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2-1

 思えば、ナイトと知り合ってからもう随分と経つ。決着をつける前に、あいつとの因縁を振り返っておくのも悪くないだろう。僕とあいつがどのようにして知り合い、どのようにして敵対したか。それを最初から思い返してみるとしよう。

 ナイトと初めて話したのは、今からちょうど一年前。季節も、今と同じく夏。七月の、雲ひとつない晴れた日だった。確かあの日も僕は、タイガに痛めつけられた身体を、一人でさすっていたんだ。

 僕の中学には、クラス替えという制度が存在しない。そんなわけでタイガと僕は、去年も今年も同じクラス。一年前も、僕の扱いは今と全く同じだった。クラス替えがないせいでこの苦しみから逃れられないと考えると辟易するけど、良いことだってある。アヤちゃんと二年連続で同じクラスになれるということだ。アヤちゃんの存在がなかったら、僕はとっくに学校を辞めていたかもしれない。

 そんな僕は、一年前は一人で屋上に来ることが多かった。その日もいつものように、屋上で昼休みを過ごしていたんだ。そこに突然、あいつが現れた。

「おお、本当にいた。お前が泥谷?」

「え? お、お前、ナイト……?」

「お? 俺のこと知ってるのか」

「ま……まあね。ぼ、僕に何か用?」

 つい声が震える。誰だって初対面の相手は警戒するだろう。一年前は、僕はナイトとまともに会話することもできなかった。クラスも違ったし、これまで話したことも全くなかったしね。でも僕は、こいつをよく知っていた。こいつが、アヤちゃんとよく一緒にいるからだ。だからこそ僕は、こいつのことを強く警戒していた。

「ああ、お前と一緒に昼メシ食おうと思ってさ。探してたんだぜ」

「さ……探してた? 僕を?」

 ああ、とナイトは爽やかに笑った。それにしても、一緒に昼メシって……一応、僕ら初対面なんだけど。こうして話してみると、ナイトってかなり図々しい奴なんだな、と思った。

「なんで、わかったんだよ」

「ん? 何が?」

「僕が、ここにいるってこと」

「ああ、桜庭に聞いたんだ。教室行ってもお前いなかったからさ」

 桜庭……アヤちゃんのことだ。くそっ。アヤちゃんに話しかける口実に、僕を使うなよ。

「いつもここで食べてるのか? 昼メシ」

「い、いいだろ別に」

「ああ、いい。いい場所だなここ」

 ナイトは空を見上げて呟いた。そう、ここで見る空は美しい。澄んだ空はどこまでも広がっていて、終わりが見えない。青空に鎮座する入道雲は、そて表情を変えることなく、じっと僕たちを見下ろしている。

 吹き抜ける風が、ふわりと僕の頬を撫でた。

 屋上には物がほとんどない。あるのは落下防止用のフェンスと、貯水タンクだけ。この殺風景さも、僕は気に入っていたりする。

「屋上がこんなにいいとこだなんて知らなかったよ。でも、その割りにはあんまり人いないな」

 屋上にいるのは、僕とナイトのみ。ナイトが来るまでは僕だけだった。

「……来ないさ、誰も」

「なんでだ?」

「ここには、僕がいるから」

 昼休みの屋上にはいつも僕がいる。だからみんな、昼休みにはここには来ない。

「……なあ、泥谷」

「マッドでいい」

「いや、それは」

「いいんだよ。僕、そのあだ名気に入ってるから」

「……そっか。じゃあマッド、お前さ……桜庭に嫌がらせしてるってホントか?」

 ドキッとした。なんだ、どうして急にそんな話になる?

