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1-3

 次の日の朝も、僕はアヤちゃんが出発するのを確認してから家を出た。そしていつも通り、学校に着いてすぐに彼女の様子を確認する。

「……あいつら。またかよ」

 取り巻きども……例の三人組は、性懲りもなくアヤちゃんにまとわりついている。あのバカ女たちは、昨日僕が言ったことを理解できなかったようだ。またくだらない会話でもしてるんだろうか。また妙なことをアヤちゃんに吹き込んじゃいないだろうな……? 僕はアヤちゃんたちの会話に耳を傾ける。

「ねぇアヤ、またミミに会いに来てよ……今度の昼休みにでもさ」

「え、いいの? あたし飼育委員でもなんでもないのに」

「うん、アヤなら大歓迎だから……ミミもきっと喜ぶし」

「アヤって本当に動物好きだよねー」

 どうやら他愛もない雑談のようだ。てっきり昨日の僕とのやりとりについて話してるのかと思ったが、杞憂だったらしい。『ミミ』というのは確か、学校で飼育しているウサギの名前だったかな。そういや地味子って飼育委員だったっけ。あいつがウサギの面倒見てるのか。で、動物好きのアヤちゃんを時々ウサギと遊ばせている、と。

 そう、アヤちゃんは大の動物好きだ。ジャンルは問わない。犬や猫、小鳥、どんな種類だろうと仲良くなりたがる。帰り道の公園で野良の動物と遊んでいることだってざらにあるくらいだ。

 そういえば、ナイトとアヤちゃんが知り合ったきっかけも動物だったはずだ。それも公園の野良猫だったはず。

 何を隠そう、僕はその場面に立ち会っていた。あれは僕らが中学に入ったばかりの、去年の四月の出来事だった。僕自身はあの時、ナイトと話したことすらなかった。アヤちゃんとナイトがどのように出会い、今に至ったか……僕は、その時のことをゆっくりと思い出した。




「おいで~おいで~」

 すぐそこで摘んだネコジャラシを振りながら、アヤちゃんは野良猫に呼びかける。

「こっちこっち、ほらほら」

 猫は少女を警戒しているのか、近づこうとはしない。しかしネコジャラシのことは気になっているようで、その視線はネコジャラシに釘付けだ。

「こっちに来れば、いいことあるよ~」

 猫は好奇心に耐えきれなくなったのか、アヤちゃんに一歩近づいた。アヤちゃんの顔がほころぶ。アヤちゃんが猫へ手を伸ばした。そして……。

「何してるんだ?」

 突然の声に驚いたのか、猫は一目散に逃げ出していった。アヤちゃんががっくりと項垂れる。

「うう……あと少しだったのに……」

 アヤちゃんは恨めしそうに声の主を睨んだ。

「あ、いや悪い。邪魔するつもりは……」

「え……あ、ナイトくん!?」

 声の主の正体わかった途端、アヤちゃんは急に慌て始めた。

「あ、あの、こんにちはっ!」

「あー……その、邪魔して悪かった。ごめんな」

 どうやらナイトは、偶然この場に居合わせたらしい。そして公園で少女と猫が戯れているのが物珍しかったので、つい立ち寄ったのだそうだ。

「う、ううん、いいの! いつもあんな感じだし、また明日チャレンジしてみる」

「そっか。……ん? いつも?」

「うん。いつも」

「いつもやってるのか? こういうこと」

 アヤちゃんは、恥ずかしそうに頷いた。

「だって……かわいいんだもん。ネコ」

 アヤちゃんの呟きに、ナイトの心は揺れた。あいつの動揺は、心の動きは、離れて見ていた僕にも伝わるほどだった。まあ、アヤちゃんのような可憐な少女が野良猫とじゃれているのを見れば、あいつがそう感じるのも無理ないことだったのかもしれない。とにかくあいつはこの時、もっとアヤちゃんのことを知りたいと思った。近づきたいと思ったんだ。この時点では好意とまではいかない、ただの興味に過ぎなかったようだけど。ナイトの口から、自然と言葉がこぼれ出た。

