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私たちの水曜日は、こうして始まった

 次の週も、またその次の週も。水曜日になると古橋くんにお弁当を作った。

 曜日の指定は古橋くんから。弁当は水曜日にしたいと申し出があったのだが、どうして週明けの月曜日でも終わりの金曜日でもない、水曜日なんだろう。

 なにか水曜日に特別な思い入れがあるとか?それとも月曜日と金曜日はとくべつ美味しい食堂メニューがあるんだろうか。いつもの屋上で、お弁当を食べながら訊ねると、彼は笑いながら言った。


「週の真ん中に特別な日があったら週初めも頑張ろうって気になるじゃろ。……それに、水曜日に相沢のうまい飯を食ったら、金曜日まで頑張ることが出来ると思ってのう」

「えええ、何それ、すっごい嬉しいこと言ってくれてる……!」

「ははは、相沢の飯はうまいからのう。それだけ俺の楽しみになっとるんじゃ」


 平然と恥ずかしげもなく言い放つ様子に、胸がキュンとときめいてしまう。

いや、というかあんなことを真っ直ぐに言われて、ときめかない女の子なんていないと思う。ザアッと流れる風は涼しくて、顔にある赤みを冷ましてくれたけれど、平然と言ってしまう古橋くんを見ていると、やっぱり彼が女の子たちからキャアキャアと言われている理由も分かってしまう。

 胸がドクドクと脈打つのを感じながら、カニカマを入れた卵焼きを頬張る。あんなことを言われて、どう返事をすればいいんだろう。言葉に迷っていると、古橋くんはフと思い出したようにカバンから茶封筒を取り出した。


「ああ、そうじゃ、相沢。これ」


 何の気なしに差し出されたそれに、私は一瞬たじろぐ。

 陽の光に透けた茶封筒の中に、お札が入っていたのだ。


「飯代。さすがにタダは気がひけると思って適当にいれたんじゃが……足りるじゃろうか」

「えっ……い、いいよそんなの!ほんとに気にしてないから、っというかコレは私がお願いしたことだし……!」

「でもそれを頼んで契約したのは俺じゃ。作ってもらうのなら、ちゃんと材料費を払わんといかん」

「そ、うだけど……、あの、その、材料費だってかかってないから大丈夫だよ」

 

 そもそも、このひと時は私がお願いをしたものだ。もともとコレでお金を貰おうなんて考えた事はなかったし、実際に弁当の日が始まってから「材料費だけでも払ってくれないかな……」なんて思ったことは一度もない。

それに透けて見えたお札は決して一枚ではなかった。これが一万円だろうが、五千円だろうが、千円札だろうが、貰えるわけがない。

 手を振るようにして拒むと、古橋くんは露骨に眉間に皺を寄せる。それから、理解できないといった訝し気な顔を向けた。


「は?材料費、かからんって……そんなはずはないじゃろ」

 

 声が、少しだけ低く落ちた。

 まっすぐなその目がジッとこちらを見て、言葉に詰まる。

 

「普通はそうかもしれないけど、その、うちの場合は材料費かからないっていうか」

「……もしかして、俺に遠慮しとるんか?それとも、受け取れんような事情があるんか」

 

 今まで聞いたことのない、まるで問い詰めるような口調。

 でも、私は決して嘘を言ってはいない。

 どうしたものかと考えるよう沈黙をあけると、古橋くんは畳みかけるようにいった。


 「……何も金だけのことじゃない。どこの奴かもわからん男に、対価もなく弁当を作るのは親御さんも心配するじゃろ」


 真っ直ぐに向けられた眼差し。てっきり手間賃だとか、材料費だけのことを言っているのかと思っていたのに、彼の発言には申し訳なさと、心配が入り混じっていた。

古橋くんって、すごい真面目なんだな……。

 私が同じ状況だったら、相手の親が心配することまで考えられただろうか。もしかしたら、お金がいらないなんてラッキーとすら思ったかもしれない。……だからそう、これだけ誠実な面を見せてくれた彼には、材料費が要らない理由も、親が心配することがないことも伝えなければならない。

 そう分かっているのに、言葉がつっかえて出ない。まるで喉に小骨が刺さったようにヒリヒリとして、視線を落とすと古橋くんが息を吐いた。 

 

「……まさか断られるとはのう」

「拒否、したわけじゃなくて……」

 

 少し俯いたまま言い返す。

 その声色は濁りに濁っている。それでも、視界の端に封筒がもう一度映ったとき、このお金は返さなければいけないと、私のことを考えてくれたその誠実さを、私もきちんと返さなければいけないと思った。


「……古橋くん、もし何を言っても、お弁当やめるって言わない?」

「内容による。盗んだもんだったらやめるじゃろ」

「それはないっ!」


 それを聞いて、彼はふっと笑った。


「じゃろ。相沢はそういう子じゃないって、わかっとる。……この飯を食えば分かる。」

「お弁当、を……?」


 古橋くんが箸で摘まんで、あおさのり入りの卵焼きを持ち上げる。


「これだって、俺がうまいって言うたのをまた入れてくれたんじゃろ。そうやって人の心を大事にしてくれるお前が、悪いことをしとるなんておもっとらんわい」


 確かに、それは彼の言うとおりだった。これまで出したお弁当は全て美味しいと言ってくれたけれど、その中でも美味しいと言ってくれたものや、「腹いっぱい食べたいのう」としみじみ言われたものは全てコッソリと携帯にメモを残していた。

