揺れる天秤、開かれる扉
凛が意識不明の状態に陥ってから、数日が経った。悠斗は、あれ以来、潮騒病院を訪れることはなかった。彼は、天文台にこもり、一人、研究に没頭していた。しかし、彼の心は、深い悲しみと、後悔の念に、苛まれていた。
「凛さん…すまない…」
悠斗は、夜空に輝くアルビレオを見上げながら、呟いた。彼は、凛の病状が、自分のせいではないと、信じたかった。しかし、同時に、翔太の言葉が、彼の心を、重く締め付けていた。
その頃、健太は、凛の病室で、彼女の検査データを、改めて見直していた。凛の病状は、依然として、予断を許さない状況だった。しかし、健太は、諦めていなかった。彼は、凛を救うための、あらゆる可能性を探っていた。
「健太、いるか?」
突然、病室のドアが開き、悠斗が姿を現した。
「悠斗…!どうして、ここに…」
健太は、悠斗の突然の訪問に、驚きを隠せなかった。
「凛さんの容態を、聞かせてほしい」
悠斗は、真剣な表情で、健太に言った。
「…今は、落ち着いている。しかし、いつ、また、発作が起きても、おかしくない状況だ」
健太は、重々しく答えた。
「そうか…」
悠斗は、目を伏せ、深く息をついた。
「悠斗、君に、話しておかなければならないことがある」
健太は、真剣な眼差しで、悠斗を見つめた。
「凛さんの病気のことだ。彼女の病気は、ただの肥大型心筋症ではない。特殊な遺伝子異常が、見つかったんだ」
「遺伝子異常…?」
「ああ。通常の遺伝子検査では、説明のつかない、不可解なデータが出ている。まるで、別の時間軸の情報が、混入しているかのような…」
健太の言葉に、悠斗は、はっとした。別の時間軸…?それは、かつて、自分が研究していた、タイムリープ理論と、関係があるのだろうか?
「その遺伝子異常について、詳しく教えてくれ」
悠斗は、健太に、詰め寄った。
「…分かった。ただし、これは、あくまでも、仮説の段階だということを、忘れないでほしい」
健太は、そう前置きした上で、凛の遺伝子検査の結果について、詳細に説明し始めた。
「凛さんの遺伝子には、通常ではあり得ない、特殊な配列が見られる。それは、まるで、別の遺伝子情報が、部分的に混入しているかのような…」
「別の遺伝子情報…?そんなことが、あり得るのか?」
「通常の生物学では、考えられない。しかし、もし、時間軸を超えた、何らかの干渉があったとすれば…」
健太は、言葉を濁した。
「時間軸を超えた干渉…?まさか…」
悠斗は、自分の過去の研究、そして、エリザベスのことを、思い起こしていた。もし、自分のタイムリープ実験が、凛の遺伝子異常と、関係があるとしたら…?
「悠斗、君の過去の研究について、聞かせてほしい。特に、時間場における生体反応、そして、タイムリープが遺伝子に与える影響について…」
健太は、悠斗に、核心を突く質問を投げかけた。
悠斗は、迷った。自分の過去を語ることは、再び、深い傷を負うことを意味する。しかし、もし、自分の研究が、凛を救うための、手がかりになる可能性があるのなら…?
悠斗は、意を決して、健太に、自分の過去について語り始めた。アメリカでの研究、タイムリープ実験、そして、エリザベスの失踪…。彼は、全てを、包み隠さず、話した。
「…これが、僕の過去だ。そして、これが、僕が犯した、取り返しのつかない過ちだ」
悠斗は、苦渋に満ちた表情で、話を締めくくった。
「悠斗…」
健太は、悠斗の壮絶な過去に、言葉を失った。しかし、同時に、彼は、凛を救うための、一筋の光を見出したような気がしていた。
「悠斗、君の研究は、凛さんを救うための、鍵になるかもしれない」
「どういうことだ?」
「君のタイムリープ実験の影響で、別の時間軸から、何らかの遺伝子情報が、凛さんに混入した可能性がある。そして、それが、彼女の病気の原因である可能性が…」
「そんな…」
悠斗は、愕然とした。自分の過去の過ちが、凛の運命を、狂わせてしまったのか…?
「まだ、可能性の段階だ。しかし、調べてみる価値はある。悠斗、君の力を貸してほしい。凛さんを救うために」
健太は、悠斗に、協力を求めた。悠斗は、迷うことなく、頷いた。
「ああ、もちろんだ。僕にできることがあれば、何でもする」
悠斗は、凛を救うために、再び、研究の世界に、足を踏み入れることを決意した。それは、彼にとって、過去と向き合い、自らの過ちを償うための、戦いの始まりでもあった。
その頃、アメリカでは、悠斗の元指導教官であるアレックス・グレイが、悠斗からの連絡を受け、星見町に向かう準備を始めていた。アレックスは、悠斗の過去の研究に、凛の病気を治すための、ヒントが隠されていると確信していた。
「ユウト、待っていろ。必ず、君を助けてみせる」
アレックスは、決意を胸に、日本への渡航手続きを進めた。
一方、潮騒病院の一室では、翔太が、意識不明の状態が続く凛の手を握りしめながら、彼女の回復を祈っていた。
「姉さん、必ず、良くなってくれ…」
翔太は、凛に、何度も、何度も、語りかけた。彼は、悠斗への不信感を、拭い去ることはできなかったが、同時に、姉を救いたいという、強い想いを抱いていた。
その時、病室のドアが、静かに開いた。そこに立っていたのは、潮騒病院に入院している謎の老人、佐藤裕二だった。
「お嬢さんの病気、心配だねぇ…」
佐藤は、ゆっくりとした口調で、翔太に話しかけた。
「あなたは…?」
「私は、ただの、しがない老人だよ。しかし、お嬢さんの病気について、少し、知っていることがある…」
「姉の病気を…?どういうことですか?」
翔太は、佐藤の言葉に、怪訝そうな表情を浮かべた。
「お嬢さんの病気は、普通じゃない。時間軸を超えた、歪みが、原因かもしれない…」
「時間軸…?何を言っているんですか?」
「信じられないかもしれないが、私は、別の時間軸から来たんだ。そして、その時間軸では、お嬢さんの病気は、存在しない…」
佐藤は、衝撃的な事実を、翔太に告げた。翔太は、佐藤の言葉を、すぐには信じることができなかった。しかし、佐藤の目は、真剣そのものだった。
「もし、お嬢さんを救いたいなら、桜井悠斗という男に、協力することだ。彼は、この歪みを、正すことができる、唯一の存在かもしれない…」
佐藤は、そう言い残し、病室を後にした。翔太は、佐藤の言葉に、混乱しながらも、何か、真実が隠されているような気がしてならなかった。
悠斗、健太、アレックス、そして、翔太…。それぞれの想いが交錯する中、凛の運命の歯車は、大きく動き始めようとしていた。そして、その中心には、悠斗の封印された過去と、タイムリープという、禁断の研究が、深く関わっていたのだった。