「あのさ、明日もここに見に来ていいかな。今度は邪魔しないから」

「え?」

「明日もチャレンジするんだろ? それ、俺も見たい」

「え? ええっ!?」

 こうして、ナイトはアヤちゃんと野良猫の触れ合いを見るために足繁く公園に通った。

 最初こそぎこちなかったものの、次第に二人は打ち解けた。そして互いに会うのを、これまた僕が見てもわかるほど、楽しみにするまでになった。

 ……やがて。アヤちゃんは猫に完全に懐かれ、直に触れ合えるまでになった。

「やったじゃないか桜庭。もうすっかり懐いてる」

「うん! 長かったねー、ここまで」

 アヤちゃんは優しく微笑み、猫を抱きかかえる。

「そいつ、飼うのか?」

「うーん、うちはペット禁止だから……ここで会うのが精一杯かな。ちょっと残念な気もするけど、仕方ないね」

「そっか。あの、さ」

「んー?」

「俺の家、ペット大丈夫だけど」

「え! ナイトくん飼うの!?」

「いや、まだ親にも相談してないけどな。多分飼えると思う」

「そうなんだ。ナイトくんにも懐いてるしね、この子」

 アヤちゃんは腕の中の猫を撫でる。猫は目を閉じ、短くにゃあと鳴いた。

「今日聞いてみて、許可出たら明日連れて帰るよ。そしたらほら、桜庭も安心だろ?」

「そうだね。……でも少し寂しいかな」

「たまに会いに来いよ。きっと喜ぶ」

「そうする。良かったねー、いい飼い主さん見つかってー」

 アヤちゃんが耳の後ろを掻いてやると、猫は気持ち良さそうに悶えた。もう完全にアヤちゃんへの警戒心を解き、その身を任せきっている。

「じゃあ、俺帰るよ。桜庭は?」

「あたしは、そうだなぁ……もう少しこの子と遊んでいこうかな」

「そっか、わかった。じゃあな桜庭。また明日」

「……うん。また明日」

 ナイトは少しでも早く親と話したかったのか、駆け足で公園から姿を消した。アヤちゃんは猫とともに、その姿を見送った。

 そしてその翌日。猫を飼う許可をもらったナイトは、アヤちゃんを連れて再び公園を訪れた。猫を迎えに来たのだ。

「あ、猫の名前まだ決めてねえ」

「そういえばあたしも考えてなかったな」

「決めとかないとな。どんなのがいいかな? 桜庭、なんかアイデアある?」

「んー、特に思いつかないなぁ。ナイトくんの好きにしていいよ」

「うーむ。どうすっかなあ」

 そんなことを話しながら、二人は公園までやってきた。

 しかし。

 そこに猫の姿はなかった。

 どこにも、なかった。

 二人がどんなに探しても、どんなに呼びかけても、姿を現すことはなかった。

「どこ行っちまったんだろうなぁ……」

「うん……せっかく仲良くなったのにね」

「本当にな。まさか逃げちまったのか? あんなに桜庭に懐いてたのに。あいつも根っこのところではやっぱり野良だったってことなのかなぁ」

「もう、会えないんだね」

「い、いやそうとは限らないぞ。またひょっこり帰ってくるかもしれないし。明日には何事もなかったかのように顔出したりして」

「ううん、わかるの。あたしには、わかる……もう、あの子には会えないの。もう二度と、会えないんだよ……」

「桜庭……」

 アヤちゃんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。その震える肩に、ナイトがそっと手を置いた。

 そしてそれ以降、アヤちゃんが言った通り、猫は二度と姿を見せなかった。




 ここまでの一部始終を、僕はずっと物陰から観察していた。アヤちゃんをいつも見守ってる以上、それも当然と言える。いつも周りを気にしてるアヤちゃんは気づいていたみたいだけど、当時のナイトは僕の存在に気づかなかったらしい。アヤちゃんもナイトも無駄なことをするなぁと思いながら、僕はずっと見ていたんだ。

