D級派宣言
最近、思ったことです
D級派宣言
宮川集造
先日、宇宙人にウナギをご馳走になった。
もちろん、宇宙人と言っても未確認の異星人ではなく、僕がつけたあだ名で、親戚の老女だ。なぜ宇宙人と命名したかいうと、予想外の思考・行動をし、こちらの常識が通じないところがある。――だから宇宙人。
この宇宙人が、拙宅に泊まって帰る折、ウナギを食べたいと言い出した。なんで宇宙人がウナギを所望したのかは分からなかったが、そこは深く考えなかった。相手は宇宙人なのだ。
僕は、クルマに宇宙人を乗せて町中にある一軒家に着いた。
その家は、普通の古い住宅という感じで、高い食事を提供する食堂という趣きは感じられず、それがかえって良い雰囲気があった。
他の親戚のひとりが加わり三人で、うな重を食した。一人前、四千円なり。ウナギは何度か食べたとこはある。しかしこれ程高額なウナギは初めて食べた。さぞ美味しいと感じたかというと、そこまでの感動はなかった。タレは適度に味付けされ、ウナギは普段食べている安物よりも、柔らかくフワフワしているように思ったものの、さすが高級とまでは感じなかった。これは僕の舌が鈍感なのだろうと納得している。ご馳走してくださった宇宙人には申し訳ないが、これなら一杯四百円の牛丼を十杯食べられた方が、よほどありがたい気がする。
まぁ、僕は本物の良さを感じられない、阿呆といったところか。ビール系飲料の話をすれば、僕は自分で飲むために買うのは、安いビール系飲料だ。本物のビールなどは、税金を飲まされている気がして、美味いと感じるよりも、もったいなくて仕方ない。
僕のような人間は、平均以下の生活で満足している低級な奴なのだろう。生活ランクをABCDEの五段階に分けると、僕などは最低のEより一つましなD級じゃないかと思っている。
でもね、テレビで高級な物と安物の二つを提供し、どちらが高級品か当てさせる番組があるが、結構間違える人がいる。あの番組を見ていると、人間の感覚なんて当てにならないなあと思ってしまうのだ。
そう考えると、多くの金を使い高級品を食べたり使うのが馬鹿馬鹿しく感じられる。
僕はいま六十歳で、定職についてない。これでは世間体が悪いので、家業の畳店を営業している様にしてるのだが、実際には腰痛を言い訳に開店休業だ。働いてないから収入がなく、貧しい生活だ。ただ白髪が目立つような年齢になってくると、人様にお金を頂く労働を続けていくのは、かなり面倒になってきている。これなら貧しさに耐え、のんびり生きている方が、気楽で良いんじゃないかと思っている。
では、のんびりした日々で何かを目標にしているのかと問われれば、文芸を少しでも高めるべく絶えず研鑽を積んでいるとこたえる、―-というのは大ウソで、何もしない。才能のない者が努力したところで、転がっているドングリが立ったくらいしか、伸びしろはないのだ。だから良い物を書こうなんて気持ちは、ほとんどない。しかしなんとなく生きていても、雑用は絶え間なく起こってくるのだ。
僕と同世代の人は、何かしらの職に就いている方が多い。彼らは生活を維持するために働いているんだ、と言うだろうが、僕からすれば、いまさら働かなくても、贅沢をしなければ、十分生きていかれる様に思える。
生活レベルは十人十色、金の考え方も人それぞれだろう。僕みたいな怠け者ばかりになれば、世の中回っていかないが、皆さん勤勉な方が多いようで。
宇宙人にご馳走になったウナギ屋で、寒くなるとスッポンを出すとメニューにあった。これまた貧乏人には縁のない食事だろう。死ぬ前に一度は口にしてみたいが、ケチな貧しい者には無理な話だ。
ありがとうございました。