その言葉が、特別な日を作った
「週に一回でいいから、私のお弁当を食べない?」
何故だか分からないけれど、気付けばそんなことを言っていた。
場所は、昼休みの食堂内。
青天の霹靂とか、藪から棒とか。いまの感情を指す言葉は何かしらあるというのに、私はどうしてそんなことを言ったのか、自分でも分からなかった。
言葉が口から飛び出した瞬間、私はきょとんと瞬いて、転校生の古橋龍之介君と一緒になって、パチパチと瞬きを繰り返す。
一拍。……自分でも驚くほどに後悔が胸に押し寄せた。だって、私はこれまで古橋くんに話しかけたことも、話かけられたこともない。古橋くんからしたら、よく知りもしない人からの提案になっているのだ。だから断られても仕方ないし、むしろサクッと断ってくれたほうが「そうだよね!」とか「冗談だよ!」なんて笑い飛ばすことだってできる。いや、むしろそうしたい。
彼の反応を待つ間、その一瞬の沈黙が妙に長く感じて仕方が無かった。
そして、次の瞬間、彼はニヤリと笑った。
──突然何を言うかと思えば、本気なんか。
広島訛りの、少し悪戯っぽい声。
それも、どう見たって面白がっているような顔だ。いつもだったら嫌な気持ちになって、適当に躱して距離を取るのに、その日はなぜだか少しだけ笑いを含んだそれが私の中で花火のように弾けて胸を打った。
(……古橋くんってそんな顔で笑うんだ)
今になってみれば、あの時の私は本当にどうかしていたと思う。
だって、あの時のお願い事が、こんなにも重要になってしまうなんて思わなかったのだ。
あの時のちょっとした勇気が、少しずつ私の日常を変え始めた。
たった一つのお弁当が、静かに、でも確実に変えていったんだ。
新学期の初日に県外から転校してきた古橋龍之介くんは、驚くほどモテていた。
「でっか……」
「身長百九十五センチもあるらしいよ」
日に焼けた褐色の肌に、端整な顔立ち。それだけでも十分に目立つ要素を持っているのに、彼は運動も勉強も出来るらしい。唯一、この都内の学校では浮いて弄られそうな広島訛りも、逆にギャップになっていいと評判が良く――
「あの広島訛りがギャップでいいよね!」
「この前の体育見た?めっちゃバスケうまかったんだけど」
「勉強もかなりできるらしいよ、なのに塾も行ってないんだって」
なんて浮足立った声はこのクラス内に留まらず、もはや校内現象だ。
凄い、こんなドラマみたいなこと、本当にあるんだ……。女の子だったら「立てば芍薬~」って言うけど、男の子相手だと何というんだろう。とにかく、それくらい彼は話題の中心で、いつも誰かが傍にいた。
そして、それを横目に「古橋君って、めちゃめちゃ食べるよね」と言うのも、私――相沢千紗くらいだったかもしれない。
「……千紗……、どういう目で見てるのそれ」
ひとが溢れかえる食堂内。食堂にある食事も利用せず、持ち込んだ手作りの弁当を開くと、丁度よくトレーにきつねうどんを乗せたユズが戻ってきた。呆れたように言うユズの目はいつも通り冷めていて、私は手を合わせながら尋ね返した。
「え?そんなに変?」
「変でしょ、めちゃめちゃ食べるって何。そういうフェチだっけ?」
「うーん……そうなのかも。だってさ、古橋くんって気持ちよくご飯食べるんだよね。いっつもカレーライスとか大盛で食べてるしさぁ……」
「へぇ」
「あ、それだけじゃないの、カレーだけじゃなくてうどんとかも食べてるし、サラダもきちんと食べてるし……」
「え、そんなに見てんの?」
それって最早ストーカーの域じゃない?とユズ。
その視線は冷ややかだが、校内現象になるほど注目を集める人だ。そりゃあ見ることだってあるでしょうに。
私はムキになって言い返した。
「違うってば、たまたま目に入るのっ」
「たまたまねぇ」
だって、人気者の彼は常に目立っている。
食堂でご飯を食べるときだって常に誰かと一緒にいるし、身長が高い分よく目立つし。
きょうも目立つなぁと視線を移すと、いつだって彼はグアッと大きく口を開いて、きょうの学食を食べるのだが……その食べっぷりの良さといったら!いつかのCMでいっぱい食べる君が好きって言葉があったけど、まさにそれだ。
子供の頃はそのCMを見たってキャッチーなメロディと歌に興味がいっていたけど、今はそれを作った人の気持ちが良くわかる。いや、なんならそのCMに選ばれても良いくらい、古橋くんの食べっぷりが良すぎるのだ。
いや、まぁ、だからといってストーカーと揶揄されるのはゴメンなのだけれど。
そのとき、そういえば、噂の古橋くんの姿をきょうは見ていないことに気が付いた。
――おかしい。たしか今日のオススメランチはかつ丼だ。丼ものならより大食らいな彼は反応して、すぐに駆け込むと思ったのに。……かつ丼ともなれば、良い食べっぷりが見れるんだろうなぁ。グアッと大口を開けちゃってさ。
そんな下心を抱いてキョロキョロと辺りを見回していると、後ろの方で聞こえた声が私の袖を引いた。
「へぇ、そんなに俺のことを見とったんか」
落ち着いた、低い声。ドキリと胸が弾んで振り返ると、そこには噂の張本人がいた。
悪いこともしていないのに、思わず背筋が伸びる。
「こ…っ、古橋くん……」
しまった。姿が見えないってことは、まだ着席していないからこの辺りにいるかもしれないってことじゃない……!