だからこの卵焼きも、どうせ普通のものを作るのなら、といったちょっとした気遣いからあおさのりの卵焼きにしただけなのだけれど、彼はそんな小さなことも拾ってくれたんだ。

 その一言が、じんわりと胸が暖かくなって、私はようやく背を押されたように言った。

 

「うちね、親がいないの。去年、事故で亡くなって……いまは一人暮らしで」

「え?」


 言った瞬間、古橋くんが目を見開いた。


「あっ、でも!親戚のおじさんとおばさんがすごくいい人なの!色々事情があって一緒に住むことは出来なかったんだけど、とくに不自由とかは全然ないし!」


 慌てて手を振る。息継ぎみたいにまくし立てながら笑ってみたが、気まずさを拭うことは難しい。私は深呼吸をするようにゆっくりと息を吐いて、動揺して瞳を揺らす古橋くんをみた。


「それでね、お弁当に使ってる材料は、親戚が送ってくれたものばっかりなんだけど……とにかく量が多くて冷蔵庫に余ってるから、ちょうどよかったの」

「……相沢」

 

 古橋くんが、そっと私の名前を呼ぶ。

 その声が、気まずそうな色があったが、なんだかすごくあたたかかった。

 

「……でも、そうだよね。古橋くんの言うとおり、こういうことを黙ってやるのはフェアじゃなかったかも。……ごめんね」

「いや、俺が先にデリカシーのないことを言ったんじゃ。……事情も知らんのに、悪かった」

「そんなことないよ。言ってくれて、むしろありがとう!……それに、ほんとにお金はかかってないの。むしろ使い切れない食材が減るから、こっちが助かってるくらい」


 実際に、家の冷蔵庫には大量の支援物資であふれかえっていた。肉に魚に野菜に。

 米なんて一人で消費するには数カ月以上かかる量で、親戚たちは引き取れない代わりに侘しい思いだけはさせないという気持ちだけで支援してくれるが、いざ消費するとなると難しくもあった。

 だから、週に一回だけでも消費できる窓口が増えれば此方としてはありがたい話なのだが……とつぜん親が亡くなった事を言われた古橋くんからすれば、気まずくて仕方が無いのかもしれない。

 何か言いたげに口を開きかけて、言葉を探しているようだった。


「……相沢、……その」

 

 それを見て、私は上から被せるように言った。


「……そうだ。古橋くんってさ、勉強得意だよね?」

「……うん?あー……いや、まぁ普通じゃぞ」

「またまたぁご謙遜を。聞いたよ、この間のテストは上位だったって」

「誰から聞くんじゃそういうの……」

「あははっ、誰からだろうねぇ。あ、それでね。本当に良かったら……でいいんだけど──」


 息を吸って、言葉を整える。


「お金の代わりに……私に勉強を教えてくれない?」


そう言うと、古橋くんは瞬く。

それからやっぱり理解できないって顔で、首を傾げた。


「勉強?相沢勉強苦手なんか」

「ん~、そこまで大得意ってわけじゃないよ、成績も本当中間って感じだし」

「ほー……」

「ほら、親戚はいてもいつまでも頼るわけにはいかないし……ひとりで生きていけるように食いっぱぐれのない仕事につきたいなって」


 これも本当。

 優しい親戚たちは沢山いるし、いまもたくさん迷惑も、心配もかけている。だからこそ彼らをいつまでも頼るわけにはいかないのだ。何より、支援を受けているからこそ、もう心配しないでいいよと言えるような大人になりたい。


(それがどういう大人になったら達成するのかは、まだ分からないんだけど……)


 けれど、元々勉強がものすごく得意というわけではない私にとって、安心させるだけの点数を取ることも、将来を見据えて勉強をすることも、目下の課題であった。だから、もしもお弁当のお礼として、何かをしてもらえるのなら勉強がいいと、そう思ったのだ。


「勉強でいいんか」


 古橋くんは、ほんの一瞬だけ驚いた顔をして、それから目を細めた。


「違うよ、勉強がいいの」

「……なるほどのう。……ええぞ。俺は部活もやっとらんし、時間はある」

「ほんと!? よかった〜……古橋くんって優しいから、勉強教えるのも優しそうだよね。じゃあ、再契約……いや、新規契約になるのかな、よろしくお願いしますっ!」


 ニッコリと笑って、今度は私の方から手を差し出す。

 私は古橋くんにお弁当を。その代わり古橋くんは私に勉強を。

 ……うん、いい関係値だ。

 

 古橋くんは一瞬だけその手を見つめて、それからゆっくりと、自分の手を重ねた。

 

「……こちらこそ、よろしく頼む」


 ギュッと握手を交わしたその瞬間、指先がほんのりとあたたかかった。


 これから始まる、対等な関係。

 “特別な水曜日”が、ほんとうに始まったのは──きっと、このときだ。

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