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イリオンの矢  作者: 民間人。
イリオンの歌
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審神、または継戦のいきさつ

 オリュンポスの峰を登られた小さき耳持つ君(バイオティス)アフロディーテは、その座におかけになる。すかさず、二柱の女神から非難轟々の礫を浴びせられた。


「私の権能を侮辱する男を、どうしてお守りになるのですか。それとも、あなたのようなあばずれでは、高貴な貞淑の契りを理解できないというのですか」


「戦にも出ず、名誉ある契約も出来ぬあなたのような女神が、どうして私達のような数段格上の女神を侮辱されるのか、理解に苦しみますね」


 このように仰せられる様を、クロノスの御子ゼウスが面白がっておっしゃるには、


「女神たちよ。意見が割れているようだな。どうだ、メネラーオスに勝利の誉れを持たせるべきか、それともパリスに花を持たせてやるべきか。つまりはメネラーオスの勝利を祝い、ここで戦を終わらせて、ヘレネーはメネラーオスのものとして、アカイア勢もイリオンの民も犠牲無く矛を収めさせるか。あるいはパリスに花を持たせて、勝利を反故にして戦を続けさせるのか」


 神々が黄金の盃に神酒(ネクタル)を注がれると、それを高々とお掲げになり、互いの盃をぶつけ合ってこれをお飲みになる。その甘美な味に心を整えられた二柱の女神たちは、イリオン人へ報いを与えんと互いに囁き合われた。


 ところが、アテーナーはゼウスへの怒りがあまりに深く、お言葉を発することができなかった。そこで、神々の女王であらせられるヘーラーが、主神ゼウスに皮肉を込めておっしゃるには、


「あなたのことですから、どうせ私の言葉などに耳を貸されることは無いでしょう。私がいくら喚きたてたところで、どうせあなたの思う通り、その御力を振るって黙らせるのでしょうからね。ですが、私は女神のうちで最も高い地位のヘーラー、あなたは夫なわけですから、私の御心を立てて頂かねば困ります。お分かりですか?」


 このように女神がおっしゃったので、人都守る主神ゼウスは神酒を仰がれた後、ヘーラーのお言葉を受け入れておっしゃる。


「下らぬことを言うな。いいか、儂はお前と喧嘩をするつもりなど毛頭ないぞ。だから提案を聞いてやったのだ。つまりお前はイリオンを滅ぼしたいのだな?私にも他の神々にも、きちんと馳走を捧げ、神酒を絶やすことなく捧げた敬虔な人々を滅ぼそうとするのだな?プリアモス王もなるほど徳の高い人間だ、その子らも癖は強いがいずれも立派なことを言っておる。お前の提案は聞いてやるが、お前も事となれば儂の言う事を聞くのだぞ?」


「馬鹿馬鹿しい。あなたに勝てる者などこにおりましょうか。私の顔を立ててなどとおっしゃいますが、どうせ、私が何を言おうとその御心次第。私の寵愛するアルゴス、スパルタ、ミュケーネの都市も、滅ぼそうと思われるならそうすればいいでしょう。私はあなたと二度と口を利かなくなるだけです。イリオン人にアカイア勢に攻勢をかけるように、どうぞ翼を授けて下さい」


 白い腕の女神ヘーラーがこのようにそっぽを向かれるので、ゼウスはつまらなそうに語気を強めて、愛い娘に指示をしておっしゃる。


「アテーナー!聞いたな、伝えてこい!」


 お言葉を受けたアテーナーに否やはなく、急峻なオリュンポスの峰をその凄まじい健脚で駆け下りられた。その速度はすさまじく、戦塵塗れたイリオンの戦場にある両軍が、その火花散る山麓を認めて、両軍ともども「何のお告げか」と囁き合うほどであった。


 血眼になってパリスを探すメネラーオスは、殆ど野獣のように前線を駆け回っていた。その姿に、美しい都市をその掌中に収める算段を得たと見たアガメムノンは、勝ち誇ったように前線に躍り出て言う。


「見たか、アカイア人の勇士達よ。パリス王子はメネラーオスに恐れを成して逃げたぞ。これはつまりメネラーオスの勝利という事だ。戦争は止め、ヘレネーを奪い返した上で、相応の償いを受け取ろうではないか!」