「な、なんだよそれ。誰から聞いたんだよ」

「桜庭の友達の女子たち。なあ、質問に答えろよ。桜庭のことストーカーしてるとか、本当なのか?」

 あのブスどもめ……余計なことばかり吹き込みやがって。

「ストーカーなんてしてない。だいたい、ナイトには関係ないだろ」

「……お前、桜庭のこと好きなのか?」

 好き? 好きかだって? こいつ、わざわざそんなこと言うために僕に会いに来たのか? こみ上げる苛立ちに任せて、僕はナイトに言葉をぶつける。

「なんなんだよ、お前……お前、何様のつもりだよ。ちょっと顔が良いからってアヤちゃんの彼氏ヅラかよ。ふざけんな、ふざけんなよぅ……!」

「落ち着けよ、マッド。そんなんじゃないんだ」

 ナイトは冷静な顔つきで僕を諌める。そのまっすぐな視線に、僕は耐え切れなかった。ナイトに背を向けて、逃げるように屋上のフェンスに歩み寄る。

 眼下に広がる校庭を見てみると、ちょうどスプリンクラーが作動し、校庭に水を撒いているところだった。この水は貯水タンクから流れている水で、今まさに貯水タンクの中の水が減っている。

 そんな夏の風物詩を見下ろす僕に向けて、ナイトはさらに言葉を紡ぐ。

「俺は、桜庭に嫌な思いをして欲しくないだけなんだ。お前だってそう思うだろ?」

「……」

「桜庭は、嫌がってる。お前の気持ちもわかるけど、やりすぎは良くないぞ。な?」

 ナイトは、言葉を選びながら、僕の背中に向けて慎重に話しかけてくる。僕を説得しようとしてくる。本当に、何様のつもりなんだ。上から目線にもほどがある。

 ただ。

 こいつの言葉は間違ってない。

 きっと、正しい。

 それくらいは、僕にだってわかる。

「マッド、お前は……少し変わってるところもあるから、周りのヤツも理解してくれないことが多い。それで嫌な思いをすることだってあると思う」

 嫌な思い……タイガのことか。こいつ、僕のクラスでの扱いも知ってるらしい。僕が一方的にナイトのことを知ってるだけだと思ってたけど、ナイトもそれなりに僕のことを知ってるようだ。

「辛いと思う。本当に。俺なんかじゃきっと、その苦しみは理解できないんだろう」

 当然だ。『お前の気持ち、わかるよ』なんて言われた日には、それこそ僕はブチ切れかねない。

「だから俺に言えることは本当に少ないし、できることもほとんどないんだけど……それでも」

 ナイトは一度言葉を切った。そして、大きく息を吸い込む。深呼吸したのか? 何を言うつもりか知らないけど、僕はこいつと関わりたくはない。僕はこいつが嫌いなんだ。だからここは、無視を決め込もう。ナイトの言うこと全部無視して、あいつが諦めるのを待とう。

「それでも、俺はお前の力になりたい」

「……は?」

 しまった、つい振り向いてしまった。それだけ、僕には今の言葉が理解できなかった。一体何を言ってるんだこいつは?

「何か困ったことあったら言ってくれ。なんでも相談乗るから」

「な、なんで……なんでお前が、そんなこと」

「理由がいるか?」

「り、理由もないのに、僕なんかを助けるなんて言わないだろ普通」

「そうか……じゃあ、そうだな。同じ女子を好きになったよしみってことで、どうだ?」

「な、な、な……」

 本当に、何言ってんだこいつ。初対面の相手に対して。

「まあそういうことだ。おっと、もう昼休み終わるな。じゃあ、俺自分の教室に戻るから」

 そう言い残して、ナイトは屋上から去っていった。

「な……なんだったんだ、あいつ……」

 僕は戸惑うことしかできない。しかし、戸惑ってばかりではいられない。教室には戻りたくないけど、戻らなかったらアヤちゃんに会えない。

 ため息をつきながら、僕は教室に戻った。

 これがナイトとの出会いだった。なんのことはない、あいつはアヤちゃんから僕を引き離すために話しかけてきたのだ。それだけだと、僕は思っていた。そう、この時はまだ、僕はナイトを侮っていたんだ。アヤちゃんに付きまとう、そして初対面の僕にわけわからないことをくっちゃべる、変なヤツ。その程度の認識だった。でもその認識は、教室に戻った瞬間に改めることになったんだ。

「あれ……?」

 僕が教室に戻ると、教室の雰囲気が一変していた。なんだか静かだし、それに……タイガがいなくなっていた。

 なんだ? 何があった?

