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イリオンの矢  作者: 民間人。
援軍とその顛末
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禍夢

 ペンテシレイアは豪華な客間で身を休めることとなった。客間は、柱と壁で迷宮のようになった宮殿内にある一室で、調度品は見事だが持ち運びやすい装飾具は少なく、心地よい眠りを誘う羊毛が一角に備えられている。これはイーデー山の羊飼いがこの町に運んだ羊毛であったが、女王は部屋に入るなり、この羊毛の中に身を預けた。


 羊毛は心地よく女王を眠りへといざなったが、オリュンポスの御座におわす神々の女王ヘーラーは、男勝りの女王の振る舞いに腹を立てておっしゃった。


「あの女、ずっと見ていれば夫婦の契りにはそぐわない立ち振る舞いをして、恥というものを知らないと見える。ましてイリオンに肩を貸すなど!死にかけの老人のことなど見捨ててよい縁談でも待てばよいのに!」


 ヘーラーは激しくお怒りになり、パラス・アテーナーを呼びつけておっしゃる。


「戦において勝る者無き女神アテーナーよ、あの恥知らずな女王が、私の権能を蔑ろにする前に、いち早く戦場で果てるように取り計らいなさい」


 これに対して、パラス・アテーナーに否やはなく、即座に要望にお応えになっておっしゃる。


「勇猛で愚かな女ペンテシレイアは、イリオン人に与するというのですね。では、私が一肌脱いで、アカイア勢のいずれかに、あの女を見事に討ち取らせてみせましょう」


 このようにおっしゃると、アテーナーは瞼の裏に神意を伝える(オネイロス)をお命じになる。


「心地よい眠りを誘うオネイロスよ、ペンテシレイアに蛮勇を授けるべく私の姿を借りて女王の瞼の裏に心地よい夢を見せるがよい」


 このようにお命じになると、夢は名高いゼウスの子に礼を尽くして快諾した。


「なるほど、アテーナー様のおっしゃる通りに、ペンテシレイアの勇気を奮い立たせることと致しましょう」


 このように答えると、夢はペンテシレイアの寝床へと降りていき、その枕もとで語り掛けて言う。


「女王ペンテシレイア、女のうちでもっとも勇敢な勇士よ。お前は私、パラス・アテーナーの言葉に応じて、アカイア勢と勇敢に戦ってみせよ。必ずや見事な武勲と、快い安らぎを得ることができるでしょう」


 女王の耳に言葉が届くと、夢はペンテシレイアの瞼の中に入り込み、百総の帯持つアイギスを身に着けたアテーナーの姿を模して現れた。


 ペンテシレイアは瞼の裏で見事なアイギスを身に纏ったアテーナーの姿を目にして、耳に伝わった言葉に喜び答えて言う。


「知恵深き戦女神アテーナーよ、あなたの御姿を見て、私の自信は確信に至りました。諸々の都市に勝利を齎した女神のお言葉に、何故応じないことができるでしょうか。私は最期まで誇り高く戦い、イリオン人の希望となって、アキレウスを討ち取ることを約束いたしましょう」


 この言葉を受け、夢は不気味に微笑んで言う。


「あなたのお言葉が嘘とならないことを期待していましょう」


 この禍夢が終わると、ペンテシレイアは希望を齎すヘリオスが空を渡る姿を目の当たりにした。宮殿からパリスが、イリオンの町の至る所から戦士たちが防壁へと繰り出す。女王は逞しい体躯に種々の見事な装身具を身に纏った。

 まずアレース神より賜った精巧無比な甲冑を身に着ける。逞しくも美しい脚には膝までを覆う黄金の脛当てを身に着ける。繊細な細工を施した胴当ての鎧は、彼女の豊満な乳房を丸ごと覆い、甲冑を着込んだ体に見事に合っていた。兜は俊敏を示すように黄金の羽根飾りを頭頂部にあしらっており、均整の取れた女の頭部を見事に覆い隠した。さらに、女王は象牙の鞘を持つ大剣を肩に帯び、盾を身に着ける。盾は月を模した眩い逸品で、半球の中心が大地に向かって反り出すように、滑らかな弧を描いていた。更には諸刃の戦斧を掴んだ。

 女王は神々に見紛うような見事な装具を身に纏い、最後に黄金の飾りをつけた槍を盾に収めると、宮殿を飛び出し、厩舎の美々しい愛馬に跨った。愛馬は高らかに嘶きを上げ、歯茎を剥き出しにして鼻を鳴らす。彼女は風の如くイリオンの町を駆け下りていき、防壁へ繰り出す戦士たちの鼻腔に甘い色香を残して、その間を駆けて行った。

 戦士たちは俄かに活気立ち、女王のあとを追いかけて足取り軽やかに町から繰り出していく。その勇ましさはかつてアカイア勢を追い詰めた時に似て、防壁の上へと昇らんとするパリスの目を丸くさせた。


 女王は神々の築いた見事な防壁の前で馬を停めると、彼女に追従する戦士たちの方を振り返って剣を天に掲げた。


「イリオンの男達よ!今ここで戦いに臆するのであれば、お前たちは私の裾が引く道を歩くことを許さない!あの強大なアカイア勢と勇敢に戦い、見事に武勲を立てた者には、私のこの手の中で弔ってやることとしよう!男であれば、死をも臆せず、見事な武勲を立てて見せよ!」


 かつてヘクトールが鼓舞した時の如く、イリオンの戦士たちが大音声を上げて言う。歩哨路の上で弓をつがえる戦士たちでさえ、槍を手に持ち、梯子を駆け下りていく。戦士たちはパリスを置いて女王の後に続き、彼らを追い立てるように武装した女王の端女達が彼らに続いた。取り残されたパリスと、彼と同じように憶病な戦士たちが防壁の上に突っ立っている。我に返ったパリスは、砂塵を巻き上げるイリオン人の行列を指差して、出遅れた者達に声を掛けて言う。


「え、えーっと、このまま仲間が突撃すると、弓の射程に敵が入らない!僕たちも続きましょう!」


「お、おーう・・・」


 パリスも戦士たちも、慌てて梯子に手をかけて彼女達を追いかける。かくして、イリオン人は長らく身を預けていた防壁を降り、槍と盾を持ってアカイア勢の前に対峙した。


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