 特に最後は傑作だ。もうどこにもいない猫を、ずっと探し続ける様は滑稽だった。

 まあそんなわけで、これをきっかけにナイトとアヤちゃんはそれ以降も頻繁に顔を合わせるようになり、今に至るというわけだ。

 ひとしきり回想を終えて、僕は再びアヤちゃんたちの会話に意識を集中させる。

「実は昨日、アヤを送った後にマッドの家に行ったんだけどさ……」

 昨日の話か。まあこいつらがその話をしないわけがないと思っていたけど。妙なことアヤちゃんに吹き込むんじゃないぞ。

「そしたらあいつ、ウチらを脅してきたんよ。もうアヤちゃんに近づくなーって。もう何様だよって感じでさ。マジウケるよね」

 マジウケるって……お前らこそ僕にビビりまくってたくせに、何言ってるんだ。

「でも危なかったよね。ナイフ持ってたしさ」

「あー、あれはヤバいわさすがに」

「ええっ!? 大丈夫だったの!?」

 アヤちゃんが大声をあげた。アヤちゃんがこんなヤツらの心配することないのに。まったく、アヤちゃんは優しいなぁ。

「大丈夫よ。あいつに刺す勇気なんてないっしょ」

 あいつら……まだ僕をナメてるのか。

「で、でもやっぱり危ないよね……な、ナイフ持ったストーカー、だよ?」

「そう思ってぇー、ちょっとお願いしたんよ。やっぱ痛い目見せなきゃわかんねーってああいうのは」

「え……? それ、どういうこと?」

「目には目を、歯には歯をっしょ。暴力には暴力ってワケよ」

 ……なんだと? ギャル子のやつ、まさか何か仕掛けたのか?

 僕はそっと、横目で取り巻きどもの様子を伺った。すると、ギャル子と目が合った。その目がぐにゃりと、醜く歪む。醜悪な笑顔を浮かべたギャル子から、僕は急いで目を逸らした。

 最悪だ、気付かれた。

「う……」

 たまらず呻き声が出た。僕を見てるのはギャル子だけじゃなかった。フツ子と地味子……それに、クラス中の全員。みんながみんな、いやらしい笑みを浮かべて、僕を見ていた。

「な……なんだよ……」

 嫌な予感がする。アヤちゃんを除いた教室内の人間全員が、みんな僕に敵意を向けている。

「おはようマッドくん」

 突然の背後からの呼びかけに、僕の背中が震える。この声は、あいつだ。タイガがいつものように、僕に突っかかってきたんだ。

「なぁマッドくんさぁ。昨日女子相手に随分と粋がってたらしいじゃねーの」

「……っ!」

 この言葉で、僕は全てを理解した。

 あの取り巻きども、タイガにすり寄ったんだ。昨日のことを話して、タイガをけしかけたんだ。自分じゃ勝てないからって、こんなやつにまで頼るなんて……惨めなやつらめ。

「おい聞いてんの? それとも何、俺にもナイフ向けてみる?」

 無視だ無視。僕も反撃はできないけど、こいつだって大それたことはできない。学校とはそういう場所だ。表沙汰にならないような些細な事柄は全力で無かったことにするくせに、大事になった瞬間に途端に慌て出す。前々からあった兆候を全て無視していたくせに、急に真面目な対応を始める。

 つまりそれは、小さな問題ならいくらでも起こせるということだけど、逆に大事になるようなことはできないということだ。僕もタイガも、大事にならない程度のことしかできない。タイガには何もできない。僕を罵り、痛めつけることはできても、それだけだ。そんなのいつもと変わらない。何を言われても、僕は、いつも通り、ただ耐えればいい。

「無視すんな、って」

 タイガが拳を振りかざす。

「言ってるだろぉがッ!」

 ゴツ、とこめかみから嫌な音がした。頭がくらくらして、視界に星が飛ぶ。

「ほらナイフ出せよ。持ってんだろ?」

「……」

「やってみろって。刺してみろよ、ほら」

 タイガの挑発には乗らない。乗る意味がない。そんな無駄なこと、僕はしない。

「刺したいだろ? 殺したいだろ、俺のこと? やれよ」

 ああ殺してやりたい。でも、ここではダメだ。こんなところでナイフは出せない。

 クラスの連中のニヤニヤ笑いが、僕の神経を逆撫でる。落ち着け。こんなのいつものことだ。どこにも味方がいないのなんて、もう慣れっこじゃないか。

「それとも、できねえか? ナイフ持ってても人は刺せないか? そりゃあ宝の持ち腐れってやつだぜマッド。武器ってのは持ってるだけじゃ強くなれないんだよ。使わないとダメなんだよなぁ」

