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3-1

 タイガが行方不明になってからちょうど一週間が経ち、僕は再び金曜日を迎えた。

 重たい瞼をこじ開けながら、いつも通りアヤちゃんと同じタイミングで家を出ようとする。そんな時、テレビから気になる言葉が聞こえてきた。

『ーー町のゴミ集積場で、ビニールに包まれた動物の遺体らしきものが発見されーーそれらはバラバラに解体されておりーー』

「……っ!」

 テレビで流れていたニュースの内容は、僕にとって聞き流せるようなものではなかった。

 やられた。どうやら見つかってしまったらしい。しかもよりによってこのタイミングか。これは計画を少し変更する必要があるか? ……いや、むしろ好都合かな。ああ、そうだ。なんの問題もない。この状況なら、舞台としては完璧だろう。

 決めた。決行は、予定通り……今日だ。



「足立の行方は、依然としてわかっていない。何か情報のある者は、どんな些細なことでも私に言うように」

 そんな担任の言葉で、ホームルームは始まった。

 教室では、タイガの仲間どもが相変わらずそわそわしていた。自分たちのボスが一週間も行方不明なら、それも仕方がないことだ。気もそぞろで上の空、落ち着きがない。とても居心地が悪そうだ。

 あいつらが今までやっていたことは、所詮タイガの模倣にすぎない。タイガが率先してやったことに便乗することで、自分たちにも力があると思っていただけ。タイガにくっついて、自分の立ち位置を……居場所を確保しようとしていただけ。自分だけじゃ何もできないし、行動一つ起こせない。あいつらは虎の威を借る狐だ……いや、狐ほど賢くもないか。どちらにしろ、その虎はもういない。

 もう二度と姿を現さない。

 まあ、いい加減タイガの帰りを待つのも疲れただろうし、そろそろ楽にしてやろう。僕はほくそ笑みながら、その時を待つ。

 ふと視線を感じて振り返ると、アヤちゃんが僕のことを見ていた。僕は無言で微笑み、口の動きだけで返事をする。

「ま・か・せ・て」

「……っ!」

 アヤちゃんは僕から視線を外し、自分の席で頭を抱える。大丈夫、アヤちゃんが怖がる必要はどこにもない。もうきみを脅かす存在はいない。そんなもの、僕が全部消してやる。だから、怖がらないで。僕がいるから。僕がきみを守るから。

 僕が……きみを解放してやる。



 時は満ちた。

 昼休みになると、僕は誰にも見られないようにある場所に向かった。そして『そこ』に、あらかじめ用意しておいた『それ』をジャボジャボとぶち込む。

 これで準備完了。

 仕上げに、ポケットからあるものを取り出す。それはピンク色の、可愛らしい果物ナイフ。護身用と呼ぶには小さすぎる、あまりにもちゃちな代物。

 それを、落とす。

 ぽちゃん。

 ナイフはゆっくりと沈み、見えなくなる。それを見届け、僕は笑う。

「……ぎひっ」

 舞台は整った。

 あとは役者が揃うのを待つだけだ。



 昼休みが終わり、午後の授業が始まる。それと同時に、夏の風物詩が作動する。校庭に、水をばら撒くスプリンクラー。勢いよく水を噴き出し、校庭全体を濡らしていく。

 真っ赤な水で、濡らしていく。

 その光景を見た者は、誰もが目を疑った。スプリンクラーは回転しながら全方位に水流を放ち、真紅の円を描いていく。真紅に校庭を染め上げる。

 あまりにも異質な光景。異常であり、異状。突然起こった非日常に、不気味がって無駄に怯える臆病者もいる。無駄に興奮する馬鹿もいる。騒がしくなった教室の中で……誰もが席を立ち、大騒ぎをしている中で。

 ただ一人。

 ただ一人だけ席に着いたまま、必死に口元を隠している生徒がいる。口角が上がりきり、歯が剥き出しになっているその口を、両手でひたすら抑え込む。

 なぜ、水が紅いのか。その紅さは、まるで血のようで。その答えを知っている、ただ一人……僕は両手で覆った口で、誰にも聞こえないように呟く。

「舞台に上がれ……ナイト」



 水が紅い原因は、すぐに特定された。スプリンクラーの水は屋上の貯水タンクから出ているから、問題があるとすればそこしかない。

 誰もがその結論にたどり着き、教師陣による調査が行われた。貯水タンクは、巨大な円筒のような形をしている。側面のハシゴを登ってタンク上部に上がり、そこについているハンドルを回せば、誰でもタンクの蓋を外して中の様子を確認することができる。逆に言えば、誰でもこの貯水タンクに細工を施せてしまうということでもある。

