最後の魔女、あるいは普通の少女
オーウェンがその町に着いたのは、日差しの強い夏の日だった。
そこは戦争中である隣国との国境手前に位置しており、戦地から最も近い町であった。
オーウェンの住む国は数年前から隣国より侵略を受けていた。小国ながら、資源は豊富な自国。隣国の発展と共に攻められるはまあ当然の摂理と言えた。
オーウェンがそこに向かう理由は一つ。軍の新入隊員としての赴任である。
貧しい家庭の末弟に生まれたオーウェンは、適正年齢に達すると同時に軍に入った。
国を守りたいなどという崇高な想いは持っていなかった。ただ、家にいても食べるものが無く、生きるための場所が必要だっただけだ。
その程度の想いで入隊したからだろうか。
訓練課程の終了と共に、告げられた赴任先は戦地に近い町だった。
真剣味に欠ける態度のせいか。あるいは訓練課程中に意識の高い同期と揉めたせいか。
理由は分からないが、いずれにせよオーウェンはその町への赴任を命じられ、訪れた。
相手は戦力比で自国の数倍はある大国だ。戦線は防戦が主だったが、その侵攻を食い止めているだけでも凄いことだった。現在は小競り合い程度の戦いが散発しているようだが、その度に被害が出ていて、殺伐とした雰囲気が漂っているのだろう。オーウェンはそう思っていた。
着任して早々、彼はすぐに驚く。想像以上に酷い環境だったというわけではない。むしろ逆だ。最前線とは思えない程、そこには緊張感が無かったのだ。
中央の目が届かない環境でだらけている、と表現すべきか。
今の状況で攻められたらどうするのか。配属先の上司に尋ねると、返ってきた言葉にまた驚いた。
「魔女が戦うから大丈夫だよ」
何でも、国境間近に魔女の末裔が住んでいて、迫ってくる敵は魔女が倒してくれるとのこと。
あらゆる策も奇襲も、全てを見通す魔女には通用しない。
そう語る上司の顔は真面目で、嘘をついているようには見えない。しかし、そんな荒唐無稽な話、オーウェンには信じられなかった。魔女などという存在は御伽噺の中でしか見たことがない。
正直に、信じられないとオーウェンが告げると、上司は実際に見た方が早いと任務を言い渡した。一週間に一度、支援物資を魔女に届ける。その役をやれと言われた。
上司直々の命令である。断る理由も無く、オーウェンはその任を負うこととなった。
支援物資を届ける予定の日、オーウェンは指定の住所へと向かった。町を出て更に街道を進み。目視で国境が確認できる所に家はあった。
扉の前に立つとオーウェンは自分の身なりを整えた。深呼吸をしてから扉をノックする。緊張した面持ちで反応を待った。
少し経ってから開いた、扉の先。そこに立っていたのは一人の少女だった。
三つ編みにした栗色の毛に、この国に住む人の特徴である、藍色の瞳。あまり栄養が取れていないのか、かなり細身で背が低い。十代半ばから後半ぐらいの歳であろうか。白い肌が少し不健康そうに見えるが、それ以外は至って普通の少女である。
そう、街中にいておかしくない普通の少女だ。こんな場所に住んでいるのが違和感でしかない。
「こんにちはー……って、あれ? 初めまして、ですよね? 担当の人、変わったんですね」
「あ、ああ。初めまして。おれ……私はオーウェン。今日から私が物資を届けることになったんだ。よろしく頼むよ」
「そうなんですね。私はメアリーです。これからよろしくお願いします」
そう言って笑う少女の顔はあどけなく、やはりこんな所にいることがおかしく見える。
「どうしました?」
「あぁ、いや……本当に君は魔女なのか?」
「あぁ。皆さん、初めはそう言うんですよね。次の襲撃を見て頂ければ信じて貰えると思います」
黙り込んで顔をじっと見ていたオーウェンを不思議に思い、メアリーがどうしたと尋ねた。
オーウェンが一瞬、躊躇いを見せた後、素直に疑問をぶつけると。返ってきた回答は肯定だった。
メアリーの言葉に曖昧に頷きながら、オーウェンは持ってきた物資を渡した。中身がしっかり揃っているかを一緒に確認していると、不意に警笛が響いた。
驚くオーウェンに、隣国が襲撃してきたことを知らせる合図だとメアリーが告げる。
