【SSコン:段ボール】 擁護
さがさないでくださいの一報があったので公園に行ったら、ダンボーがいた。
穴ぼこが空いたドームの中で、三角座りしていた。
「……なにしてんの」「お金を入れるとうごきます」「……」
半ズボンのポケットに手を突っ込み、布もひっくり返すが、何も無い。糸がぽろりと落ちただけだ。
少し距離をあけた向かい側に、同じようにしゃがみ込む。
「おまえさ」「ダンボーです」「じゃあきけよ、ダンボー。オレのしり合いがさ」
丸と三角の顔がほんの少し傾く。
「家出したんだって、また。どこにいるかしらねえ?」「しり合いってなんですか」
「は、バカじゃん」「バカじゃない」
鼻で笑うと怒気を孕んだ声が返ってきた。
顔を上げる。ダンボーは明らかに尻込みした。
「あやふやな言いかたじゃ、わかりません」「あっそ」
沈黙。日差しのないドームの中は日陰と砂利と砂の香りで充満している。
頭を搔く。
「…ともだち?」「……それだけ?」
ダンボーがもじもじと足を動かす。だんだん図々しくなっている。
曲げていた足を伸ばした。埃が舞う。穴から漏れた日の光に散った。
「すきなひと」
箱を見ずに呟くと、くふっと息が漏れる音がした。
「その、すきなひとがどうしたんですか?」「家出したんだって。言ったろ」
続け様に笑う。すっかり調子に乗っている。
睨むが、ダンボーには見えない。
「トクベツな日のに、なんで家出したんだろうな」
その四角い頭を見ながら言うと、ピタリと声が止んだ。
苦笑するおばさんと落ち込むおじさんの背後には『HAPPY BIRTHDAY』の風船。
誕生日おめでとう、という意味なのは知っている。
黙ったダンボーを、頬杖をついて観察する。
見事なクオリティの箱から覗く細い足には、装飾の剝げたスニーカー。
靴下は綺麗だから、その場にあった靴をそのまま履いたのだろう。
砂利を踏みしめて、ダンボーの無頓着な表情を外す。
鼻と目尻を真っ赤にした少女の顔が現れた。
箱を横に抱え、外すときにボサついた栗毛を指で撫ぜる。
歪んでいた唇が震えて、白い歯で噛む。
全身を震わせて、絞り出すように泣き始めた。
「あのね」「うん」
手が胸ぐらに伸びて、しかと掴んで寄りかかってくる。
尻餅をつく。箱の角が当たって痛い。
「チョコレートケーキがうり切れてたの」「うん」
「おとうさんがショートケーキを買ってきたの」「うん」
「おとうさんといっしょに食べたかったのに、ぼくはいいよって言うの」「うん」
「たんじょうびなのに、ひどいわ」
おじさんは娘に甘い。人が好い。娘がチョコレートケーキだけじゃなく、ショートケーキも好きなのを知っていた。
おばさんは娘が好きだ。朗らかな人だ。娘が父親のためにチョコレートケーキを頼んでいることも知っている。
難儀だな、と大人ぶって考える。
垂れ下がってきた長い髪を嗅ぐつもりはなかったが、ブルーベリーっぽい香りがした。
迷って、背中に手を置くと、より体重がかかってくる。
「ごめんなさいって言えなかった」
それからどのくらい泣いていたのか、明確な時間はわからない。
「おい、ダンボー」
「へっ」
落ち着いた彼女の頭に箱をかぶせ直す。
「交代だ。俺の番」
それだけ言って手を離す。「うん」とゆっくり頷いた。
そして、そのまま腕を顔の下に持っていって、箱の下から現れた。
「……うん。やっぱ、無い方がすきだな」「……ありがとう」
掌を差し出すと、腕のパーツを外して寄越した。
ダンボーと手を繋いだ娘が泣きはらした姿を認めたおじさんは驚いて、おばさんは笑った。
