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何もしらないくせに

 水曜日の朝は、少しだけ早起きになる。

 自然と目が覚めた朝早い時間帯。いまの時刻は五時三十分。レースのカーテン越しに、やわらかな朝日がぼんやりと床を照らしていた。


「……んー……もうちょっと寝たい……」


 なんせ、まだ、ラジオ体操も始まらないような静かな時間帯。家を出るまではまだ二時間以上あって、普段ならば気持ちよく二度寝をするところだ。

 子供の頃から一緒に寝ているのぺ太郎と言う白イルカのぬいぐるみを抱きしめて、頬を摺り寄せる。モチモチとした肌ざわりののぺ太郎は誘惑的なもので、一緒に寝ようよと眠気に誘われたが……水曜日の朝だけは違う。

 眠気を払いのけて起き上がり、そのままの恰好で冷蔵庫を開けると、中は週末に届いた仕送りでパンパンになっていた。

 大きめの人参が五本と、艶が良くて縦長のピーマン。型崩れで市場には出せないと言われていた訳アリのさつまいもに、鹿肉や魚、鶏肉などの詰め合わせ。


「うーん……なんて豪華な……」


 支援物資ともいえる仕送りはありがたいし、贅沢な悩みだと理解している。でも、どう考えたって女子高生一人で消化できる量ではない。……大は小を兼ねるというけど、せめて食べるものだけは困らないようにと気遣った結果がこれなんだろうな。

 ヒンヤリとした冷気を受けながら、人参や卵、賞味期限が迫る鶏もも肉を取り、パタンと冷蔵庫を閉じた。


(始めの頃は、お隣さんやご近所さんにおすそ分けをしていたんだけどなぁ……)


 この支援物資が始まって、初めの頃はよかった。

 みんな嬉しそうに「いつもありがとうねぇ」と受け取ってくれていたし、時々代わりにお菓子をくれたし。でも、そのご近所さんも出産を機に引っ越してしまったし、お隣さんからも「千紗ちゃん。うちはいいけど、誰でもかれでもあげちゃだめよ。あなたのおうちに依存しちゃったり、好意を持っていると思われちゃうかもしれないわ」と言われてしまい、なんとなくそういった習慣が減ってしまった。

 だから、この水曜日のお弁当の日というのは本当にありがたい存在なのだ。

 古橋くん……ありがとう……。

 お天道様に祈るように、明るい陽射しに向かって手を合わせる。それから頭を下げて感謝を述べると、私はようやく気持ちを切り替えて呟いた。


「……よし、今日のメインは鳥の照り焼きにしよう!」


 鼻歌まじりにキッチンへ立ち、エプロンの紐をきゅっと結ぶ。

 まずはツナ缶の油を敷いたフライパンに、千切りスライサーで細かくした人参をいれて軽く火が通るまで炒める。

 それからツナ、めんつゆ、お酒を入れてを水分が飛んでしんなりするまで炒めた人参しりしり。常備しているお手製のネギ塩ダレをいれた卵焼き。

 そういえば卵焼きを一口分に切って、それをさらに斜めに切って組み合わせると可愛いハート型になると聞いたことがある。……いや、うん、それはやめておこう。なんか、恥ずかしいし。


 フライパンの音と、お味噌汁の湯気。

 鍋の前に立っていると熱気を受けて温かいはずなのに、ふと首筋に冷たい風が通ったような気がして、ぞわりと鳥肌が立った。


「あれ……今日、気温低いのかな……?」


 ちらりと見た窓から見える空は、青い。

決して寒くはなさそうなのにな。

 温かさを求めてぐつぐつと煮込む鍋に少し近付いて、小さく呟いた。


「あ……そうだ。トリ照りはちょっと甘めにしてみようかな」


 なんでも、西日本は関東よりも甘い味付けが主流らしい。

 その影響なのか、古橋くんがこれまで美味しいといったものは、分かりやすく甘めの味付けのものが多かった。


「んん~……うまいのう甘めの味付けてうまいのう」

「そんなにこっちと味付けが違う?」

「意外と違うぞ、こっちの牛丼なんか甘さが控えめじゃろ。もはやしょっぱい」


 確かに思い返してみればそのようなことを言っていたし、こっちの味付けは塩辛いと感じるのかもしれない。


(……また、喜んでくれるといいな)


 ちょっとだけ砂糖を足して、トリ照りは甘めの味付けに。

彼の反応を想いながらおにぎりをにぎる。今日は梅と、しそ昆布。おかずが濃いから、少しさっぱり目に。

 そうだ、今日は曲げわっぱのお弁当箱を使おう。丸みを帯びた曲げわっぱにはトリ照りを大胆に配置して、横に人参しりしりを詰めて。彩りをつけ足すために、プチトマトと、それからオカカを和えたブロッコリーを足して、最後にお弁当箱になかった黄色の卵焼きを入れると、それだけでお弁当箱がいっぱいになってしまった。

 よって、残りのおにぎりたちはラップで包んでから、少し背の高い籠型のお弁当箱に。

 二段に重ねて柴犬柄のランチバックにも入れるとズッシリとした重みがあるが、これは古橋くんの喜ぶお弁当だ。そう思ったらこのズッシリとした重みもなんだか愛おしい気持ちになって、知らぬ間に登校する足は弾んでいたように思う。