 王がこのように言えば、アカイア人の中には否やなどあろうはずもなく、大歓声が上がった。一方で、イリオン人には困惑の表情が浮かぶ。デーイポボスは反論しようと身を起こすが、その肩を、ヘクトールが抑え込んだ。


「抑えろ。平和が戻るならば、まぁいいじゃないか」


 大歓声を上げるアカイア勢を前に、デーイポボスは拳を握り締める。戦う意気を失っていないイリオンの戦士たちは皆、デーイポボスと同じ心持ちであった。


 特に、リュカオーンの子らであれば、尚更のことである。このリュカオーンの子パンダロスたちの前に、豪勇アンテノルの子ラオドコスが馳せ参じると、勇猛な御子に発破をかけて言う。


「リュカオーンの御子、誉れも高きパンダロスよ。どうしてあの腑抜けたパリスのために、私達が負けなければならないのだ。イリオンの戦士たちも、私と同じ気持ちのはずだ。さぁ、その弓を持って、メネラーオスの頭蓋を射抜いてみせよう。これで勝利はパリスのもの、アカイア勢に一矢報いることも出来よう」


 ラオドコスの言葉を受け、パンダロスはすぐさま蔽いを取り払う。そこには、山麓を自在に飛び跳ねる御山羊の角で作った手製の弓が収められていた。パンダロスはこれを掴むと、遠矢射る君アポローンに祈願をして、牛の腸を紡いで作った弦を引き絞る。そして、その憎しみの情に任せて、鋭い矢尻を打ち込んだ。矢はすさまじい速度で戦場を駆り、メネラーオスの胸を狙う。

 それよりも更に素早い足さばきで、アンテノルの子ラオドコスが駆け出すと、パンダロスはそれがラオドコスでないと知り、絶望に打ちひしがれた。


 麗しい脚をその衣服から晒しながら戦場を駆り、パラス・アテーナーがメネラーオスをお守りになった。そして、ゼウスの戦姫は盾を構え、以て矢をお弾きになると、矢は軌道を逸らされ、メネラーオスの胸当ての、これを結ぶ帯、さらに黄金の留め金によって分厚く守られた場所に当たる。しかし、その強固な装備でさえも、憎悪の矢は容易く貫き、メネラーオスの表皮を掠めた。胸当てが外れ、緑の血がどろどろと衣服に染み出す。メネラーオスは傷口を押さえながら、怒りの声を上げた。


「何者だ!どうやらイリオン人は、約束を反故にするつもりのようだな!」


 アガメムノンが弟を介助し、イリオン人を諫めて言う。


「見損なったぞ、貴様ら!嗚呼、メネラーオスよ、弟を死地に追いやった愚かな兄を許しておくれ。お前を失い、あの野蛮人共にヘレネーを奪われておずおずと帰らねばならぬところであった!手当をせよ、医者よ!」


「兄君よ、あまり士気の落ちることを言われるな。弟はこうして無事でいる。この場でアカイア人が矛を収めることの無いようにしてください」


「アイアース!オデュッセウス!すぐに敵を討ち取るがいい!」


 かくして戦いが再開され、イリオン人とアカイア人ともども、戦塵に塗れた遺体を荒野に晒すこととなったのである。


神様紹介コーナー:

 ヘーラー

 ゼウスの妻にして、結婚を司る神々の女王。その神格は遥かに高く、何を隠そう英雄ヘラクレスとは(ヘーラーの栄光)の意味で、ヘーラーの憎悪から始まる一連の冒険譚が、『ヘラクレスの十二の試練』と呼ばれる逸話である。

 とりわけ英雄と関わりが深い、ヒーローメイカーで、ヘーラーに目をつけられるということはそれがどのような形であってもその者を英雄へと持ち上げた。

 『イリアス』では、終始アカイア勢、つまりギリシャ軍の側に味方をし、イリオン勢を苦しめる側に回る。一応彼女の名誉のために言うが、そもそもヘーラーの権能である結婚をパリスが軽んじたことから騒動が始まったので、彼女の怒り自体は正当な理由がある。ただ、ちょっと怒りっぽいだけである。


 拙著では、神々の女王に相応しい神格と、嫉妬深く癇癪持ちの女神として描いている。割とイリアスでもずっとブチギレていた印象があるので、それほどイメージからかけ離れてはいないと思っている。基本的にプライドが高い神なので、結果的にずっと怒っている感じになってしまうが、別に作者は彼女が嫌いなわけではない。

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