チラリといつも彼が座っている席を見ると、女の子たちが座っており、此方をものすごい形相で睨んでいる。それも、とんでもない圧だ。たまらずそれから視線を外すと、古橋くんは少し不思議そうな顔で私の視線の先を追いかけたあと、ぽつりを言った。
「ちなみに、お察しのとおり俺はよく食うぞ」
「どれぐらい食べる?普段も結構食べてるよね」
「どれぐらい……は難しい表現のう。……じゃが、そうじゃな。普段の飯でも腹六分くらいかのう……」
「おお……それは凄い……」
素直に感動すると、古橋くんはフハッと息を漏らすように笑った。
「なんじゃ、相沢はよく食う男が好きなんか」
「え、どうだろ……さっきもユズにそういうフェチだっけ?って言われたんだよね……」
「ほう?」
「……でも、確かによく食べる人を見てると気持ちよくはあるよね。私もお弁当とか料理するの好きだから、作ったものをああやって沢山食べてくれる人っていいなって思う」
「ん、そういえば相沢は弁当なんじゃな」
「そ、節約でね」
お弁当の中には綺麗に巻いた卵焼きと、人参とツナをめんつゆで味を調えた人参しりしりやミニハンバーグとタコさんウインナー。あとはブロッコリーとトマトのマヨ和えがあった。端っこの方には小さなおにぎりが一つだけ。
いつも二個セットが基本な古橋くんからしたら、相当少ない量に見えるようだ。
「うまそうじゃが、えらい少ないのう」
驚いたように言う彼に、私は「これだ!」と口に出していた。
「古橋くんさ、週に一回でいいから私のご飯を食べない?」
「は?」
「だって、私は古橋くんがたくさん食べるところが好きで、古橋くんは沢山食べることが好きなんでしょ?それって、ウィンウィンな関係になるって思わない?」
「はぁ」
今までは食堂のものを食べるところだけで、良い食べっぷりだと満足していた。
でも、あれがわたし手作りのものだったら……?
考えるだけで、ワクワクして仕方が無い。……とはいえ、古橋くんと私は同じクラスメイトであってもあまり話したことがないような関係性だ。それを突然「お弁当を食べない?」と言えば驚くにきまっているわけで、彼はパチパチと瞬いていた。
……ああ、いや、当然だ。藪から棒すぎる発言だもの。
その当然すぎる反応に、ウウと言葉が詰まる。
しかし、古橋くんは意外にもフッと表情を和らげるように笑い
「突然何を言うかと思えば、本気なんか」
そう訊ねた。
次の日、私は本当にふたり分のお弁当を作ってきた。
野菜炒めに、卵焼き、ウインナー、からあげ、肉詰めピーマンと、ブロッコリーのおかかあえ、さつまいもの甘煮。おにぎりは昆布と梅とおかか。バランス重視で、おかずの味付けは彼が西日本出身であることを考慮して、少し甘めにしておいた。
昼休み、食堂へ行こうと立ち上がる古橋くんにそのお弁当を差し出すと、彼は目を丸くした。
「……驚いた。本当に作ってきたんか」
彼は本当に驚いた顔をしていた。
でも、私は構わず言葉を続けた。
「うん、善は急げって言うしね」
「……スマン、冗談かとおもっとった」
「あ、じゃあいらない?」
折角頑張って作ったのになぁ。
そんなことを言いながら、差し出したままの弁当を見て、それから古橋君を見る。
期待を込めてチラチラとみるうちに、古橋くんはまた昨日みたいに笑って「相沢ってもうちょっと大人しい方と思っとった」そう言うと、差し出したままでプラプラ揺れる弁当を下から支えるように持った。
「……じゃあ有難くいただく。……相沢、今日は食堂か?」
「え?ううん、特に決まってないけど……」
「じゃあ一緒に飯食わんか、きょうは天気もいいし屋上あたりで。そうしたら、感想とか言えるじゃろ」
その誘いに、教室内が一瞬分かりやすくどよめく。
そりゃあそうだ、これまで特に仲良しって感じで話してなかったのに、とつぜん人気者である彼にお弁当を渡して、彼もまた私を誘ったのだから。
