表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イリオンの矢  作者: 民間人。
イリオンの歌
46/99

ゼウス、女神らに譴責する

 神々が御座に集う。中央では炉を守る女神ヘスティアーが薪をくべつつ、涼やかな微笑を湛えておられる。炎の内からは馨しい供物の香りが漂い、神々を楽しませる。ゼウスから始め神々の持つ盃へと、神酒が注がれると、ゼウスはこれを献酒され、一息に飲み下された。


「さて、弁明を聞こうか、二柱の女神よ。トロイアの地で刃を交えたわけでもあるまい。それなのにお前らときたら、なんだその酷い顔は。私の言いつけを守らぬから、このような辱めを受けたのだ。もしイーリスの言葉を飲まなければ、もっとひどいことにもなっておったろうよ」


 ゼウスが嫌味を込めておっしゃると、二柱の女神は肩を震わせ、怒りを抑えられ、しおらしく沈黙を守っておられる。ゼウスは神酒を注がせると、再びこれに口をつけ、のどを潤された。


「雷霆を直に落とされて、果たしてお前の持つ腕が、滑らかな白いままでいられるかな」

「恐ろしいクロノスの子ゼウス!あなたというお人は何と惨いことをおっしゃるのですか!あなたや我らを奉じているダナオイ勢の勇士達を次々に運命の網に絡めとり、なおもお救い下さらぬとは!?せめて上策を吹き込んでやるくらいはなさっても良いはずでは?」


 ヘーラーは怒りを抑えきれずにお諫めになる。ゼウスは冷めた瞳を妻に向けると、凄まじい雷霆をお手に纏いながらお答えになる。


「なるほど、ヘーラーよ。お前がもし望むならば、アカイア勢をもっと惨い目に合わせてやっても良いのだぞ。お前が腹を立ててもただの一つも困らぬからな。デメテルの時とは違うのだぞ。儂は一切困らぬ。一息でお前を懲らしめることができるからな」


 やがて、夜が巡り来ると、大海の水底がすっかり暗くなり、アカイア勢の顔も映らなくなる。ヘクトールの凄まじい活躍が打ち切られ、安堵に胸を撫で下ろすアカイア人達の様子を、ゼウスは睥睨された。

 ヘーラーはその視線の恐ろしく暗い様をご覧になって、何も答えられずにただ地面をお揺るがしになる他にはご反抗の意を示す術がなかった。


 二柱の女神がすっかりしおらしくなったことに満足されたゼウスは、神酒を一気に飲み干すと、オリュンポスに集った神々にねぎらいの言葉をおかけになった。


「言いつけを守ったその他の神々には、酷い迷惑をかけたな。アレースは・・・まぁ、動けなかっただけだろうが、大人しくして居ればそれなりに顔も良いのだから、そうしておればよかろう。とても褒められたものではないがな」


 そして、主神は彼の息子、類稀なる、聡明で秩序だった神アポローンに視線をお向けになった。神々の中でも特別な美貌をお持ちの、黄金の巻き毛のアポローンは、ご視線を受けると、その切れ長の目をそっと持ち上げて父にお顔をお向けになる。


「・・・ふむ。アポローンよ。ヘクトールに与してやったが、お前はもう少し喜んでも良いのではないか?」

「恐れ多くも申し上げます、父君。そもそも父君が手ずからご助力されたのであれば、私があれこれと手を尽くすなど無駄なことでしょう。これはご助力をしたのがアカイア勢にであれ、イリオン勢にであれ、変わりありません」


 ゼウスは満足げに微笑むと、聞き分けの良い賢い我が子に、手ずから神酒を注がれる。煌めく神酒が盃へ落ちるその様は、ちょうど王が金銀財貨を家臣に分け与える時のよう。アポローンは盃一杯に満たされた神酒をお飲みになると、ゼウスに最敬礼をされた。

 かくして、神々はそれぞれの聖域へとお戻りになり、お休みになった。


 しかし、炉を守るヘスティアーは最後までオリュンポスの峰に戻り、静かにお立ちになった。その涼しげな御顔をご覧になったゼウスは、訝しげに片眉を持ち上げる。


「ゼウス。何事か企んでおられるのね」

「ならばどうしたというのだ。お前にはどうすることも出来まい」

「ええ。私は団欒の中心にある神。和やかであればそれでよいのです。ですから、どうぞ信頼して私にはお話になってはいかがでしょうか」


 ヘスティアーは灰になった薪をそっと火ばさみで掴むと、これをお運びになって石の暖炉へとお運びになる。ゼウスはこれで足元を暖めつつ、不敵に微笑まれてお答えになった。


「なるほど、道理だな」


 ゼウスはそのまま、僅かに視線を持ち上げてお答えになる。視線の先には、陣屋の前で集会を開くイリオン人と、防壁を挟んで怒りに打ち震えるアカイア勢との姿があった。


「儂は人類を半分にしようと思っておる」


「その為に、神々を巻き込んだ戦争を起こされたのですね」


「そうだ。そして、アキレウスがいては寡勢のイリオン勢ばかりが死に、人口を減らすことができぬ。だからアキレウスを一度戦場から退かせた。いずれはアキレウスも復帰する」

「その時に、ヘクトールが死ぬのですか」

「それは、秤で決める」


 ゼウスがヘスティアーにあれこれとお答えになると、ヘスティアーは静かに灰を拾い集め、これを見ずに混ぜ合わせると、これを布に含ませて、丹念に神々の御座を磨き上げられた。


「では、アカイア勢には暫く辛い戦いが待っているということですね」

「お前もアカイア勢の肩を持つか?」


 ゼウスが凄まじい剣幕でヘスティアーを睨もうともなお、女神は自らの仕事をこなしながら、穏やかな口調でお答えになった。


「私はこの団欒を守るだけです。そのための女神ですもの」


 ヘスティアーの穏やかな瞳が、輝く神々の御座に映る。重い瞼の隙間から鈍く輝くその瞳には、畏れにも近い慈愛が満ちていた。


神様紹介コーナー:


 ヘスティアー

 炉を守る女神で、アテーナーと同じ処女神。逸話は非常に少なく、あのゼウスの求婚を拒んで処女を貫くことを誓ったというものが有名。

 こう書くとあまり重要な神にみえないが、彼女は家庭や都市の中心となる、「炉」を司る女神である。つまり、まずはじめに供物を受け取るのはヘスティアーであり、非常に重要視された女神と言える。


 本作でも、やはりというべきか、ほとんど登場することはない。しかし、それこそが彼女の神秘性の象徴と言ってもいいだろうし、それに見合った慎ましやかだが芯の強い神格を表現できていれば幸いである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