ちょうど良いとばかりに、オーウェンはメアリーに誘われ、共に国境へと向かった。
少女を戦場に立たせることに抵抗はあったが、メアリー本人からの言葉もあったのでオーウェンは国境を見張る兵士達と一緒に彼女を見守ることにした。
何かあれば直ぐに彼女を連れて逃げるつもりだった。
それから見た光景をオーウェンは生涯、忘れることは無いだろう。それほどに、それは衝撃的であった。
迫り来る敵兵。その数、数百はくだらない。
その前に立つ小さな少女は、吹けば飛んでしまいそうだ。
だが、飛ばされたのは敵兵だった。
メアリーの体が光ったかと思うと、突風が吹き、敵兵を吹き飛ばしたのだ。
有り得ない。風で人が飛ぶなど、常識では考えられない。だが事実として、風に阻まれ敵兵は近づくことができない。敵兵が放った銃声が響く。しかし、少女に届いている気配も無い。
そうこうしている内に少女の体がまた光る。雷が敵陣に落ち、奥に控えていた大砲が焼かれた。
遠距離からの攻撃の手段を奪われた敵兵は、暫くの間はメアリーへの接近を試みていたが、やがて諦めて撤退を始めた。
メアリーも敵兵を追撃すること無く、撤退を見守っている。
呆気なく戦いは終結した。最近はあっさり引きさがる事が多いと、後にメアリーは言っていた。
敵兵の動きは気になるが、とにかくメアリーの力が本物であることは疑いようがなかった。
戦力で劣る我が国がどうやって大国と渡り合っていたのか。答えは簡単であった。我々は、たった一人の少女に守られていたのだ。
それからは一週間に一度、オーウェンは物資を届けた。その度に、メアリーと話をする。
次第に二人は打ち解け、お互いに砕けた口調で話すようになった。
話せば話すほど、彼女は普通の少女だった。
メアリーはこの国のために戦ってはいるが、軍に所属しているわけでは無かった。
では何故、この国のために働くのか。尋ねたオーウェンに彼女は答えた。
「私には妹がいるの」
妹は変わった病気に侵されていて、魔女の魔法でも治すことが出来ない。
今は中央の病院に入院しており、国が治療法を研究してくれている。
寂しそうな顔でメアリーは言った。
つまりは交換条件というわけだ。この国は妹の治療をする代わりに、メアリーに隣国との戦争を強いているのだ。
「そんなのおかしいだろ」
「おかしくなんかないよ。私は魔女だからね」
「魔女である前に、君はこの国に住む一人の、普通の女性だ」
本来なら軍人であるオーウェン達が、メアリーを守って戦わねばならないのだ。
他の子達と同じように元気に過ごして、お洒落をして、恋をして。
そうやって生きていく権利が、メアリーにも与えられなければいけない。
だというのに魔女の末裔であるというだけで、そんな平凡な日常が与えられないなど、どう考えても間違っている。
そう話すオーウェンに、メアリーは困った顔を向けた。
オーウェンにも分かっていた。幾ら彼が訴えようと、彼女の境遇が変わることなど無いということを。
オーウェンは新兵であり、軍の内部でも発言力は無い。
それに、彼女が戦わなければ妹は治療してもらえないのだ。
「すまない」
オーウェンに出来ることは、ただ少女へと謝ることだけだった。
「気にしないでいいよ。でも、ありがとう。普通の女性だって言ってくれたのはオーウェンさんが初めてだよ」
「君は魔法が使えるだけで、それ以外は普通の女性だよ。こんな所で戦うのではなくて、もっと、普通に生きるべきだ」
「普通に、ね。そうだね……妹が元気になって、魔女としての役目を終えたら……やりたいことはあるかな」
「やりたいこと?」
オーウェンが尋ねると、メアリーは頷いた。
「うん。私、パン屋さんになりたい」
「パン屋? パンが好きなのか?」
「うん、好きだよ。外はサクサク、中はふわふわになってるのがいいの」
明るく、パンの魅力について語る少女の瞳は輝いており、大変可愛らしかった。
夢を語る少女に、何もしてあげることができない自分に歯噛みする。
それから荷物を届けに行く時には、お土産としてパンを一緒に持っていくことにした。
メアリーはパンを見ると、いつも嬉しそうに笑っていた。笑った時に出る片えくぼが可愛らい。
