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 昼休みになった。

 購買で適当なパンを買い、僕は校舎の屋上に来ていた。昼食はいつもここで摂ることにしている。

「……つ」

 まだ身体中が痛む。朝にタイガたちにやられた傷は、しばらく治りそうもない。

 あの後、担任とほぼ同じタイミングで、アヤちゃんも教室に戻ってきた。ボロボロになった僕の姿を見て、何が起きたのかはすぐわかったみたいだった。アヤちゃんは僕の方へ近づき、一言だけ声をかけてくれた。

「……大丈夫?」

 それだけで、僕は救われた。その一言だけで、僕の世界は色を取り戻す。こんな腐った世界でも、生きてて良かったと思えてくる。

「ふ……ふふ」

 思い返すと、どうしても笑みがこぼれる。嬉しかった。アヤちゃんが僕に、優しさを向けてくれた。その事実だけで、僕は今日も生きていける。この思い出を反芻して、しばらく幸せに浸るとしようかな。

「お、見つけた。よっ、マッド」

 ……この声は。聞き覚えのある声に、僕の幸せは一瞬で萎んでしまった。

「また屋上か。好きだよなぁお前も。いつもここにいるもんな」

「僕に何の用だよ」

「いや、別に? 俺もここで昼メシ食おうと思っただけだよ」

「残念だったな、ここは僕の特等席だ。お前の場所はないぞ」

「へーそうなのかー」

「おもむろに弁当を取り出すな。僕の話聞いてなかったのか?」

「悪いな、聞いてなかった」

「胸張って言うことじゃないだろ……」

 屋上でこいつと話すのも、もう何度目だろう。話すたびに頭が痛くなるし、不愉快になる。それほどまでに、僕はこいつを嫌っている。憎んでいると言ってもいい。何しろこいつは、僕が世界で最も嫌いな人間なのだから。

 内藤 光騎。通称ナイト。

 僕の知る限り、最も『正しい』人間だ。

 そういえば、初めてこいつと話したのも昼休みの屋上だったっけ。あれはちょうど一年前だったか。あの時はこいつとここまで深く関わるとは思ってなかったな。まあ、今でも関わりたくないと思ってるんだけど。

「マッド? おーいってば」

「……ん。なんだよ。僕に用はないんだろ」

「いや、急に黙りこむからさ。どうした?」

「……別に。お前と初めて話した時のことを思い出してた」

「らしくないな。なんでまた」

「さあね。僕にもわからない」

「妙なこともあるもんだな」

「全くだ。じゃあ僕、教室に戻るから」

「なんだよ、まだ時間あるだろ。もう少しゆっくりしてけって。俺、話したいこともあるしさ」

「僕にはない」

 冷たく言い放ち、ナイトを一人置き去りにして、僕は屋上を後にした。教室に戻って、アヤちゃんの様子でも見よう。タイガやらナイトやら、面倒なことは全部無視してればいい。

 僕に必要なことは、アヤちゃんのそばにいること。ただそれだけなんだから。



 授業終了を告げるチャイムが鳴った。放課後になった瞬間にカバンを引っ掴み、足早に教室を出る。

 こんな教室、一秒だっていたくない。それに早く帰らないと、校舎は人で溢れかえる。そんな中を一人で帰るなんて、考えられない。それこそ周りから変な目で見られるし、何されるかわかったもんじゃない。

 特に、タイガあたりに捕まったら最悪。今朝のようなことはもうごめんだ。なんとしてでも回避したい。

 だから僕は、誰よりも早く校舎を出て、校門までたどり着く。

 校門を出て、いつもの場所へ。校門の向かいの道路。そこの電柱の影に、僕は身を隠した。ここまで来てしまえば、もう大丈夫だ。学校という監獄から脱出したことで、僕の心は少しだけ軽くなった。身を隠したとは言っても、ここに僕がいるのは校門からでもはっきりわかる。電柱で全身を隠すなんて、無理がある。だから警戒を解くわけにはいかないけれど、校内にいるよりは幾分かマシだ。

 そして待つ。

 ひたすら待つ。

 早いとこ来てくれないかなぁ。アヤちゃんだって、僕が待ってるの知ってるはずなのに。

 次第に校門から人が出てきて、帰宅する生徒で溢れかえる。しかし彼女は現れない。これもいつものことだ。彼女は遅くまで学校に残るようになった。いつも僕は待たされる。まあ、いつまでだって待つけどね。

 通り過ぎる生徒たちの視線に耐えて、僕はひたすら待ち続ける。

 五分経った。まだまだ序の口。

 十分経った。校庭から運動部どもの声が聞こえる。いつもいつも元気だなぁあいつら。

 三十分経った。帰宅する生徒の波が収まり、辺りに落ち着きが戻る。僕もようやく落ち着ける。これでじっくり待てるようになった。

 一時間経った。部活のない生徒はあらかた帰りきった頃だろう。でも、アヤちゃんはまだ出てこない。アヤちゃんはテニス部だけど、今日はテニス部の活動はない。そもそも、最近アヤちゃんは部活に顔を出してないみたいだし。しかしアヤちゃんはまだ出てこない。

 三時間経った。部活の終わった生徒が校門から出てくる。そろそろ下校時刻だから、アヤちゃんも出てくるはずだ。

 ほら来た。僕の予想通り……って、あれ?

