ネオプトレモスの参戦
休戦期間が終わると、イリオン勢は変わらず高い士気を保ったまま、戦列を組んだ。むしろ、彼らは死者を弔って心のわだかまりが解け、却って晴れやかに戦いに臨むことができた。
死屍累々もその場から取り払われ、大きな塚が二つ、両陣営の中に組み込まれた。彼らはこれまで同様に、敵軍が防壁の中から抵抗をして、それをエウリュピュロスと共に引き摺り出して打ち倒すものだと信じていた。
イリオン勢の戦列が防壁の付近に迫ると、アカイア勢の優れた勇士達が彼らの前に立ちはだかっていた。その数は少なく、多くが防壁の内側にいるのは明らかだった。
疲弊した戦士が防壁の上から疲れた顔を覗かせている。それは変わらない光景であった。
しかし、パリスはすぐに一人の英雄の姿に気づいた。
身の毛もよだつ吹雪のような語り口と、敵を凍てつかせる鋭い眼光を持つ男。機略縦横のオデュッセウスが、防壁の中から顔を出していた。
「背むし男のように蹲る、惨めなアカイア勢どもよ、お前たちはすぐに防壁さえ捨てて、船団の中に逃れて行くことだろう。沖に船を流し、身を震わせながら舵を取り落として、惨めに海の上を漂うのだ」
エウリュピュロスが意気揚々と挑発すると、オデュッセウスは身を隠した。イリオン勢は最早常勝不敗、戦士たちは逸り立って敵を討ち取らんと踏み出した。
防壁の脆いところに戦士たちは群がった。その鬨の声は戦闘開始の合図となった。悍ましい敗戦の合図である。
オデュッセウスは先ず、脆い防壁に群がった戦士たちを、一人残らず壁に這い上がらせた。そして、梃子を用いて大岩を持ち上げ、防壁に沿ってこれを落としたのである。たちまちイリオン勢は大岩に潰されるか、あるいは胸壁から手を離して退いた。その足元には別の兵士がおり、その者たちの丸い兜に足を取られ、バランスを崩して大地に落ちた。
胸壁を這うように落とされた大岩に続けとばかりに、アカイア勢が胸壁を飛び降りてイリオン勢を攻め伏せる。その様はさながら荒々しい狼が、狩場に屯する獣どもに、機を見て一斉に襲い掛かるよう。そのようにアカイアの勇士達は、勇猛果敢にイリオン勢に飛び掛かった。
その中でも、一際大きな着地音が起きる。周囲には砂埃が立ちこめて、殺気を纏った若い勇士が、キッと鋭い眼光をたぎらせて大地に降り立った。
イリオンの勇士達は、その顔立ちに覚えがあった。長い髪を取り乱し、優れた神馬に戦車を牽かせて、戦場を荒らしまわった忌まわしい男の面影だ。
「アキレウス・・・?」
思わずパリスは口走った。
着地した恐るべき勇士は素早き槍を振り回し、周囲の敵を薙ぎ払った。恐るべき剛腕によって一所に集められた戦士たちは、自らの盾と槍、味方の盾と槍に激しく体を打ち付けられてよろめいた。すかさず、若い勇士は槍を突き出して、勇猛な戦士たちを一網打尽に貫いた。
自軍の雰囲気が一気に変わったことを察したエウリュピュロスは、退く戦士たちの一人を槍で刺し殺して味方を鼓舞した。
「恐れを捨てて戦え!臆病者どもと共闘するくらいならば殺す!」
エウリュピュロスの一声は、勇猛な戦士たちをその場に押し留めた。敵を討ち取って殺されるか、背中を向けて味方に貫かれるか。仲間たちに末代まで不名誉事が晒されることを、戦士たちは恐れたのだ。
これはパリスには残酷すぎて成せない業であった。戦士たちはたちまち勇気を振り絞り、敵に立ち向かっていく。ギリシャ軍の戦士たちを次々に討ち取って、若く優れた勇士に討ち取られていく。戦場には鮮血と臓物が飛び交った。
仲間達を鼓舞すると、エウリュピュロスは鋭くとがった大岩を胸壁めがけて投げつけた。大岩は防壁に命中して恐ろしい音を立て、飛び道具を手に取るアカイア勢の勇士達を震え上がらせた。その隙に、イリオン勢は一気に攻勢を仕掛け、防壁から下ってきた優れた勇士達を討ち取った。
周囲にギリシャ人の血が滲んでいく様を見て、エウリュピュロスは勝ち誇った様子で大音声を上げた。
「狭い防壁の内側で、身を寄せ合って震えている惨めな男達よ!俺のようにその貧弱な弓の弦を弾いて、この俺を退けてみるがいい!それとも勇気を振り絞って、防壁から繰り出してこい!すぐに仲間の血の中で泳がせてやろう!」
ところが、エウリュピュロスの盾に向かって、防壁に攻め寄せていたイリオン勢が戻ってくる。落雷のたびに震え上がって仲間を求める獣共のように、男達は英雄の孫エウリュピュロスの庇護を得ようと逃れてきた。
「どこだ、誰がお前たちを追い立てたのだ!俺よりも恐ろしい男がいるということか!」
エウリュピュロスの怒号は、逃れてきた戦士たちを無情に責め立てた。身も竦むような声に恐れをなし、動きを止めたイリオン人の戦士たちは、恐るべき勇士の姿を目の当たりにして、援軍たちに殺されぬように盾を構えた。英雄の孫は生まれたての子鹿がそうするように、足を震わせて盾を構えたイリオン人を乱暴に退けて、若く恐るべき勇士の前へと歩み出る。遠くから響くギリシャ軍へ向けた激励が、みるみるイリオン勢へと近づいてきていた。
一方、パリスは、逃れて行ったイリオン勢と同様にその場で身を竦ませていた。アキレウスの優れた子、ネオプトレモスをそれとは知らずに父親の姿と重ねて見たためである。この恐るべき勇士は、パリスの率いる弓兵達が放つ無数の矢も、イリオン人が投げる大岩も、一切をものともせずに戦士たちを追い掛け回した。追いつかれれば手に持つ長槍で腹を貫かれ、背中を向ければ石に持ち替えてこれを投げられ、兜を陥没させて無惨な死に包まれた。
そのように、勇士ネオプトレモスはイリオン勢の戦士たちを次々に打ち倒し、日が暮れる頃には、イリオン勢は一目散に防壁から離れていった。