オーウェンはその表情を見るのが好きだった。何度も持って行く内に、誘われるままに、その場で一緒に食べるようになった。
一緒に食べながら、メアリーはオーウェンに色んなことを語った。
パンという存在が、いかに素晴らしいか。
自分の妹が、いかに可愛いか。
そのどれもが取り止めのない話で。
やはり、彼女は普通の少女なのだと、話す度に実感する。
話の中で、両親は既に亡くなっていることも聞いた。妹と二人で生きていたが、妹が病気になってしまい、国と取引することになったのだとメアリーは言った。
「嘘! そんな大きな湖があるの!?」
「湖じゃないさ、海って言うんだ」
「うみ! 世の中にはそんなものがあるのね」
メアリーが語るように、オーウェンもまた自分の知る世界を語ると、彼女は瞳を輝かせて聞き入った。
海を見たことが無いと言うメアリーに、妹さんが元気になったら一緒に行ってみればいいと伝えると、彼女は明るく笑った。
「うん、行ってみたい! その時はオーウェンさん連れてってよ」
「俺がか?」
「うん、だって軍の中で大した役職にはついていないんでしょ? 少しぐらい休んでもいいじゃん」
「事実だが、その言い方はやめてくれ」
話の流れで一緒に海に行くことを約束した。
少女に頼らざるを得ないことに対する罪滅ぼしから、連れていくことを了承した反面、どこか楽しみにしている自分がいることに気づく。
年相応に笑うメアリーをもっと見ていたいのだ。
そんな、オーウェンにとっては安らぎとも呼べる日々を繰り返す内に、半年が過ぎた。
――その日、オーウェンはいつもより興奮した様子で、メアリーの元を訪れた。
「こんにちは。嬉しそうですね。何かあったんですか?」
「あぁ、聞いてくれ! もうすぐ戦争が終わるかもしれない」
「え!? 戦争がですか?」
驚く少女にオーウェンは今の状況を語った。
自国と隣国で、和平を結ぶ動きが生じていた。
隣国にとって、この国は小国だ。それでも和平を結ぶに至った理由としては、やはりメアリーの働きが大きい。
数倍の戦力を持つ隣国はたった一人の少女を前に攻あぐねた。最近では、小競り合い程度で兵を引き上げてさえいる。
戦争をするには資金、人材、資材、それ他にも莫大なコストがかかる。このまま戦いを続けても無駄に消耗するだけであり。それよりも、和平を結んでお互いに助け合うことを望んだのだ。
隣国からの申し出をこの国が断る理由は無かった。
そうして、話し合いを重ねた結果。この国の王太子と隣国の王女が結婚することとなった。形だけの終戦では無く、結びつきを強くすることで、真に戦争を終わらせるための婚姻であった。
「戦争が終わる。だから、君は自由になれるんだよ!」
「自由……私が自由に……」
「あぁ、急に言われても実感が湧かないだろうね。ゆっくり噛み締めてくれればいいよ」
「……はい、ありがとうございます」
突然の言葉に、少女はまだ実感が無いようであった。
オーウェンは彼女が受け入れられるよう、その日は多くを語らずに帰った。
「――オーウェン。少佐が呼んでいるぞ」
自陣に戻ったオーウェンは、上司から呼び出しを受けた。
今のタイミングでされる話と言えば、終戦絡みの内容しか考えられない。もしかしたら、少女の解放時期についても聞けるかもしれない。
オーウェンは急ぎ、上司の元へと向かった――。
◇◆◇◆◇
雨が降りそうな曇り空の下、オーウェンはメアリーの元へと向かった。
「あれ、オーウェンさん。支給はまだ先ですよね? どうしたんですか?」
突然の訪問にメアリーは驚いていた。彼女が言うとおり、物資の支給はまだ先のはずであった。
疑問符を浮かべるメアリーに、オーウェンは告げた。
「いや……君に出頭願いが出てるんだ。その事を伝えに来たんだけど……」
「出頭……願いですか?」
「あぁ、もうすぐ戦争が終わるから。契約とかについて上が確認を取りたいらしいんだ」
「そうなんですね……」
そう言うオーウェンの表情は、どこか疲れていて。弱々しい雰囲気が漂っていた。
いつもと違う感じに戸惑いつつもメアリーは、オーウェンと一緒に家を出た。