 教室内に入ると、ひそひそ話し声が聞こえ始めた。陰口を叩かれるのはいつものことだけど、どうもそんな雰囲気じゃない。僕は周囲を観察しながら席に着き、耳を澄ます。

「ナイトくんに言われちゃうとねー……」

「まあ、良くはないと思ってたし……」

 ナイト? あいつが何かしたのか?

「そもそもやってたのはタイガだから……」

「俺たちは別に……なぁ」

 タイガがいないのも関係あるのか。

「要するに無視してればいいんだろ。いつも通りだ」

「タイガがいなきゃ、進んであんなことしねーって」

 そして僕は、ピンと来た。

 これは……僕のことだ。

 普段の僕への仕打ちに対して、ナイトが何か言ったんだ。マッドをいじめるのをやめろとか、そういうことを。多分、僕を探しにこの教室に来た時に。

 そして、それに不機嫌になったタイガは、教室を出て行った……。

「……くそ」

 勝手なことしやがって。余計なお世話だ。お前なんかに言われて収まるようなら、僕はこんなに苦しんでない。

 確かにナイトの影響力は大きいようだ。誰からも好かれてるし、みんながあいつのことを信用している。あいつは常に誰よりも正しいし、みんなもそれをわかってる。

 そして、他でもないあいつ自身が、自分の正しさを誰よりも信じてる。

 ……だから、僕はあいつが嫌いなんだ。

 それにしても、あいつ一体何がしたいんだ? 僕を助けてどうするつもりなんだ?

 僕に恩を売っても、見返りなんて何もない。むしろナイト自身のイメージだって下げかねないぞ。それはあいつだってわかってるはずだ。

 じゃあ、なんで……。

「……まさか」

 あいつ、僕に恩を売っておいて、アヤちゃんを譲らせるつもりじゃないだろうな!?

 そんなこと、僕は絶対にしない。ナイトなんかに、アヤちゃんは渡さない。あんなやつ、アヤちゃんに相応しくなんかない。アヤちゃんに最も相応しいのは僕なんだ、これは揺るがない事実なんだから。

 わかったぞナイト、お前の狙いが……そんな不純な動機で僕を助けるなんてな。でもその手には乗らない。狙いが分かった以上、誰がお前なんかに助けられてやるもんか。

 どうせお前の言葉なんて大した効果はないんだ、見てろよ、すぐにあいつら僕をゴミのように扱い始める。タイガがいなくても僕の立場は変わらないんだ、きっとそうだ。僕のことは僕が一番わかってる。どうせまた僕は酷い目に合う。そうに決まってる。

 しかしその日、昼休み終了から放課後になるまで。僕にちょっかいを出してくるやつは、誰一人としていなかった。しかもそれだけじゃない。その日から夏休みに入るまでずっと、タイガは僕に絡んでこなかった。

 そしてこの日から、ナイトは僕にちょくちょく話しかけてくるようになった。同時に、僕もナイトの観察を始めた。僕とはあまりに違う存在。そんなあいつに、興味を持ったのも事実だ。

 だが、それよりも。

 心のどこかで期待していたのかもしれない。ナイトという人間は、いつか僕を救ってくれるんじゃないかって。そんなこと、あるはずないのに。僕を救えるのは、アヤちゃんしかいないのに。

 この時僕は、間接的にではあるけれど、初めてナイトに助けられた。ナイトのおかげで、僕がタイガに絡まれることは少なくなった。初対面の相手を、初めて話したその日に助けたと言う時点で、ナイトの異常性が窺える。

 だが、初めて直接的に助けられたのは、ナイトと初めて話したその二ヶ月後……九月のことだった。思い出したくもないのに、あの日のことは今でもよく頭の中に浮かんでくる。思い出したくはないが、僕にとっては忘れることのできない一日なのだ。

 その日は、僕とナイトが決別した日。

 完膚なきまでに敵対し、お互いを宿敵と認め合った日だから。



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