「なんか千紗、テンション高くない?というか顔赤いよ」


 訝し気なユズを横目に、得意でもない体育のバスケでは七得点を決めた私は転がったボールを拾い上げて言った。


「私、バスケの才能に目覚めたのかも……七得点もしたし……」

「七得点アシストでしょ、いや、まぁ、アシストは上手かったけどさ。顔赤いし、片付け終わったら休憩しなよ。今日古橋くんとお弁当食べるんでしょ」

「うん、今日も自信作だから楽しみなんだよね」

 

 授業が終わっても試合の影響なのか、胸のドキドキは止まらず、ボールの入ったカゴを押して倉庫へと片付ける。窓が無く陰ったそこはヒンヤリとしており、ドキドキと脈の速さがよく目立つものの……きっとこれも水曜日のせいに違いない。

 両手で頬を包むようにして触っていると、「古橋くんにお熱ですなぁ」と言われてしまった。


 でも仕方が無いじゃない。

 だって、この後は念願の昼休みだ。

 古橋くんと一緒にお弁当を食べる、あの昼休みがやってくる。


 他の皆よりも、少し遅れて更衣室へと戻る。まだ胸の奥には、昼休みに向けた小さな楽しみが灯っていた。頬にかいた汗をぬぐいながら、私は無意識に唇の端を上げていた気がする。

 いまだ着替えている生徒を横目にロッカーの前に立ち、体操服を脱いで制服に袖を通す。湿った生地の冷たさに一瞬肩をすくめながらも、なんでもないふりをして制服の襟を正す。

 そう、なんでもない。昼休みの前に、ちょっとだけ着替えるだけ──なのに。なんだか、視線が気になる。


「ねぇ、なんかめっちゃみられてない?」


 ユズも自然に気付いたようで、声を潜めて言う。


「うん……なんなんだろ……」


 最初に気づいたのは鏡の中だった。ロッカー横の細長い鏡に、向こうからこちらを見ている目線が映っていた。

 小田切さんと、それから彼女たちとよく一緒にいる、坂本さんと、前田さん。その視線はジットリとしたもので、明らかに敵意のようなものが混ざっており、目が合う前に、私はそっと目を逸らす


「……何かやっちゃったのかな……」

「ええ、でもあの三人と絡みなくない?」

「そうなんだけどさ……」


 それでも、視線だけはじっとこちらに残り続けていた。

 私たちはそしらぬ顔で制服へと着替えて更衣室を出ようとすると、小田切さんが此方へと近づいて尋ねた。


「相沢さんって、親いないんでしょ?」

「え?」


 唐突すぎて、思わず間抜けな声が出た。

 初めて話すには、あまりよくはない話題。ただ、確かにその通りだし、私が一人暮らしであることはそれなりに有名だ。だからそれを否定する気はないが――なんだか、心がザワザワとする。


「ねえ、ちょっと小田切さん失礼じゃない?」


 そういって、私よりも先に庇うよう前に出たユズの手を掴んで、

 私は小田切さんを真っ直ぐに見つめて言った。


「そうだよ」

「ふうん……」


 少しの沈黙。

 小田切さんは続けて言った。


「……なんかさ、親いないって逆に自由でいいよね」

「え?」

「だってお弁当とかも、自分でやりたい放題できるし」

「ちょ……っ小田切さんマジで言ってんの?!」


 ユズの身体が強張って、声が大きく響く。

 その手は段々と熱くなって、彼女の心情を語るようだったがその一方で小田切さんを見つめる私の心情は――ひどく冷え切っていた。


「うちは両親どっちもいるんだけどさー、でもいるってだけで仲がいいかは別じゃん?」

「バレンタインとかになんか作ってもすぐに“そんな暇はあるのか”とか “そんなの買えばいいじゃない”って煩いし。でも相沢さんはそういうの、誰にも止められないっていうか……」

「だから、龍之介にも尽くせちゃうんだろうなーって思って」


 ――あ、これは完全なる悪意だ。

 彼女の眼差しも、隣で笑う坂本さんと前田さんの眼差しも明確な悪意を含んでいる。

 彼女たちしか残っていない更衣室は、やけに静かだった。換気扇の低い唸り音と、遠くで聞こえる生徒たちの声。ロッカーの扉が軋む音はやけに強く響いて、その無音が、逆に居心地の悪さを際立たせている。

 気づけば、肌の表面にうっすらと寒気が立っていた。


「そうでも、ないよ。……行こう、ユズ」

「う、うん……」


 もしかしたら、私の声は震えていたかもしれない。

 でもいえる事はそれだけで、これ以上は何があってもこの場にいたくない。私は彼女たちの返事も待たずにユズの手を引いて更衣室を出る。

 その先は驚くほどいつもの日常で、遠くで聞こえるチャイムの音が緊張の糸を緩めてくれた。ユズは最後まで私のことを心配して、大丈夫だよと伝えても「でも手が冷たいよ」と言っていたけど、この感情を続けたっていいことはないと私は知っている。

 教室へと戻り、ランチバックを手にすると、私はユズに屋上へ向かうと伝えて、それでも心配するユズの言葉を聞こえないふりをして、急ぎ足で廊下を走った。


「……なんで、頑張っていることを責められなきゃいけないんだろう……」


 何も、知らないくせに――。

 胸の奥に、小さな影がぽつりと灯る。

 誰にも見せられない涙みたいな気持ちをそっと抱えたまま、私は静かに、屋上へと続く階段を上がった。

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