乗ってきた馬に、メアリーを前にして二人がけする。
「戦争が終わったら、オーウェンさんは異動するんですか?」
「俺は……そうだな。軍を辞めるかな」
「えぇ! 辞めちゃうんですか!?」
「あぁ、俺には向いてないことが分かったしね」
自嘲の籠った笑いを浮かべるオーウェンの横顔を、メアリーはじっと見つめた。
「向いてないって……そんな風には見えなかったですよ」
「君と居る時は心が安らいでいたからね。でも、軍内部では色々あるんだよ」
「安らぐって、そんな……」
オーウェンの言葉にメアリーがあたふたとする。
そう言った発言に慣れていないのか、耳まで赤くなっていて、とても可愛いらしかった。
「本当の事だよ。君と出会う前の私は、やさぐれていたんだが、君には本当に助けられた」
実家では、邪魔者扱いをされて生きてきた。
軍の訓練課程では同期から謂れのない悪意に晒された。
戦地に配属されて気分が落ち込んでいた所を少女に出会い、癒されたのだ。
目を見て、真っ直ぐに話すと、少女は耳を真っ赤にして俯いた。
年頃の女の子が照れている時の仕草。
――やはり、彼女は魔女なんかでは無く、普通の女の子だ。
「……やっぱり、軍の方へ行くのは止めよう」
「え? でも出頭願いは?」
「それは俺が何とかするよ。……そうだな。折角外出したんだから、いっそこのまま海を見に行くのはどうだろう。君も見たがってたろう?」
突然のオーウェンの言葉にメアリーが驚く。
行き先を変えて、馬を駆けようとしたオーウェンの姿に、何かを察したように目を見開いた。
「……もしかして、嘘なんですか?」
躊躇うように小さく放たれた声。それは不思議とオーウェンの耳にはっきりと聞こえた。
オーウェンが足を止めて振り返る。
「嘘ってのはどういうことかな?」
「私が自由になるってことがです」
言葉自体は疑問符がついていたが、その瞳には確信が篭っていた。
「……どうして気付いたんだい?」
「だって、今日のオーウェンさんおかしいし。それに……今日はお仲間さんが周りにいっぱいいるみたいだから」
「っ!? そうか……」
オーウェンは軽く目を伏せると大きくため息を吐いた。
仲間とは、オーウェン以外の軍人のことであった。監視か、あるいは保険か。オーウェン自身には知らされていなかったことを考えると、両者共が理由だと判断できた。
このまま逃げることは不可能であることをオーウェンは悟った。
「すまない……後でちゃんと話そうとは思っていたんだが」
「いいよ。オーウェンさんが私のことを気遣ってくれているのは知ってるから」
「ありがとう。……軍から君を殺すよう指令が出ている」
オーウェンの告白に、少女の瞳が小さく揺れた。
しかし、見た目の動揺はそれだけだった。やはり、少女は察していたのだ。
上司から呼び出しを受けた日、オーウェンは殺害指令を受けた。
これからの平和な世の中に、存在だけで恐怖を与える悪魔は要らない。というのが上司の弁だった。
オーウェンが選ばれたのは、少女と仲が良かったから。大軍を一人で相手する化け物でも、油断させれば殺せると目論んだのだ。
反論は受け入れられなかった。
「そう……ねぇ、妹は……ローザはどうしてるか分かる?」
「……半年前に亡くなったそうだ」
「そっか……」
軍がメアリーの妹、ローザの病気を治す研究を本当にしていたのかは分からない。
だが、結果として妹は亡くなっていて、軍はそれをメアリーに隠していた。
妹が既に死んでいるとバレたら、もうメアリーの協力を仰げないかもしれないと考えたのだ。
軍はとことん腐っていた。
「……なんか、疲れちゃったな」
「メアリー」
「ねえ、オーウェンさん。……いいよ、私を殺しても」
少女から紡がれた言葉に、オーウェンは目を見張った。
「何を言って……」
「私を殺さなきゃ、オーウェンさんも罰を受けるんでしょ? ……オーウェンさんになら、いいよ」
少女が力無く言った。
「でも……そうだね。オーウェンさんが軍で辞めるって言うなら……私の代わりにパン屋さんを開いてくれると嬉しいな」
「パン屋を?」
「うん。だって、そうなったらオーウェンさんは私のことを忘れずにいてくれるでしょ?」
