馬装麗しきペンテシレイア
アカイア勢とイリオン勢の両者が戦場で睨みあう。イリオン勢の軍勢を率いるのは女王のペンテシレイアであった。アカイア勢は口々にイリオン人を嘲笑って言う。
「女を守らずに率いられるなど、これはどうしたことか!」
「イリオン人は女より女々しいということか、それなら得心がいくな」
「パリスはどこにいるのかな?姿が見られないがなぁ」
こうした口々の挑発も、士気高く殺気立ったイリオン勢には力にこそなれど屈辱にはならなかった。
アカイア勢の挑発に対して、女王ペンテシレイアは人差し指を突き出し、挑発を返して言う。
「おおそうか。お前たちアカイア人は女に負けるのが恐ろしくて、女に武勲を立てられないように戦場に呼ばなかったのか。なるほど、よほど軟弱者の集いと見える」
挑発に怒り狂ったアカイア勢の雑兵たちが、償いを求めて槍を振り上げて襲い掛かる。女王はその男目掛けて戦斧を投げる。斧は刃で弧を描きながら空中を旋回し、見事にアカイアの雑兵の兜をかち割った。馬毛の上から血が噴き出し、額を伝って滴り落ちると、同時に雑兵が膝を折り、大地に突っ伏してその魂をアイデスに捧げた。
ここでアカイア勢は大いに驚き、狼狽える。イリオンの戦士たちは勇ましい声を上げ、女王に続かんと、盾を前に構え、足並みを揃えて踏み出した。
この様を、機略縦横のオデュッセウスが目の当たりにし、アカイア勢の士気が大いに落ち込んだと読んで、彼の兵士に指示を出して囁いた。
「ここは後続を勢いづけるために、お前が何かしら言いなさい。敵の大将はあの女戦士です。ですが知らぬふりをして」
このようにオデュッセウスが耳打ちをすると、兵士に否やなどあろうはずもなく、雑兵たちに発破をかけて言う。
「どうしたことか!いったい誰が防壁に籠っていたイリオン人を我々アカイア勢に立ち向かわせた?神にも見紛う誰かか?だとすれば案ずることは無い、今日日の我らは神の寵愛を受けている、紛い物の神に後れを取るはずはない!」
アカイア勢は我に返り、盾を構えてイリオン人に立ち向かう。双方の怒号が飛び交う中、戦塵は凄まじく巻き上がり、同胞の姿さえ視界から隠す。その中で、不可視の弓矢が打ち込まれ、パリスが何人かを負傷させた。その隙にイリオン人は槍を突きだし、アカイア勢の戦士たちの瞼を閉ざした。
その時ペンテシレイアは、馬上にあって体勢を崩さず、見事に乗りこなして大剣を振るう。盾に備えた黄金の装飾持つ槍は、戦塵の隙間から輝き、イリオン人の目に届く。これを頼りに前へ前へと突き進む戦士たちは、アカイア勢を少しずつ押し返し始める。
ペンテシレイアの大剣が、次々にアカイア人の首を刎ねた。例えば勇ましいレルノスや、メラニッポスを討ち取った。彼女の端女もまた次々と武勲を立てた。このうち、クロニエーはメニッポスを討ち取ったが、それは彼女の命を奪うこととなった。親友のメニッポスの仇討に、ポダルケースが彼女の前に立ちふさがったためだ。
ポダルケースは友の亡骸を担ぐクロニエーに、鋭い剣幕を向けて言う。
「お前のような女が、戦場を荒らすことなど許さん」
クロニエーは粛々と、冷静に振舞って言う。
「何を言う。この男は私が討ち取った。私がこの男より強かっただけだ」
「馬鹿を言うな!色香ばかりで武勲を立てたアマゾーンの女などに、メニッポスが敗れるはずはない!」
ポダルケースは取り乱し、盾を構えて兜の馬毛を揺らす。クロニエーは槍よりは短い剣の血を払い、メニッポスを地面におろして立ち向かった。
ポダルケースはすさまじい大音声を上げて、クロニエーに槍を突き立てる。すんでのところで身を躱したクロニエーは、ポダルケースの懐へと入り込んだ。
クロニエーは素早い動きで剣を突き立てる。ポダルケースは死が近づいてはじめて、冷静さを取り戻し、盾を突き出してクロニエーの顔に打ち付けた。
クロニエーの視界が遮られ、刃の照準がずれる。僅かに胴鎧に傷をつけた剣は、するりと脇へと抜けて、ポダルケースの命は繋がれた。
そして、敵の動きが鈍ったその隙に、ポダルケースは盾を振り上げ、その頭を殴り、よろめくクロニエーから距離を取る。そして、狙いを定めて槍を突きだし、クロニエーの腹を貫いた。クロニエーはそのまま前のめりに倒れ伏し、瞳は闇に捕らわれた。