夜、ダンボーの着ぐるみを窓伝いに返すと、受け取りながら寝巻きの彼女が口を開いた。
「ありがとう」「さっきもきいたぞ」
「でも、ありがとう」「そうかよ」
「あとね、すきだよ」
最後にもう一度だけ指を絡めて見つめ合う。
オレが吹き出したら、相手も笑った。
「ありがとう。オレも」
「えへへ。おやすみ」「おやすみ」
おやすみ。
走っていた。前回があまりにも前で、ルーティーンを忘れていた。
遠いところから虱潰しにしたせいで、もう日暮れはとうに過ぎている。自分だけが少しずつ焦りを増していた。
一度通り過ぎ、戻って来て、穴だらけのドームに駆け寄る。
入り口らしき場所から中を覗くが、誰もいない。
遠くのフェンスを眺めると、ドームの向こう側に人影があった。
近寄るが、膝に顔を埋めたままこちらを向かない。
上がった息を整えるのには好都合だった。
目が慣れてくると、制服の彼女が箱を抱えているのに気づく。
行き場のない、小さな嫉妬心が芽生える。否、確実に昔からあったものだ。
何か呟いたが、はっきりと聞き取れない。
「あ?何って?」「お金を入れないと動けません」
やたらと語気の強い発言に呆れたが、口角は緩む。
ジャケットの内ポケットを探り、百円玉が一枚あった。
“お金を入れるところ”は無い。
仄暗い公園の中で彼女の明るい頭だけは認識できた。
しゃがんで、慎重に横髪と頬の間に掌を差し込む。
びくっと震えたのでビンゴだ。そのまま頬を支え、半ば強引に引き揚げた。
潤んだ瞳と目が合う。混乱している様子に、笑わないよう努力した。
自分も黙り込んで、話を待つ。しばらくしてからようやく口を割った。
「あたし、変なんだって。いつまでもおおきな人形部屋に置いて、子供みたいだって」
一度回ったらもう止まらない。捲し立てるように段々と、早口になっていった。
ただの人形じゃない。拠り所なの。お母さんがいないあたしを埋める。
そう言っていっそう箱を抱きしめる。
月の光はここまで届かない。優しいが、それでは闇で役に立たない。
「ねえ、どうしよう。もうダンボー、あたしよりうんと小さくなっちゃったの」
何年も何年も前からずっと、彼女の見方で、理解者で。
守ってくれるのはいつもダンボー、身も心も、大切に閉じ込める。
幼少期に作られたその体躯は、大人になった彼女を収める隙間はない。
「作りゃいいだろ」
苦し紛れこの上ない、情けない声で囁く。
彼女もまた苦しそうに首を横に振り、小さく嘆いた。
「作れないよ、お母さんじゃなきゃ」
もう見ていられなかった。必死に掴む小さな手ごと、ダンボーの一角を掴んだ。
「俺が作ればいいだろ」
本気だった。その場しのぎの慰めなんかじゃなく、ずっと、ずっと考えていた。
この手で直したなら、もう箱相手に醜い感情を抱く必要もない。
見つめ合ううち、逆にこっちが泣きそうなことに気づく。
もうお見通しのようで、雪が溶けるように微笑んだ。
「…嘘。本当はもういいの。顔さえあれば十分」
にわかに信じがたい発言だった。
呆気にとられる間に、あっさりとダンボーの顔を抱え直し立ち上がる。
顔を屈めてもう一度見つめられる。
「あとは、君が手を繋いでくれたら」
恥ずかしげで、期待を込めた瞳を噛み締めた。
震えそうなのをなんとか押さえ、差し出された掌にぎこちなく重ねる。
「帰るか」「うん」
ありがとう、と夜道に落とす。
好きだと返した。
『あんたねえ、たった二週間の出張で大げさよ』
「だって!」
そうやりとりする親子の電話をそばで聞いていた。