「おいおい。なんであいつまで」

 部活終わりの運動部に混じって、何人かの女子と一緒に歩いてくるアヤちゃんの姿が見える。しかしその隣りには、ナイトの姿もあった。

「なあ桜庭、本当にいいのか? やっぱり俺も一緒に……」

「ううん、大丈夫。今日はみんなもいるし、ナイトくんのお家逆方向でしょ?」

 ナイトとアヤちゃんが何やら話しているのが聞こえてくる。くそ、なんだってあいつがアヤちゃんと一緒にいるんだ。

「……そっか。じゃあ俺帰るよ、みんな気をつけてな」

「うん、じゃあね。また明日」

 ……ん? なんだあいつ、校門で別れるのか。そういやナイトの家は僕らとは逆方向だっけ。これでアヤちゃんは一人……にはならないみたいだな。まだフツ子たち取り巻きどもが残ってる。あいつらの家だって僕らとは方向違うはずなのに、いつまでアヤちゃんに引っ付いてるつもりなんだ。

 そんなことを考えていると、フツ子たちと目が合ってしまった。

「え、ウソ……」

「三時間だよ……? なんでまだいるわけ?」

「うわ、キモ……てかヤバすぎ」

 取り巻きのブスどもが何か言ってるのが聞こえるが、無視。お前らなんか眼中にない。

 アヤちゃんたちは僕から逃げるように、足早に校門を出る。邪魔者はまだ残ってるけど仕方ないか。僕も帰るとしよう。

 アヤちゃんと僕の家はお隣りさんなので、当然帰り道も同じ方向になる。となれば、僕がアヤちゃんたちの後ろにぴったりとついて帰るのも、至極当然のことだろう。

「ヤバいよ、ついてきてる」

「アヤ、いつもこんななの……? ひ、一人じゃ危ないよ、やっぱり……」

「やっぱ家まで送るわ。ウチらで」

 アヤちゃんが学校を遅く出るのは、今日が初めてじゃない。むしろよくあることだ。でも、取り巻きどもがここまで一緒にいるのは初めてだ。いつもはアヤちゃん一人で帰ってるのに、今日はどういう風の吹き回しだろう?

「やっぱり一緒に残って正解だったよ。一人で帰るのは危なすぎる」

「あ、あんなストーカーと二人っきりにさせるわけにはいかないよね……」

「マジキモいわ……通報しよーよもう。てかナイトに一緒に来てもらえば良かったじゃんね」

 そういうことか。あいつらが自分からアヤちゃんにくっついてきたんだ。まったく余計なことするなぁ。そういうのをお節介って言うんだよ。

「あいついつまでついてくんのよ」

「ま、まさか家まで来るんじゃ……」

「は? ガチ犯罪者じゃん」

 お隣りさんだから、当然アヤちゃんの家までついていくことになる。

 こいつらそんなこともわからないのか。無理やりアヤちゃんにくっついて来た癖に、そんな基本的なことも知らないなんて……本当に何しに来たんだ?