そう言って、寂しそうに笑う姿を見て、オーウェンは胸が締め付けられる想いがした。
彼女は国を救ってくれた英雄だ。
本来守るべき立場の少女に私達は救われたのだ。
それなのに、そんな少女に対する仕打ちがこれなのか。
いや――。
「……君は今死ぬべきじゃない」
「オーウェンさん?」
――そんなの、絶対間違っている。
「妹さんの分まで生きて、これからは幸せに生きるんだ」
オーウェンはゆっくりと腰に提げたホルスターから銃を取り出し、メアリーへと向けた。
メアリーが目を見開く。
「――――――」
続くオーウェンの言葉を聞き取れたのはメアリーだけだった。
最後の言葉と共に、オーウェンは彼女の額へと狙いを定めた銃の、引き金を引いた。
◇◆◇◆◇
「お姉さん。パンを一つ、下さいな」
女の子の明るい声が店内に響く。
呼ばれた女性は振り返ると、笑ってその言葉に応えた。
「はい。落とさないように気をつけてね」
「うん。ありがとう!」
カウンター越しにパンを受け取ると、女の子は嬉しそうに店を出ていった。
その女の子とすれ違うように、紙包みを持ったオーウェンが店へと入った。扉を閉じる前に、一度振り返ると。今しがたすれ違った女の子の後ろ姿を、どこか懐かしいものを見る視線で見送った。
「どうしたの?」
「……いや、ちょっと昔を思い出してね」
カウンターからの問いかけに、オーウェンは店内へと目を向けた。
店内には一人。カウンター奥に控える女性のみだったため、周りを気にすることなく返事をする。
「昔を?」
「あぁ。君もパンを食べる時には、あの子みたいに目を輝かせてたなって思ってね」
「ちょっ、ちょっと! そんなこと思い出してたの!?」
オーウェンの言葉に慌てたのはカウンター奥にいた女性――メアリーだった。
今年、二十歳になった彼女は、容姿こそ大人びたものの、照れてる仕草は昔と大差なかった。
その様子が可笑しかったために、オーウェンは思わず笑ってしまう。
「……もう! あんまりからかわないでよ。……あ、買い出しありがとう!」
「いや、済まない。そして、どういたしまして」
頬を膨らませるメアリーに謝りつつ、オーウェンはカウンターを抜けて店の奥へと回った。
戦争が終わってから、四年が経った。戦地となった国境からは遠く離れた、海の見える町にオーウェンとメアリーは居た。
あの雨の日、オーウェンはメアリーへと銃口を突きつけた。
――この一発。これだけは魔法で絶対に防いで欲しい。そうしてくれたら、絶対に俺が何とかする。
その言葉を持って、オーウェンは引き金を引いた。そして狙い通り、魔術で銃弾をメアリーに防がせた。
小さい声で告げたために、オーウェンの言葉はメアリーにしか届かなかった。近くで監視していた者からすると、メアリーが超至近距離からの銃撃を魔術によって防いだようにしか見えなかっただろう。
近くにさえ寄れたら。油断させることさえできれば。
そうすれば、魔女を殺せるだろうと高を括っていた上司は、監視からの報告により当てが外れたことを。そして、魔女は殺せないのだということを知った。
そうなると、今度は上司が怯える番だった。
隣国でも敵わない魔女に、自分たちが勝てないことは明白だ。
いつ、魔女が報復に訪れるのか。
それを気にして恐怖に震える上司に、一人で戻ったオーウェンは伝えた。
新しい生活の場を用意し、今後不干渉とするならば、魔女は国に手を出さないことを約束すると。
その言葉はすぐに上まで伝えられ、契約は成った。
結果、今二人が居る港町で、メアリーは暮らせることになった。
海が見えるこの町を指定したのはメアリーだ。
オーウェンが隣国へ亡命しなくても良いのかと尋ねると、彼女は笑って答えた。
「この国は嫌いだけど、妹が生きた国だから。できれば離れたくないかな」
納得したような、していないような。よく分からなかったが、とにかく彼女は新しい人生を歩み始めたのだ。パン屋を開くという夢を叶えて。
そして、オーウェンは軍を辞めた。
今はメアリーの店で働いていた。
「ね、ジャムはあった?」
買い出しで仕入れた品を机上に並べるオーウェンに、メアリーが声をかける。