波の揺らめきのような、おおきなどよめき。それを古橋くんは気づいていないようだったけれど、多分……というか、間違いなく観客たちは私と古橋くんの関係性が気になるんだと思う。だって、背後から感じる視線がチクチクとして痛い。
いや、正直、チクチクどころではない。冷や汗みたいな変な汗もかいてしまう。けれど、それがなんだというのだ。その視線が古橋君の誘いを断るほどの理由にはならないし、断る理由もない。
よって、それを快諾して後ろをついて屋上まで向かうと、たどり着いた屋上で隣り合って座り、弁当を開く古橋君を見た。
「……おお、でかいのう!」
青空の下で弾む、古橋くんの新鮮な驚き。てっきり彼女のひとりやふたり居ただろうと、だからこうやってお弁当を作ってもらう機会もあったんじゃないかと思っていたけど、反応は子供みたいに無邪気だ。
案外、こういう経験は少ないのだろうか?
「古橋くんいっぱい食べるって聞いたから、張り切って作っちゃった」
「助かるのう、……って本当に色々とオカズがあるが、作るのに時間がかかったんじゃないか」
「そんなことないよ、お弁当を作るのはいつものことだし。ここだけの話、昨日のおかずの残りもあるし」
「はは、それじゃあ相沢宅のご相伴にあずかる感じじゃのう」
「そういうこと」
「それじゃあ、いただきます」
古橋くんは、綺麗に“いただきます”をする。
それに食べ方だって綺麗で、一口食べるごとに目を輝かせる彼は惜しみなく喜びを前面に出して、感想を言ってくれる。これは近くの総菜屋に負けていないとか、これはうちのばあちゃんが作ってくれた卵焼きとは味が違って美味しいとか。
一つ摘まんだ卵焼きを、まるで宝石みたいな扱いで傾けて見つめる彼はしみじみと言った。
「はー……この卵焼き、特にうまいのう……!相沢は料理がうまいんじゃな」
「そう?」
「おお、別に下手とは思っとらんかったが、想像以上にうまくてびっくりしとる」
古橋くんってもっと大人びた人だと思っていた。だから、きらきらと目を輝かせながらウマイウマイという幸福いっぱいの彼を見ていると、なんだかお腹のなかがムズムズとくすぐったくなってしまった。
それと同時に、久し振りに自分が作ったものを誉めてもらえたという喜びも追いかけてきて、思わず頬が緩んだ。
「えへへ、ありがとう。実は料理が得意なんだよね」
「うん……うん、どれもうまい。米までうまく感じる」
「あ、米は米農家をやってる親戚が送ってくれた奴なの」
「ほー……あ、この肉詰めピーマンも好きじゃ」
「へへ、それ得意料理です」
「……いかんな、まんまと胃を掴まれてしもうた」
くそ、どれもうまいな……と古橋くん。
なんで悔しがるのかは分からないけれど、そうやって悔しがる表情を見ていると、彼が人気者であることも頷けるような気がして、「今契約すると最低でも週一お弁当がついてきますよ~」「ご希望があれば週二でもイケます」と調子にのって進めてみる。
なんだか今なら彼もノってくれると、ひょっとしたら本当にオッケーしてくれるんじゃないかって、そう思えたのだ。
「……おかずのリクエスト権とかはついてこんのか」
ぼそりと呟いた、交渉ともいえるその言葉に、「難しいものでなければ」と返すと、彼はしばらく考え込んだあと、少し間をおいて手を差し出してきた。
日に焼けた大きな手。よろしくお願いしますと言いたげなそれに、私は戸惑いながらも、その手を握る。
「……じゃあ、契約成立じゃな」
そうして、冗談だったはずの提案は、思いのほかあっさりと“契約成立”という形になった。
でも、このときの私はまだ知らなかった。
この“契約”が、これからの毎日を少しずつ、そして確実に変えていくことも。
自分の心までも、変えてしまうことになるなんて。
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