 当然教師陣もそのことは熟知しているから、貯水タンクの点検を行った。

 蓋を外し、中を覗き込んだ。

 その瞬間、中から立ち昇った異常な臭気に教師たちは途端に顔をしかめた。中には、口を押さえてこみ上げてくる吐き気を必死に堪えている者もいる。

 一人の教師が、鼻をつまみながらタンクの中を再度覗き込むと、貯水タンクの中が真っ赤に染まっているのが見えた。おそらく、何者かがタンクの中の水にイタズラを仕掛けたのだ。この耐えがたい臭いは、このイタズラのせいなのだろうか? 今時こんな手の込んだことをする生徒がいたのか。全く、面倒なことをしてくれたものだ。

 ……と。最初は思っていた。

 紅い水を取り除くため、教師陣はタンクから強制的に排水を行った。貯水タンクは普段から微量な水の流入、排出が常に行われており、古い水が新しい水に入れ替わり続けるようになっている。そのため、放っておいても自然と水の浄化は進む。しかしここまで大幅に汚染されてしまうと、一度一気に水を抜き、タンク内を掃除しなければならない。

 強制排水により、みるみるタンク内の水位が下がる。やがて、完全に水が抜け切った。そしてようやく。

 行方不明者が、見つかった。

 水の抜け切ったタンクに残されていたのは、真っ赤に染まった何か。ある教師は、大きめのリュックサックだと思った。ある教師は、小型のサンドバッグだと思った。ある教師は、丸めた布団だと思った。しかし、ただの無機物にしては凹凸が多くある。しかも先ほどから漂っている異常な臭いは、この物体から放たれているようだ。……そして何よりも、それには『頭部』があった。鼻をつく臭いに誰もが顔をしかめながら、教師陣は『それ』の正体を確かめようとあちこちを覗き込む。

 やがて彼らは気づいた。これはリュックでもサンドバッグでもドラム缶でもなく。そんな生易しいモノではなく。

 そこに残されていたのは、人の胴体。すなわち、両手両足を切断された、人間の死体であるということに。



「捜査一課の大岩だ」

「同じく小清水です」

 二人の男が警察手帳を掲げ、見張りの警察官に見せてから屋上に入る。屋上は今や立入禁止となり、誰も立ち入らないように見張りの警察官が立っている。

 屋上の様子を何とか見ようとする野次馬の生徒たちを、教師陣が教室に戻そうとしているが、生徒たちは聞く耳を持たない。自分の学校で殺人事件。それに加えて、四肢欠損状態での発見。不謹慎と知りながら、否が応でも盛り上がってしまう。これは中学生という生物の性とも言えるものだろう。

「うわ、ひでぇ臭いだなこりゃ……しかもなんだこの血の量は? まさかこの赤色全部、死体から出た血液かよ? 全身の血がまるまる出てきちまってるんじゃねえのか?」

「みたいですね。死体に血はほとんど残ってないようですよ。それにしても岩さん、すごいですねこれ……。こんなの、中々ないですよ」

 岩さんと呼ばれた刑事が苦々しげに顔をしかめた。

「こんなのがざらにあってたまるかよ……。それでホトケの手足は見つかったのか、小清水」

「いいえ。右腕、左腕、右足、左足、どの部位も見つかっていません」

「ってことはどっかに隠してあんのか? なんでわざわざそんな面倒なことしたんだか……」

「全くもって不明ですね」

「愉快犯のセンもあるかもな。校庭にスプリンクラーで血をぶちまけるとか、どういう神経してやがんだよ。……にしても、これ死後何日だ? 死体の表面グズグズじゃねぇか」

「かなり腐敗が進んでますね。三日、五日……いやもっとかな。ちょっとすぐには判別できないです。いつからタンクに入れられていたかにもよりますし」

「鑑識の結果待ちか。まあ季節も季節だしなぁ。こんなに暑けりゃ腐敗も進むわな」

 大岩は首元のネクタイを引き下げ、羽織っていたジャケットを脱いだ。無精髭の目立つ顎の上を、汗がたらりと滑り落ちる。ボサボサの髪も汗で濡れており、着ているワイシャツにも汗が染みて、身体にピッタリと張り付いている。