「あぁ、苺のジャムがあったよ」
「苺! うわぁ、いいね。ありがとう!」
オーウェンが袋の中から、瓶詰めのジャムを取り出すとメアリーは目を輝かせた。
その嬉しそうな表情を見て、オーウェンもまた嬉しくなる。
「これはどこに仕舞えばいい?」
「えっと、待ってね。ジャムはこっちの棚にしまってるの」
そう言うと、メアリーは小さな台に乗り、上方にある棚の戸を開いた。
「そのジャム、こっちにちょうだい」
「あぁ、気をつけてくれよ」
「大丈夫、だいじょ――」
「メアリー!」
台の上から、オーウェンに向かって手を伸ばそうとして、メアリーがバランスを崩した。
咄嗟にオーウェンが駆け寄り、メアリーを受けとめる。
「大丈夫だったか?」
「う、うん。ありがとう。オーウェンさんは大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だよ」
無事が確認できて胸をなで下ろす。
気持ちが落ち着くと、今の体勢に意識が及ぶ。
抱き合った姿勢でいることに、二人が同時に気づいた。どちらともなく慌てて離れる。
二人の間に微妙な空気が流れた。
「ご、ごめんね。もっと気をつけなきゃだったね」
「い、いや。気にすることはないよ。ただ、そうだな……ジャムは俺がしまうよ」
「う、うん……ありがとう」
オーウェンはメアリーの代わりに台に登り、ジャムを棚へとしまった。
その姿を、メアリーは後ろから見つめる。
「……あの、オーウェンさん」
再びメアリーが口を開いた。
「何だい?」
「その……オーウェンさんは何で、私を助けてくれて……ここにいてくれるんですか?」
緊張した、しかしどこか期待したような面持ちでメアリーが尋ねる。
その予想外の質問に、オーウェンは動揺した。
「そ、それはだな。君への罪滅ぼしというか、何というか……」
「罪滅ぼし、ですか……」
オーウェンの言葉に、途端メアリーの表情が曇った。
その顔を見てオーウェンは更に慌てる。
「いや、違うんだ。だから、そのだな……」
視線をあちこちに向けながら、しどろもどろに話していたオーウェンは、やがて大きく息を吸い、吐いた。
メアリーをまっすぐに見つめる。
「俺が……君を好きなんだ。離れたくないんだよ」
力強く、はっきり紡がれる言葉。
メアリーが目を見開いた状態で固まる。
「君が笑っている顔を見ていたい。そのためなら……何だってする」
「オーウェン……さん」
生きるため、軍に入ったオーウェン。
何とか自分の居場所は得たものの、そこに笑顔は無かった。
だが、メアリーは違った。
魔女として生きながらも、彼女は笑うことを忘れていなかった。
パンのことや、妹のこと。それらを楽しげに話すメアリーはいつも笑顔に溢れていて、そんな姿にオーウェンは救われ、惹かれていったのだ。
メアリーの寂しそうな顔を見たくなかった。
いつでも笑っていて欲しかった。
そのために出来ることがあるならば、何でもするつもりであった。
ずっと秘めていた想いを口に出したことで、勢いは止まらない。
告白は続き。言ってしまったという後悔は全てを言い終えた、その五秒後にきた。
もしメアリーにその気が無かったら、オーウェンの告白は困るだけだ。
「……突然、済まない。君が嫌なら私はこの店を出て……メアリー、大丈夫か!?」
取り繕ろおうとした所で、メアリーが涙を零した
慌てて、メアリーに近づこうとして、踏みとどまる。もしかして自分の告白が嫌で、泣き出したのではという考えが頭を過ぎる。
しかし、その考えはすぐに彼女によって否定された。
「……大丈夫。大丈夫だよ」
メアリーが、オーウェンの胸に飛び込んだ。
「ありがとう……私もオーウェンさんが、好きです」
オーウェンの顔を見上げてメアリーが笑った。
涙で濡れてなお、その笑顔は美しかった。
「これからもずっと、私の傍に居て」
「あぁ……約束する」
そう宣言すると、オーウェンはメアリーをしっかりと抱きしめた。
魔女の末裔であるが故に不運な人生を送った彼女は、普通の人としての幸せを手に入れる。
以後この国で魔女の存在が語られることは無かった。




