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イリオンの矢  作者: 民間人。
援軍とその顛末
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アマゾーンの女王ペンテシレイア

 翌朝、アカイア勢が大挙して戦場に押し寄せる砂埃が遠方に望める中、パリスは兵士達の変わらぬ冷ややかな視線を受けて、防壁の上に登った。

 兵士達は口々に滅びや亡命のことを口にしており、パリスがキッと睨みつけると、すぐにその口を噤んだ。


 やがて日が完全に昇ると、矢の雨を降らすイリオン勢の隊列と、鋭い槍を投げるアカイア勢の隊列とが互いに射程へと入る。余裕綽々としたアガメムノン王の姿が視界に入るなり、兵士達の恨み言がパリスの耳に届いた。


「さぁ、臆病者のイリオン人共を防壁から引っ張り出してやろうではないか!」


 アガメムノンが大音声を上げると、アカイア勢の勇士達もこれに続く。パリスは負けじと「迎撃の準備だ!」と叫ぶが、仲間たちは黙って弦を張るばかりであった。


 アガメムノンが大声で進軍の合図を出すと、たちまちアカイア勢の盾が隙間なく張り巡らされ、足並みを揃えた軍勢がイリオンの防壁に迫り来る。武器を構えたイリオン人が矢を放つ、すんでのところで、突如見知らぬ軍勢が現れ、アカイア勢の前を通過する。それは見事な衣装に身を包んだ、美しい十三人の女たちであったが、彼女の通過した直後に、アカイア勢の見事な楯を持つ戦列が、たちまち崩れたのであった。

 というのも、彼女達の先頭に立つ女は二つの戦斧を素早く振るって、アカイア勢の楯を持つ手を内側から叩き切り、それに続いた女たちが、槍を持つ無防備な手を剣で断ち切ったためであった。


「ほ、ほんとに来た・・・」

「アカイア勢の諸君、あいさつ代わりだ!我はアマゾーンの女王ペンテシレイア!その名を恐れ、道を開けよ!」


「開けよ、開けよ!」


 乗馬する女王ペンテシレイアに続いて、十二人の女たちが声を上げる。思わずイリオン勢の手が止まったのは幸運であった。もし万が一矢を放とうものなら、そのまま敵味方問わず無差別な攻撃が待っていたであろうから。


「門だ、門を一瞬だけ開けろ!ペンテシレイア殿は味方だ!」


 パリスは慌てて声を張り上げる。女王は敵の槍を軽くいなしながら門まで進むと、僅かに開いた扉の中に滑り込んだ。

 女王の端女たる十二人の女戦士たちは、アカイア勢兵士を数名地面に伏せ倒し、女王の後ろに続いて門を潜った。


「ほら、扉閉めて、速く!」


 女戦士たちに見惚れる兵士達に、パリスは声を掛ける。我に返った兵士が急いで門を閉める時には、アカイア勢は門のすぐ前まで迫っていた。


「迎撃開始!」


 パリスが声を上ずらせながら大音声を上げる。戦闘はようやく始まったが、イリオン人はまず門に群がったアカイア勢を押し返すことから始めなければならなかった。


 とはいえ、ペンテシレイアの登場にイリオンの戦士たちは大いに喜んだ。珍妙なことに直接馬に跨る姿も堂々として逞しく、何より絶世の美女であった。アマゾーンの女王は戦勝者が凱旋するかの如く、威風堂々として、群がるイリオン人の雑兵たちに応える。急いで梯子を下りたパリスは、女王のもとに駆け寄った。


「お待ちしておりました、アマゾーンの女王ペンテシレイア様。宮殿へご案内いたします」


 パリスを見て、十二人の女の一人であるクロニエーが、女王へと耳打ちをする。パリスも彼女を見て安堵した。ペンテシレイアはクロニエーから話を聞き、馬から降りると、パリスの顔をまじまじと見つめた。


「な、何か・・・?」


 狼狽えるパリスを見定めると、女王は鼻を鳴らして言う。


「軟弱そうな男だ。大した男ではないだろう」

「なっ!?」


 女王は再びパリスを見下し、「そういう反応が実に俗物らしい」と言って、宮殿へと向かう。パリスは急ぎ彼女について行くと、女たちには「下男のようだな」と口々に冷笑された。


 宮殿では、見事に着飾った老王プリアモスと妻ヘカベー、そしてヘクトールの妻アンドロマケーとが女王を出迎えた。老王は背丈の高く堂々とした振る舞いの女王に駆け寄ると、その手を握って握手を交わした。


 友好的な態度をとる老王に対して、ペンテシレイアは高圧的に睥睨する。背丈も高い女領主は、年老いたプリアモスには一層威圧的に見えた。


 城内の装飾や柱を一回り見回した女王は、端女達に耳打ちをする。隣で聞き耳を立てていたパリスは、これをしっかりと聞き取って、拳に力を込めた。


「見事な宮殿だ。私達の住まいにするのも悪くないかな」


「ようこそお越しくださいました、勇猛な女王ペンテシレイアよ。アマゾーンの数多の活躍は耳にしております。どうか強大なアカイア勢―とりわけ恐ろしいアキレウスの討伐に力をお貸しください」


 老王プリアモスがそう言うと、ペンテシレイアは分厚い胸当てを張り出して、声高らかに答えた。


「そうか、アキレウスという者が強いのだな。では一息に討ち取ってやろう」


「何と頼もしい!まずは、ペンテシレイア殿、この度の協力に感謝して、こちらの贈り物をどうぞ」


 プリアモスはそう言って、儀式用の青銅の鼎や、器に盛った羊の肉、並の女ならば目を奪われるであろう装飾品の数々を運ばせた。

 種々様々な歓迎の品を、ペンテシレイアは暫く品定めする。やがて視線を僅かに上げて、一つ鼻を鳴らして言う。


「では、これらの品々ではなく、そこの見事な槍を頂こうか」


 プリアモスが表情を曇らせる。パリスが視線を追いかけると、そこにはヘクトールの遺品である黄金の装飾を持つ大槍があった。数少ない長兄の遺品に目をつけられ、パリスは女王の前に躍り出て断りを入れて言う。


「これは、今は亡き兄ヘクトールの遺品です。簡単にお譲りするわけにはいきません」

「そうか。では、協力の話も無しだな」


「っ・・・」


 端女達が口元を隠して囁き合う。体躯も見事な女王は、威風堂々として老王に詰め寄る。ヘカベーがさめざめと泣く声が、殿上に響いた。


「分かりました。確かに見事な品ですからね。我が子の遺品を、どうか大切にご利用ください」


 プリアモスは苦悶の表情でこう言うと、ヘクトールの見事な遺品、戦場でも何より目立つ槍を手に取る。老人の手にはあまりに重く、また柄も馴染まない槍故に、彼はこれを引き摺りながら運び、ペンテシレイアに譲り渡した。


 女王は槍を受け取ると、これを軽々と持ち上げて、手に馴染ませるために指先で弄んだ。

 縦横無尽に旋回する穂先は、まるで元の持ち主が女王であるかのように振舞う。女王は満足すると槍を仕舞い、改めて、プリアモスに言い放った。


「あいわかった。見事アキレウスを討ち取り、イリオンの町を救ってみせよう」


 女王の不遜な態度を苦にして、ヘクトールの妻アンドロマケーが独り言ちって言う。


「かわいそうな人。あの人さえ討ち取ってしまったアキレウスに、勝てるはずなどないのに」


 かくして女王ペンテシレイアはイリオンに入城を果たし、第二の戦陣が切って落とされた。


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