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イリオンの矢  作者: 民間人。
不和の林檎
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王子アレクサンドロス

 競技会では、プリアモス王の息子たち、即ち王子たちが多数名を連ねていた。いずれも逞しい勇士であって、およそパリスでは歯が立たぬ相手である。プリアモス王は競技会の開催に当たって、予め、王子達にも対等に戦うことを求めていた。それは戦士としての誇りを守る為であって、そうした実直な姿勢こそが、神々にも好まれると考えていたためである。


 イリオンには、神々に対する失敗談があった。イリオンの強固な城壁を作られたのは、ゼウスに謀反の意を示し、一時奴隷に身を落としていた神、ポセイダオンとアポローンである。この二柱はイリオンに、破ることの叶わない強固な壁を作られたが、ポセイダオンがこれに報酬を求めると、当時の王はその支払いを渋った。これ以降、ポセイダオンはイリオンに手を貸すことを拒み、海の恵みも与え給わなかった。

 これはあくまで古い話であったが、契約に対する報酬を渋ることは不誠実である。この話に加えて、現王プリアモスは、この誠実さの重要性を、彼自身の身を以て痛感していたのである。


 競技会に参加したパリスは、鬼人の如き活躍を見せた。牛を連れ出した役人も開いた口が塞がらなかったであろう。勿論、それはアレース神の御加護あってこそのことである。単なる牧人パリスに、そのような勇猛さが備わっているわけではない。


 競技会が終わると、プリアモスは、優れた成績を残したパリスに対して、賞品を与えることに決めた。


「牧人のパリス、イーデー山出身の男よ。君こそこの優れた牡牛の持ち主に相応しい。私の従者らの非礼を詫びさせて欲しい」


「陛下、有難く存じますが、身に余るお言葉です。この度は神の御寵愛のためにたまたま勝利を収めたに過ぎません。きっと牡牛の持ち主を憐れんでのことでしょう」


 アレースは彼の勝利を祝福し、老王の心にパリスへの祝意を吹きかけられた。

 プリアモスは牡牛に黄金の冠を乗せ、パリスの手を取って公衆の前で高らかに持ち上げた。


「善良なる市民たちよ、ここに新たな勇士の誕生を祝おうではないか!」


 競技場を包み込む喝采に、パリスは耳を赤くした。ところが、その声を覆い潰すほどの大音声が、周囲に響き渡った。


「ちょっと待った、父君!あなたは私達の面目をちっとも与して下さらない!私は、競技会ではまるで人が違ったこの男を、同じ勇士と認めることは出来ません!」


 声の主は、プリアモスの子、デーイポボスであった。彼は王に手を取られるパリスに向かって真剣を抜き、凄まじい殺気を漂わせながら駆け寄った。既にアレースの加護も役目を終えたパリスは、その殺気にすっかり怖気づき、王の手を離して逃げ出した。

 これには観衆も呆然としただろう。人の変わったように臆病になったパリスは、デーイポボスに追い回され、彼に何度も剣を振るわれた。しかし、意外なほどに瞬発力に優れたパリスは、泣きじゃくりながらデーイポボスからの猛追を寸でのところで避ける。彼はゼウスの祭壇に身を隠した。


「ど、ど、どうしよう・・・。陛下に非礼を詫びなくては・・・」


 パリスは恐る恐る祭壇の裏から様子を見た。逆光を受けたデーイポボスの血迷った顔と目が合ってしまう。パリスは悲鳴を上げ、デーイポボスは不敵な笑みを浮かべて剣を振り上げた。


「待ちなさい。ゼウスの祭壇の前ですよ」


 凛々しく、美しい女の声が響く。両者が振り向けば、そこには、髪を乱した女の姿があった。


「カサンドラー・・・」


 デーイポボスが呟くと、二人に挟まれたパリスは両者の顔を見回した。それぞれの顔はよく似ており、カサンドラーもプリアモスの血筋の者であることが彼にも理解できた。


 数度両者を見回したパリスは、カサンドラーが自分の顔を見るなり突然形相を変えたことに気づく。思わず彼女を凝視したパリスに向かって、プリアモスの子カサンドラーは金切り声で怒鳴った。


「アレクサンドロス・・・!」


「・・・はい?」


 パリスが聞き返すや否や、カサンドラーはパリスの口を覆い、祭壇から引き離す。そして、先程とは打って変わって、カサンドラーはデーイポボスにただならぬ形相を向けて、髪を振り乱して叫んだ。


「何をしている!?デーイポボス、この男を殺しなさい!」

「はぁ!?さっきと話が違うだろ!」


 デーイポボスがそう答えるが、カサンドラーはパリスを地面に押し倒し、その首を絞める。


「だから祭壇から引き離したんでしょうが!あなたも少しは察しなさいよ!」

「んんんんんんんんんんんん!!」


 苦しそうに呻くパリスに剣を向けるのが憚られたデーイポボスは、兄弟のただならぬ形相に恐れを成し、後退った。


 そこに、優勝者を庇うためにプリアモスが駆け付ける。

 父と兄に乱暴に引き離されたカサンドラーは、パリスを指差し、父親に訴えた。

「父君!あれは紛れもなく、災厄の御子、アレクサンドロスです!」


「アレクサンドロス・・・!」


 プリアモスはその言葉に驚愕し、わなわなと涙を零した。そして、老王はパリスの手を優しく握ると、諭すように彼に言った。


「これは神の御慈悲に違いない。この追善競技は、君の為に執り行われたのだよ・・・」

「え、えぇ・・・?」


 パリスは言葉を失くし、兄弟に取り押さえられるカサンドラーは金切り声を上げて、パリスを殺めるように諭した。プリアモス王は突然の息子との再会に喜び、件の優れた牡牛と共に、彼を王宮に招き入れた。


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