?」

「ありがと……」


 ほんのりと香る汗の匂い。……濡れタオルとか渡すべきだったかな。

 ゆっくりと水を飲む様子を見ながら、私はぽつりとつぶやいた。


「……相沢さん、具合悪いのに勝手に来てごめんね」


 相沢さんからしたら、絶対に会いたくなかったはずだ。

 だって、私だったらむちゃくちゃ嫌だもん。ただでさえ熱があるのにさ。考えれば考えるほど、いま私がやってることって相沢さんにとって最悪なんじゃないかと思えて、声のトーンが落ちる。


「うっ、ううん、そりゃあ驚いたけど……でも、どうして?小田切さんは、その、……私のことが嫌いなんじゃないの?」

「まぁ、うん、……龍之介から無理やり来いって言われたんだけどさ」


 確かに、正直なところ相沢さんの事は苦手だった。

 “丁寧な生活”をしてそうなほど、丁寧で、真面目で優しくて。

 一年生の頃に同じクラスになったときも、先生にとつぜん指されて困っていたらコッソリとなりの席から答えを教えてくれた。だから彼女が真面目で優しい子だっていうことは分かっている。

 でも、彼女は私がいいなって思ってた龍之介をいとも簡単に奪ってしまった。別に付き合っているわけではない。龍之介も「付き合っとらん」としか言わないし。でも、彼が転校をしてきて初めて声をかけたのだって、一緒に学食に行こうと真田と誘ったのだって私が先なのに、それを横から弁当で釣るなんてずるい。

 そのせいで、水曜日は絶対構ってくれなくなったし。いつしか、相沢さんの話をするようになったし。そんなのズルじゃん。私だってお弁当が作れたら、龍之介がお弁当を食べてくれるってわかってたら、同じことをしていた。

 でも、相沢さんはそれを正攻法でやってのけてしまったのだ。


 だから、あの時あんなことをいったのは本当にちょっとした嫌味のつもりだった。

 なのに、その”ちょっとした嫌味”は彼女を弱らせてしまうほどのもので、今思えば最低すぎる発言だった。ようやく龍之介が「最低じゃな」と言った気持ちが分かって、タイムスリップして言わないように過去の早耶の口を手で塞いでやりたかった。

 私は辺りを見回して、テレビ台に飾られた家族写真をみながら、困ったように笑う相沢さんに向けて言った。


「でも、来てよかったかも」

「え?」

「……自分が馬鹿なこといったなって、分かったから。……ごめんね、相沢さん。酷い事いって」


 こんな謝罪一つで、許してもらえるわけがないと分かっている。

 その言葉を吐いた瞬間、胸の中にわだかまりが残る。頭では分かっていても、心がついていかない。自分の行動が軽率だったことは分かっているけれど、こうして相沢さんに向かって言葉をかけるたびに、内心では自分が情けなく感じてしまう。


「う、ううん、そんな」


 相沢さんは、初めそういって謙遜とか恐縮した様子で申し訳なさそうに言っていた。でも、言い終えて、視線が下に落ちたとき、彼女の大きな瞳が潤みだした。どこからともなく生まれた涙は彼女の心を揺らして、それでも必死に笑顔を作ろうとするその姿に、私は思わず言ってしまった。


「いいんだよ、怒って!私、全然自分のことも一人でできないのにさ、気軽に言っちゃって」


 相沢さんの優しさが、私の心の中の罪悪感をさらに強くする。でも、そんなことよりも相沢さんは変に遠慮しないでもっと言っていいんじゃないかって、その時はじめて思った。こんな風に彼女を傷つけてしまったのは私だ。自分がいった言葉の重さも、今さらになって胸にのしかかる。

 でも、だからこそ、我慢してるからこそ彼女はここで吐き出すべきなんだ。


「……っおこ、…ってる、わけじゃないの」

「……っく……わ…私もね、……ひっく、…お母さんたちが死んじゃう前は、……一人にしてよとか、そういうこと思ってたりしたの」

「……っ……でも、し、死んじゃったら、……全部自分がしなきゃいけなくて、…それ以上に、さ、さびしくて……っ」


 その瞬間、相沢さんが口にした言葉は、私の心に深く突き刺さった。

 話を聞いてほしいときにも、一緒に居てほしい時にも彼女は一人だ。それを両親健在で、愛されている自分には到底理解できない。それに理解しようなんて考えることこそ、エゴだって思う。

 でも、相沢さんがどれだけ自分の感情を抑えてきたのか、それだけは、いまこの場で感じ取れた気がした。


「……そうだよね……ごめん、本当ごめん、相沢さん」


 その言葉は本当に心の底から出た。


 彼女の気持ちを考えたら、今更謝ることしかできないのが悲しくてたまらない。

 相沢さんは、まるで子供のようにワアワアと泣いていた。我慢し続けて感情を溜めていた器を一気にひっくり返したように、感情を溢れさせて涙をこぼす様子は小さな子供だ。いや、私たちはまだ十七歳、子供なんだ――……。

 彼女を見ていると、心臓をわしづかみされたように胸が痛くなって、どうしてやるのが正解かもわからなかった。それでも私は相沢さんの身体を抱きしめて、受け止めきれないその感情や傷を前にはじめて自分が無力だと感じた。


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