ゼウス、神々の介入を許す
天地司る神々が、一所に集まって席を囲まれるとき、雷を愉しむ神ゼウスは、参集した神々のお顔をご覧になる。先ず、お隣におわすのは神々の女王、ゼウスの妻たる牛眼の女神ヘーラーで、地鳴りを起こすほどの激しい怒りを、苛立ち交じりの貧乏揺すりで示しておられる。ゼウスと肩を並べておられるのは、大海より上り来たる、大地揺るがす神ポセイダオンであらせられる。御柱はその手に三叉の矛をお持ちになり、お召し物は簡素でありながら、その並々ならぬ威厳を、蓄えた御鬚を揺らしつつ誇示なさっている。
ヘーラーのお隣には、パラス・アテーナーがお座りになる。恐ろしいアイギスは置いてご参加なされており、その筋張った肉体美をいかんなく晒しておられる。アテーナーのお隣では、女神アフロディーテが優美なキトンをお召しになって、その艶やかな髪を揺らしておられる。並んで座する三女神の仲を取り持つために、イーリスは三者のすぐ隣に座しておられ、すぐにでも動けるようにサンダルの紐を強く結んでおられる。
ポセイダオンのすぐお隣では、レートーの賢しき御子、輝ける君アポローンが列席なされ、その麗しい巻き毛を揺らしておられる。叔父であるポセイダオンとは距離を取っておられて、座と座の間には一柱分の席が空いているように見える。
アポローンのお隣にはその姉君アルテミスが座しておられ、女神には珍しい短いキトンをお召しである。その麗しい脚を晒しておられ、神々だけでなく、人の子でさえ、その御姿に心を射抜かれることであろう。
さらに、そのお隣にはヘルメイスが座っておられ、伝令の杖と翼あるサンダルをお召しになっておられる。さらにはアレースが、苛立たし気に待機しておられる。
最後に、ヘファイストスは足を引き摺りながら、赤ら顔を隠して座っておられた。
さらに、こうした神々の中心では、ヘスティアーが炉を守っておられる。その炉に炎をお灯しの上で、神々の団欒を守っておられる。
さて、ゼウスのお隣に座した、オケアノス司る神ポセイダオンは、神酒注ぐ盃を互いにぶつけながら、偉大なるゼウスに語り掛けておっしゃるには、
「おい、ゼウス。どうしてまた大人数を集めたのだ。いずれの神々も暇では無かろう」
「知れたことを。ここに集った神々は、いずれもアカイア勢、トロイア勢のいずれかを助けることを許すのだぞ。アキレウスが立ち上がった今、瞬きの内にトロイアの城壁が崩されては敵わんからな」
ゼウスは、訳知り顔でこのようにおっしゃると、神酒を一思いに飲み干し、空の盃を兄弟の盃と付き合わせられた。
「では、またトロイアに与するのですか?なんと不公平な」
すかさず、白い腕の女神ヘーラーがおっしゃるのを、雷を愉しむ神ゼウスは意外にもすんなりと受け止めて、このようにおっしゃった。
「いや、アカイア勢を何なりと世話をするがよい。儂はここから動く気も起きぬのでな。お前の好きな方を助けてやるがよい」
「ふん、どうせまた何か企んでおられるのでしょうに。まぁ、そう言う事であれば、私は心に決めていることです。つまりは神々の女王ヘーラーとして、アカイア勢を助け、心配りをしてやりましょう。ゼウス、あなたの神意に添いかねる結果になろうとも」
このようにおっしゃると、パラス・アテーナーと共にすぐにでもアカイア勢を助けるように戦車を駆り、降って行かれた。女神たちに倣って、ポセイダオン、ヘルメイス、ヘファイストスが降って行かれる。
「兄君、楽しいことになって参りましたね」
狡知のヘルメイスはアポローンにこのように耳打ちをされると、跛行するヘファイストスの隣を素通りして、女神について行かれる。
アフロディーテがご起立なさると、御柱は裾を引き摺って、イリオン勢の陣地へと赴かれる。彼女に倣って、溌溂とした様子でアレースがご起立なさり、荒々しい戦馬に跨り、アフロディーテを後ろからお攫いになってしまわれた。彼はそのまま哄笑し、イリオン勢の陣地へと降って行かれる。河の神クサントス、黒衣の女神レートーは、このすぐ後ろについて行かれる。その様を、雲を集めるゼウスは冷ややかに見送られ、次いで試すような眼差しを、輝ける君アポローンへと向けた。
「それで?神託の神はどうするのか」
先にアルテミスが立ち上がり、イリオン勢の元へとお降りになる。
凄まじい鬨の声が、両陣営から上がる。
「父君よ。どうせあなたの思うままなのでしょう」
アポローンがおっしゃる。御柱は弓をお手に取り、矢筒に矢を満載されて、朱のヒマティオンを羽織られる。襞が風に靡き、焚きしめた香が心地よく鼻腔をくすぐる。父の試すような視線をきっと睨み返されたところ、ゼウスは目を細めてその様を睥睨された。
アポローンは考え得る限り最も見事な装具を身に纏い、地上へと降って行かれる。彼の行く先には、イリオンの陣屋がある。
「ほう、面白いものだな。秩序ある神がイリオンに与するとは・・・」
ゼウスの呟きから暫くして、天を舞う鷲が戦場へ飛び立っていく。両陣営から砂埃が巻き上がり、凄まじい鬨の声が戦場の中央に集まっていく。神々のお姿さえ、見えぬほどの凄まじい砂埃の中へと鷲が飛び込んでいった。
神様紹介コーナー:
ヘファイストス
ギリシャ神話における炎と鍛冶の神であり、武器や日用品、装飾品を作る名匠の神である。ヘーラーから産み落とされた子だが、生まれつき脚に障害があり、醜い神であったため、ヘーラーに嫌悪されて天から落とされてしまう。または、ヘーラーとゼウスの夫婦喧嘩で、ヘーラーを擁護したためにゼウスの不興を買い、落とされた際に脚が折れたとも。
障害を抱えて人間関係に苦しんだが、優れた鍛冶の神として知られ、神々の椅子や装飾品、英雄たちの武器などを作って活躍している。
自らの醜さを気に病んでか、彼はゼウスの助力を得て女神アフロディーテを妻に娶っている。しかし、アフロディーテは美の女神であり、醜いヘファイストスを嫌ってアレースと浮気をしてしまう。アフロディーテを信頼していたヘファイストスはこれに怒り、浮気現場に罠を仕掛けて手製の糸で拘束し、ヘルメイスをその場に案内して、伝令の神を通して神々に二人の痴態を晒させた。結婚の神であるヘーラーは当然激怒、他の神も痴態を晒す二柱を笑覧する。彼は女神ヘーラーに申し出て、ポセイダオンの仲介で、離婚をする許可を得た。
さすがに過剰な報復にも見えるが、ヘファイストスの強さは不遇の人々にとっては希望でもある。