 タイガは、僕ができないと思ってるんだ。人なんか刺せないってタカを括ってる。だからこそ挑発してくる。

「わかるか? そんなんで強くなったつもりになっちゃいけねぇよ。お前はお前のままだ。クソマッドのままなんだ」

 違う。僕は殺せる。お前を殺せる。でもしないだけだ。それだけなんだ。

「ゴミがナイフ程度で粋がんなよ。惨めだぜ」

 知らないくせに。僕がこのナイフで何をしてるか知らないくせに。

 何も。

 何も知らないくせに……!

「お前が持ってるんじゃあ、ナイフがかわいそうだ。出せよ。俺がもっとうまく使ってやる」

 そう言ってタイガは、僕のカバンを奪い取り、ひっくり返す。中からバラバラと物がこぼれ落ちるが、ろくなものは出てこない。バカめ。僕が何回、お前にカバンの中身をぶちまけられたと思ってるんだ。そんなところに入れてるわけないだろ。

「……チッ、ねーな。ポケットかなんかに入れてんな?」

 そしてタイガは僕に詰め寄る。僕からナイフを取るつもりか? やめろ。そんなことさせない。これは僕に必要なものなんだ。お前なんかに渡さない。

「おら、大人しく出せって」

 タイガが僕のポケットに手を伸ばす。やめろ。触るな。

 僕は必死にポケットを抑え込む。

「当たりだな。そこにあんのな」

 タイガは僕の手を剥がしにかかる。でもここは負けられない。これだけは守る。僕にとって、大事なものだから。僕には、これしかないから。

「クソが、粘るなマッドのくせに。お前らちっと手ェ貸せ」

 タイガの仲間が集まり、僕を取り囲む。数人がかりで僕の腕を掴み上げる。

「お、いいこと思いついた。ナイフ、ズボンごと剝ぎ取っちまおうぜ。ついでにパンツも取っちまうか。惨めなカッコ晒し上げて、二度と俺らに逆らえなくしてやろう」

 タイガたちの下卑た笑い声が響く。それに呼応して、クラス中が笑いの渦に包まれる。

 何がおかしい。何が面白いんだ、こんなの。僕の目がアヤちゃんを捉えた。アヤちゃんは唇を噛み締め、必死に目を背けている。……それでいい。アヤちゃんには見られたくない。こんな僕を、見て欲しくない。

 タイガのかけ声を受けて、僕の制服に手がかかった。僕は必死に身体を捻り、抵抗を試みる。しかし人数が多すぎた。身体はがっちり抑え込まれ、身動き一つ取れない。

 嫌だ。

 よせ。

 やめろ。

 触るな。

 僕に、触れるな……!


「おいやめろ! 何やってるんだ!」


 永遠にも思えた地獄の時間は、唐突に終わりを迎えた。

「おい、大丈夫かマッド!? しっかりしろ!」

 人ゴミをかきわけ、ボロ雑巾みたいになった僕を引っ張り出す。意志の強さが窺える、芯の通った声。端正な顔に、力強くて暖かい手。

 知っている。僕はこいつを、嫌というほど知っている。

 幾度となく僕を救い出し。

 幾度となく僕を傷つける存在。

 内藤 光騎。ナイト。

 僕がこの世で、最も嫌いな人間。

 僕は今まで、何度もナイトに助けられてきた。タイガの暴力からだけじゃない。僕には敵も多いし、この学校における僕の脅威はタイガたちだけではないんだ。

 でも、ナイトは違った。決して僕を攻撃しようとはしなかった。誰よりも僕の敵でありながら、誰よりも僕を守り続けた。そのことが、他のどんなことよりも。タイガのいじめなんかよりも、よっぽど。

 僕の心を、抉るんだ。



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