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イリオンの矢  作者: 民間人。
ヘレネー誘拐
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オデュッセウスの和平交渉

 イリオンに滅びの予兆が訪れるのを、神々が見逃されるはずもない。それをとりわけ敏感に感じ取られたのは、ゼウスの子、輝ける君アポローンである。世に並ぶ叡智無きアポローンは、デルフォイの神殿にいらっしゃる折に、海の彼方に向かうアカイア人の舟にお気づきになった。早速(かなえ)を取り出し、占術を用いてお確かめになったところ、神は、アカイア人が今からイリオンにヘレネーの返還を申し出るところだとお知りになった。


 事実をお知りになるなり、輝ける君アポローンは、仕事道具を片付けてしまわれ、このようにおっしゃった。


「占いたくもないわ、そのような結末など・・・」


 アカイア人の舟には弁舌優れた二人の勇士が同乗していた。機略縦横、ラーエルテースの子オデュッセウス、ナウプリオスの子パラメーデスの二名である。女神も述べられたとおりであるが、軋轢のある両者が仲睦まじく過ごせるはずもない。二人の勇士は互いに言葉を交わすことなく、とりわけオデュッセウスはパラメーデスを憎んでいたので、水面に映るパラメーデスの肢体さえも憎々し気に目を逸らすのである。


 宥和の為の大遠征には神々の関心も薄く、ポセイダオンは静かに眠り込み、順風の海原には漣が立つばかりである。

 もっとも、心穏やかならざるオデュッセウスには、寝息に揺れるような微かな水面の揺らぎも、不吉の予兆のように思えただろう。

 神々のうちアイギス持つ女神アテーナーはこの勇士をとりわけ擁護されたが、この時ばかりは彼の願いを聞き入れられなかった。戦塵立ってこそ、笑み愛ずる君アフロディーテから受けた汚辱を濯ぐことができるのである。オデュッセウスは道中様々に女神に気を向けさせようと心を砕いたものの、いずれも無駄なことであった。


 そうこうするうちに、オデュッセウスとパラメーデスを乗せた舟はイリオンを臨む浜辺へと辿り着く。舟を引き揚げ、杭を打ち付けて固定すると、旅団は比類なき城壁を目指して進んだ。


 イリオンの衛兵が彼らと見えた時、互いに言葉をうまく交わすことができなかった。そこで、オデュッセウスは策を弄し、粘土板に絵を描き、船団が到着した理由を伝えた。衛兵は粘土板を持って市内へと戻り、プリアモス王の屋敷へと訪れると、絵の描かれた粘土板を王に渡して言う。


「陛下、西の方角から来た使節が、斯様な荷物を渡して何らかの意思を伝えようとしております。いかがなさいましょうか」


 プリアモス王は英雄ヘラクレスとのかかわりも深く、アカイア人の言葉をよく知っておられたので、粘土板の絵を一目見て、このように言った。


「事情は分からぬが、何か困りごとと見える。親書などは持っておらぬか」

「畏れながら、王よ、私には彼らの言葉がてんで理解できません。どうか対話の出来るお方を寄越してくれませんか。用件を聞こうにも、書簡の類を受け取ろうにも、どうにも伝えることができません」


「そうか。では、アレクサンドロスを連れていくと良い。あれならアカイア人の言葉も分かるだろう」


 衛兵の言葉に得心してこう応じるプリアモスを、偉大な勇士である子ヘクトールがこのように諫めて言う。


「お待ちください、父君。ここは私が行きましょう。今、町にパリスを出せばどのような騒動になるか、分かりません」


「お前が行ってくれるならば有難い。早速招き入れて、話を聞いてきなさい」


「承知いたしました、父君。君も、すまないが案内をしてくれ」

「かしこまりました。こちらです」


 ヘクトールは堂々とした様子で衛兵についていく。難攻不落の城壁の前に至ると、アカイア人の二人の勇士とその従者らが、刺々しい様子で立っていた。


 ヘクトールは落ち着き払った様子で、優雅に振舞い、二人の勇士のうち、もっとも不機嫌に見える方に、先ずは握手を求めた。丁寧な接待を受けて応じないわけにもいかず、オデュッセウスは渋々と握手に応じる。彼も、ヘクトールを一目見た時、この男ならば話が通じるだろうと期待し、口に出して言う。


「歓迎ありがとう、イリオンの勇猛な戦士よ。私はイタカの王オデュッセウスです。この度はミュケーナイの王アガメムノンの要望に応じて、参上いたしました」


「なるほど、あなたがたのような、見るからに聡明な御仁を送られたのだから、アガメムノン王もまた聡明な方に違いない。さぁ、早速中へとご案内しよう」


 ヘクトールはオデュッセウスと丁寧な握手を交わすと、機嫌を損ねてないと見えるパラメーデスとも握手を交わし、市壁を開け放った。


 二人の勇士はイリオンの町の繁栄を見るなり驚き、目を丸くした。小麦色の肌を持つ人々が砂利を張った道路を行き交い、物に溢れている。森林からの猪や、イーデー山に住む羊飼いの連れてきた羊どもなどが、彼方此方を歩き回り、神々への捧げものに丁度良い、肉付きの良い牛が荷車を牽いている。


 建物は石造りが多くみられ、木造のものもたまに見られた。彼方丘の上に聳えるアクロポリスには、実に見事な神殿が建っている。オデュッセウスは率直な感想を述べて言う。


「これは実に見事な町です。一体、どのようにこれほどの都市を?」

「一度はあの英雄、ヘラクレスに町を悉く破壊されてしまいましたが、ご覧ください、この城壁を。それからはこの城壁、つまりは神々のめでたい恩寵を受けて、何人の攻めも通さぬ町となって栄えたのです。我が父プリアモスは、とにかくこの町で平和に過ごすことを望んでおられます」


 このようにヘクトールが言うので、パラメーデスは皮肉交じりに言う。


「なるほど、城壁の中で怯えながらの生活は、さぞ窮屈で甲斐のないところだったでしょう」


 この時、オデュッセウスが思わず顔を顰めたのを、ヘクトールは見逃さなかった。二人の間に割って入り、特にオデュッセウスに笑顔を向けてこのように言う。


「そうですかね。私は、父の作られた温かい町が好きですよ。このように賑わいもあれば飽きない。子を持つ父ならば、お気持ちも察して頂けるでしょう?」

「その通りです、勇士ヘクトール。いや、あなたは敵に回したくないお方だ」


 オデュッセウスはいつになく明るい口調で同意した。これには、パラメーデスは面白くない。イリオンの王子を前にして槍を出せないもどかしさもあったが、パラメーデス自身、ヘクトールにはまことに得難い神の加護があるように思われたのだ。それは実に正しいものだった。イリオンの空には鷲が飛び、血気盛んな若い勇士達に睨みを利かせていたのだから。


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