「クロニエー!」
端女を討ち取られたペンテシレイアは怒り、馬の横腹を足で打ち、方向転換する。そして、暴れ馬の突撃するに任せてポダルケースに近づくと、煌めく槍で彼の槍を持つ腕を貫いた。ポダルケースは武器を取りこぼし、呻き声を上げる。彼の視界一杯に、逆光を受けた女王の凄まじい騎乗姿が広がる。恐れをなしたポダルケースは、構えた盾を落としながら、仲間の中へと逃げていく。
クロニエーを討ち取られたペンテシレイアは、こののちポダルケースが腕の傷を悪くして仇を討ったことを知ることは無かった。
女王に従った各女戦士も、アカイア人と奮戦した後、討ち取られた。例えばブレムーサはイドメネウスの槍を胸に受け、エウアンドレーとテルモドーサはメリオネスも討ち取られた。小アイアースがデーリノエーを、ディオメーデスがアルキビエーとデーリマケイアを討ち取った。
パリスの弓矢が届く範囲で言えば、女戦士は劣勢に見えた。彼もエウエーノールを射殺したが、本来、彼はカベイロスを討ち取ったステネロスを打ち倒そうとして矢をつがえていた。
女王は馬を駆り、続々と敵を討ち取っていく。戦局はイリオン勢の不利に傾いていたが、女王の活躍もあって彼らは勢いづいており、アカイア勢にも数多の犠牲者が出た。
とはいえ、女王も戦局は不利と見るや、アカイア勢の軍勢に突撃し、軍団を分断する。そして、アカイア勢の半分が、イリオンの戦士たちに預けられ、もう半分をペンテシレイアが預かった。これは見事な作戦で、この半分の軍勢というのが、パリス率いる弓兵らの射程が届く範囲であったためだ。アカイア勢の全軍を相手にしていたイリオン勢は劣勢であったが、徐々に攻勢へと転じていく。
落ちることない士気が、アカイア勢を苦しめる。ペンテシレイアは大剣を振るい、あるいは構える盾に隠した槍をアカイア勢の突き出す槍の隙間から突き上げて、数多の勇士らを大地の上に眠らせた。
「老王プリアモスを侮辱した、アカイア勢の戦士たちに告ぐ!お前たちがどれほど軍功を収めようとも、この私がそれを奪い帰してやる。お前たちは年老いた弱い者いじめをし、それを喜んで船に収めて持ち去ろうとしたようだが、その悪行は必ずや神々の怒りを買うだろう。このペンテシレイアが、神々に代わって罰を与える。軍勢の主人、猛将アキレウスとアイアースはどこにいるのだ!」
「女王に続け!」
パリスが大音声を上げて言う。声に答えたヘクトールの友人たち、また兄弟たちがペンテシレイアを助けるために単身の女王に従った。この時、イリオン勢は体勢を立て直し、崩れたアカイア勢の半分に、矢の雨を注いでその動きを止めていた。
ペンテシレイアは懐に入る敵を盾ごと斧で砕き倒し、あるいは盾に収めた槍を振るって、器用に武器を取り換え、囲い込もうとするアカイア勢を薙ぎ払った。
「今日のイリオン軍には女神がついている!このまま金の矢を射る君アルテミスか、はたまた雄々しいエニュオーが、我が軍に味方し、アカイア勢の軍船に火を放って下さるだろう!」
イリオン人の多くがこの声に助けられた。勇気を奮い立たせ、脛当て美々しいアカイア勢を押し返す。恐ろしい兜の飾毛を、獰猛に振り回して懐に入り込むイリオン人は、さながら野獣そのもので、激しく暴れる牡牛が群れをなして突撃し、角を用いて人々を投げ飛ばす様に似ていた。
ペンテシレイアもまた、殺戮を重ねて包囲せんとするアカイア勢を続々と打ち倒す。大地には巨大な赤い血だまりが溜まったが、蹄がこれをかき乱し、女王の服の裾まで染め上げた。血は衣服の外側からじわじわと胸のあたりまで染みていくが、返り血凄まじい顔までも、硬い血糊で覆われた。
ところが、幸いなるかなイリオン勢よ、アカイア勢は、未だ戦力のいくつかを、軍勢の外に置いて戦っていた。それというのも、まさに女王ペンテシレイアが名を呼んだ両雄は、未だ参戦をしていなかった。それはまさに女神の神意のためであり、運命はペンテシレイアに勇気を吹きかけ、アキレウスとアイアースを、パトロクロスの墓碑の前に留め置いたためである。