「身元はどうだ? やっぱり行方不明になってた生徒か?」

「クラス担任の教師に確認をお願いしましたが、ほぼ間違いないですね。腐敗も進んでいるので断定はできませんが、一週間前から行方不明になっていた足立 大牙という生徒のようです。頭部に損壊がなかったのが唯一の救いですね」

 対する小清水は、汗一つかかずに紺のスーツを着込んでいる。丁寧にセットされた髪が、彼の清潔感をより際立たせていた。

「損壊がない、ねぇ。それでも見れたもんじゃねぇけどな」

 大岩が大きなため息をついた。

「一週間前から行方不明か……その時には既に死んでた可能性もあるな。で? 他になんか手がかりあったのか」

「はい、一つ」

 小清水は、ビニール袋に入れた『証拠品』を大岩に手渡した。

「これがタンクの中に落ちていたそうです。死体と一緒に」

「こりゃあ……ナイフか? 血で赤く汚れちゃいるが、随分と可愛い色してんな。しかもちっせぇし」

「ピンクの果物ナイフですね。女の子用でしょうか」

「こいつが凶器ってことか?」

「いえ、どうでしょう。死体の傷……おそらく首の刺し傷が死因なんですが、かなり大きいんですよ。しかも相当深く凶器を刺し込んだみたいです」

「この果物ナイフじゃあ、傷と比べて小さすぎるってことか?」

「そうですね。あの傷は、少なくともこのナイフでは作れません」

「だとしても、ここに落ちてたんだから無関係ってことはねぇだろう。持ち主を探すぞ」

「はい」

 野次馬どもが騒ぐ中、僕は注意深く刑事の会話を聞いていた。そう、僕も野次馬の中に紛れ込んでいるのだ。こんな人が多いところにいるのは耐え難いが、ここでの情報は入手しておきたい。ナイフの持ち主を探す流れ……計画通りだ。

 しばらくすれば、あの果物ナイフがアヤちゃんの物だと判明するだろう。大事なのはそこからだ。

「どうやって探すよ、小清水? これ下手すると生徒の持ち物だろ?」

「そうですねぇ……なにぶんレアケースですからね、どうしましょうか」

「中学生がこんな死体こさえて、しかもこの演出とか……考えたくもねぇな。そうでないことを祈るぜ。……祈るだけ、無駄みてぇだがな」

 いい流れだ。そのまま僕らに話を聞いてくれ。そして僕らを巻き込んでくれ。



 刑事たちは生徒を教室に戻し(教師がいくら言っても動かなかった生徒たちを、大岩が一喝して全員戻らせた)、聞き込みをするからしばらく教室での待機をするように伝えた。

 本来ならすぐにでも生徒を帰宅させる場面だろう。殺人の現場保存や捜査の円滑な進行のためにも、浮き足立った中学生たちは即刻帰らせるべきだ。第一、そんな状態の中学生に聞き込みをして得られる情報の信憑性だって怪しいものだろうし。

 しかしだ。僕もここで学校を追い出されてしまうことを覚悟していたのだが、実際はそうはならなかった。ということは、警察がそこまで生徒への聞き込みを重要視したということだろうか? ここでの聞き込みが、事件の解決に繋がると判断したってことなのか? もしそうなら、僕のまいたエサが……あの果物ナイフが、いい働きをしたということかもしれない。あの子供っぽいナイフは、警察が生徒へ疑いの目を向けるには十分すぎる代物だった。

 やがて聞き込みの順番が、僕のクラスまで回ってきた。聞き込みの形式は、大岩と小清水の二人の刑事が別室に待機しており、僕らが一人ずつ順々にその部屋に呼び出され、話を聞かれるというものだった。一人当たりの聞き込みの時間はそう長くない。どうやら聞き込みと言っても大したものではないようだ。実際、全校生徒に詳細な聞き込みをしようとすると膨大な時間がかかるだろうし。ここでの聞き込みは、せいぜい果物ナイフの持ち主の心当たりを聞く程度だろう。

「おいマッド、次お前だぜ」

 そんなことを考えているうちに、僕の番が回ってきた。僕は無言で席を立ち、刑事たちの待つ応接室に向かう。この応接室は、聞き込みのために学校が提供したものだ。応接室は教員室の少し奥にあり、普段は誰も入らない。取調べにはもってこいの場所だったというわけだ。

「……」

 応接室までたどり着いた僕は、大きく深呼吸をした。もうここから、一瞬たりとも気は抜けない。何しろ本職の刑事を相手に、『自分は何も知らない』という大嘘を吐かなければならないのだ。

