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イリオンの矢  作者: 民間人。
イリオンの歌
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エーオースを待つイリオン勢

 ヘクトールを中心に、夜闇の中に焚火をして食事をするイリオンの戦士らは、抜け目なく交代で敵の動向を監視しながら、それぞれの体を休めていた。


 勝利の美酒に酔いしれても良いところだったが、ヘクトールの表情は必ずしも明るくない。それは、祝いと労いを戦士たちから代わる代わる受けて、陽気で晴れやかな応対をしてもなお、パリスには筒抜けであった。


 一人焚火の前に座り、弓の弦を張り直すパリスは、炎越しに見られるヘクトールの『憂い』をつぶさに感じ取り、眉尻を下ろして見つめていた。

 視線に気づいたヘクトールは、やはり笑顔を見せてパリスの元に近づく。

 ヘクトールは未だ武装をそのままにして、パリスの頭をくしゃくしゃと撫で回した。


「よく頑張ったな、パリス。お前の射掛けた矢はよく当たるな」

「致命傷にはなり得ないけどね・・・」

「動きを鈍らせることは味方を助ける。この上ない貢献だよ」


 ヘクトールはそう言うと、パリスの丁寧な武器の手入れを見つめながら続ける。


「・・・いい弓だ。抜け目なく手入れされている」

「狩猟も仕事の内だったから、弓矢の扱いだけは馴れているんですよ」


 アカイア勢の防壁が目前にあるという緊張感の中で、夜を過ごす。パリスは自然と手が震えるのを感じた。


 夜を越せるのか、それともその前に強襲でもされて殺されるのか。そうした恐怖心から、パリスは言葉少なに手作業をして気を紛らわした。


「パリスは手先が器用だから、刺繍や織物にも向いているだろうな」

「良く、女みたいだと言われたものです」


「いいじゃないか。人間には与えられた役割がある。神々がそうお創りになったのだから、それを嗤う事などせずに、誇りを持って働けばいい」


 パリスは僅かに視線を動かす。ヘクトールの逞しい太い腕、キトンから覗く筋肉質な太腿。いずれもパリスの艶やかな腕や脚、細い指先とはあまりに異なっていた。神々が与えたなどというが、パリスの心はますます暗く、悲しくなる。


「神々からもらった才よりも、兄君の努力の賜の方が、ずっと美しく誇らしく思えます」

「・・・そう言うな。お前が努力してこなかったわけでもないだろう」


 ヘクトールは即座に答えると、パリスの背中を優しく叩いて、くしゃりと顔を歪めて笑った。悪戯をしたばかりの子供のような闊達さを思わせる顔で、彼は思いついたように味方の前に躍り出た。


「戦友たちよ!まずはお疲れ様。君たちの協力のお陰で、私はここまで強者揃いのアカイア勢を押し返すことができた!本当は船陣にまで入り込んで、敵を追い返すことができたらよいのだが、その前に夜が来てしまった」


 ヘクトールの言葉に、イリオン人はいつも勇気を与えられる。また、自分の働きに誇りを持つことも出来た。この指導者の下で戦えたことを、一人として喜ばないものはなかった。


「だが、明日の朝には強敵を追い立てて、撤退まで漕ぎつけたいと思う。そのためにはあらゆる手を使って、夜のうちに退かずとも済むように、策を練らなければならない。まず、伝令兵!イリオンに戻って、老人の指導の下で、青少年に城壁の警備をして貰うように伝えてくれ!さらに妻や娘などの女性には、明けるまで火を絶やさずに、アカイア勢の斥候が潜むことの出来ない都市を維持してくれと頼んでおいて欲しい。そして、我々は交代しながら奇襲を警戒する。そして!主神ゼウスの加護も頂けたようだから、神々には敵の肩を持つお方であれ、私達に寄り添ってくれる神であれ、きちんと祈祷をしよう。そうすれば、きっと我々に悪い気は起こさないでくれるだろう。このように事を運んで欲しい」


 ヘクトールが言い終えると、伝令使が即座に駆け出し、イリオンへと向かって行く。そして、戦士たちは戦利品や供物を神々に捧げ、戦勝を祈願した。


 その様子を、パリスは静かに見つめる。カサンドラーの予言が脳裏を過り、必死に首を振ってかき消した。

 イリオン人たちは、暁の女神エーオースが、その重い腰を上げて太陽をお運びになるのを、いまかいまかと待っていた。


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