「……失礼します」

 覚悟を決め、ドアを開ける。中から冷房の効いた冷んやりとした空気が流れ出てきた。

 応接室には大きなソファが手前側と奥に一つずつ置いてある。刑事たちは奥のソファーに腰掛けたまま、ドアに立ち尽くす僕を見据えた。

「泥谷 真士くん、だね」

 小清水が僕に問いかけてきた。その横で、大岩が無言で僕を凝視している。睨みつけてくる。

 間違いない。僕のことを疑ってる。しかもそれを隠そうともしない。

「まあとりあえず座ってくれるかな。きみにはいくつか質問があってね」

 僕は小清水の言葉に素直に従い、手前のソファーに腰掛けた。

「じゃあまずは、被害者の足立くんなんだけど……誰かに恨まれたりしてなかった?」

「……被害者は、タイガなんですか」

 僕は慎重に言葉を選ぶ。この質問は、罠だ。『被害者がタイガである』という事実は、当事者である僕だからこそ確信できる情報。一般の生徒は知りえない情報のはずだ。タイガだと疑っている生徒はいるだろうけど、それはあくまで疑い止まり。だから僕は、ここで驚かないといけない。

 一瞬たりとも気を緩めるな。刑事たちとの勝負は、既に始まっているんだ。

「確定ではないけれど、恐らくはね。一週間前から行方不明だったんだよね?」

「そう聞いてます」

「足立くんが行方不明になった日、何か変わったことはなかったかな」

「なかったと思います」

「そっか。有力な情報はナシ、か……。何か思い出したらいつでも言ってね」

 小清水は頷きながら、手帳にメモを取っている。傍らの大岩は、一向に口を開かない。無言のまま、僕を観察し続けている。

 自分の背中が汗ばんでくるのがわかる。冷房の効いた部屋なのに、頭がぼうっと熱くなり、額にも汗が浮かんでくる。それなのに、身体は今にも震えだしそうで仕方がなかった。手の平を固くにぎり、手の震えを必死に抑え込もうとする。

 この震えは、きっと冷房のせいじゃない。

「じゃあ次の質問。このナイフなんだけど……ここの生徒の持ち物だと思うんだよね。誰のものか心当たりはないかな?」

 この質問も、罠だ。

「ありません。見たこともないです」

 小清水の問いに、僕は即答した。この質問の答えは、最初から決めていた。ここではこう答えるしかない。

「……そう。まあ、確かにきみの持ち物じゃなさそうだよね。女の子用みたいだし」

「大体それ、なんですか。事件に関係あるんですか」

 そうだ。僕が事件に関わりがないのなら、このナイフが何なのかもわからないはずなんだ。ましてや、それが現場に残されていたなんて、知りようのないことなんだ。

「いや、ちょっとね。詳しくは言えないけど、まあ証拠品ってとこかな」

 僕の問いをさらりとかわし、小清水は再びメモを取る。一瞬、応接室が沈黙に包まれた。刑事たちから疑われ、圧倒的不利な状況。こんな後手に回った状況を、打開するためには……やるしかない。

 ここだ。仕掛けるならここしかないーー!

 覚悟を決め、僕は口を開いた。

「……あ。そういえば」

「ん? 何かな」

「思い出しました。あの日、タイガが行方不明になった日。確か……タイガに口出ししたヤツがいたんです」

「口出し?」

「はい。タイガってクラスのボス的な存在で、誰も逆らえなかったんですけど」

「そうらしいね。他の生徒からも似たような話を聞いてるよ」

「実は、僕もずっと逆らえなくて。その……いじめられてました」

「……うん。それも聞いた。辛かっただろうね」

「いえ、僕は別に……なんともなかったんです。僕は大丈夫だったんです。でも、そういうイジメみたいなのが許せないってヤツがいて。そいつ、言ってたんですよ。『俺がタイガを止める』って。ちょうどタイガがいなくなった日の昼休みでした」

「止める? それってどういう意味かな」

「僕もわかりません。でも言ってたんです」

「……誰だ?」

「え」

 唐突に、大岩が声を発した。突然の質問で、僕の思考が一瞬止まる。

「そいつの名前だよ。教えろ」

 大岩が強く問いかける。僕は唾を飲み込み、一呼吸置いた後にはっきりと答えた。

「ナイト……内藤 光騎。僕と同じ学年の、ここの生徒です」




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