 そうこうしているうちに、僕たちの家の近くまで来てしまった。アヤちゃんは取り巻きたちにお礼を言い、逃げるように家に入っていった。

 それを見届け、僕も自分の家に帰ろうとする。さっさと帰って休みたい。さすがに、三時間も外で待つのは辛かった。しかし、僕の帰宅を邪魔する奴らがいた。

「ねえ、マッド。あんたもうアヤに近づかないで」

 取り巻きどもだ。わざわざ僕に小言を言いに来たらしい。お前らアヤちゃんのなんなんだ。保護者気取りかよ。まったく図々しい奴らだ。

「あんたのやってんのストーカーだから。犯罪だから。わかる?」

「家近いからって、アヤが帰るの待つのはキモいし。一緒に帰る理由もないし」

「本当に、もう……やめて」

 うるさいなぁ。こいつら本当に何もわかってない。さすがに、少し言って聞かせてやらなきゃいけないな。

「お前らこそ、やめろよ。もうアヤちゃんに付きまとうな。迷惑なんだよ」

「は?」

「家まで三人で付きまとったりして……お節介もいいとこだ。そんなこともわからないのか?」

「何言ってんの? 付きまとってんのはあんたでしょ」

「僕はいいんだ。でもお前らはダメなんだよ」

「……あのねぇ。あんたがアヤに迷惑かけてるから、あたしたちが一緒について来たの。あんた自分が何してるかわかってんの?」

「だから、僕はいいんだって。僕はアヤちゃんに必要な存在なんだ。でもお前らは要らない。邪魔なだけ」

 平行線だ。僕たちは互いに引かないから、この話は絶対に決着しない。つまりこの会話に、意味はない。時間の無駄だ。

「じゃあ僕帰るから」

「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」

 無視。僕はすたすたと家に入り、勢いよくドアを閉め、すぐさま鍵をかけた。

「はぁ……まったく」

 今家には誰もいないようだ。助かった。あの三人組に絡まれてるところを親にでも見られたら、面倒なことになる。

「やれやれ、アヤちゃんも大変だなぁ。あんなのに付きまとわれるなんて」

 でも大丈夫だ。僕が守る。あんなやつら追い払って、僕とアヤちゃんだけで帰るんだ。それこそアヤちゃんが求めてることなんだから。

 ピーンポーン。

 ぎょっとして振り返る。今のは玄関のチャイムの音だ。わざわざチャイムを鳴らすってことは、僕の両親ってわけじゃない。

 ピーンポーン。

 まただ。このタイミングでチャイムを鳴らす……つまり僕を呼び出すなんて、そんなことするのはあいつらしかいない。

 僕はドアのレンズから、チャイムを鳴らしている人物の正体を確認する。

「……やっぱり」

 ドアの前に立っているのは、ギャル子だ。その後ろにはフツ子と地味子の姿も見える。アヤちゃんの取り巻きども、まだ帰ってなかったのか。

 ピーンポーン。

 耳障りなチャイムの音が響く。

「くそっ、さっさと帰れよ」

 だんまりを決めこめば、あいつらも諦めて帰るだろう。そう考えたが、甘かった。

 ピーンポーン。

 幾度となく響くチャイム。あいつらには、僕がこの家にいるのはわかっている。そう簡単には諦めない。

 ピーンポーン。

 次第に僕の中のイライラも溜まっていく。あいつらのやってることだって犯罪だ。こんなの嫌がらせ以外の何物でもない。あいつらに、僕のことを悪く言う資格はない。

 ピーンポーン。

 ああ、うるさい! いい加減に……!

 ピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピポピーンポーン。

「~~~~~っっっ!」

 僕はポケットからナイフを抜き放ち、ドアを勢いよく開けた。

「あ、やっと出てきやがったなマッド! ウチらの話を……」

「やかましいっ!」

 僕はナイフを突きつける。目の前にかざされた凶器に、三人組の動きが止まった。

「おい、一回だけ言うぞ。僕とアヤちゃんに、二度と近づくな」

「ぁ……あ」

 取り巻きどもは揃いも揃ってバカみたいに口を開け、ナイフを見つめる。

「聞いてるのかよ、おい!」

 僕は更にナイフを近づけてやる。

「い、いやっ……!」

 慌てて後ずさりする三人組。

「さっさと帰れよ。次はないぞ。僕が我慢できなくなる前に、帰れっ!」

「ひ、ひいぃっ!」

 バタバタと慌ただしく逃げていく。惨めだな。普段タイガたちにいいようにやられている僕になら、勝てるとでも思ったのか。思い上がりも甚だしい。

 タイガたちをこらしめるのなんて簡単だ。いつでもできる。ただ、場所が悪い。学校でナイフを取り出すと、どうしても大事になる。それは僕にとっても都合が悪い。ただそれだけのことなんだ。それをあいつらは、僕が弱いと勘違いしていた。つくづくバカなやつらだな。これにこりて、二度と僕とアヤちゃんに関わらないで欲しいんだけど。

「さて、と」

 僕は自室に戻り、アヤちゃんの部屋を観察する。相変わらず窓もカーテンも閉め切っているから、中の様子はわからない。

 でも、問題ない。玄関の様子も観察できるから、アヤちゃんが外に出ればすぐにわかる。そうしたら、僕も外に出ればいい。アヤちゃんから目を離すわけにはいかない。僕には彼女を見守る義務がある。あの取り巻きどもみたいな邪魔者がアヤちゃんに近づかないように、気を張らなければ。



「……ん」

 時刻は夜七時。アヤちゃんの部屋の電気が消えた。

「アヤちゃん、もう寝たのか?」

 いや、早すぎる。アヤちゃんの家の夕食は毎日八時半。父親が帰ってきてから家族みんなで食べるはず。今までの経験から、平日に桜庭家の夕食の時間が変わることはまずない。そして、夕食の前に寝るなんて考えられない。それにアヤちゃんは、少し部屋を離れる程度では電気を消していかない。これも僕の経験上間違いない。となると、これは……。

 僕は慌てて身支度を整え、部屋を飛び出した。

「真士、晩ごはん……」

「あとで食べる」

 玄関で母さんが声をかけてきたが、最低限の言葉だけで返事をする。僕はそのまま靴を履き、ドアを開ける。

「……やっぱりだ」

 僕が家を出たのとまったく同じタイミングで、アヤちゃんが家から出てきていた。やっぱり外に出ようとしていたんだ。夕飯前にお使いでも頼まれたんだろうか?

「あ」

 アヤちゃんと目が合った。アヤちゃんは僕から急いで視線を外し、早足で家から離れていく。アヤちゃんがどこに向かうのかはわからないけど、道中何があるとも限らない。彼女を見守るのが、僕の仕事だ。僕は無言でアヤちゃんのあとを追いかけた。

 アヤちゃんが夜に出歩くことは少なくない。その度に僕はこうして後ろから見守ることにしている。声をかけるなんて無粋なことはしない。それに僕は、誰よりも彼女のことを理解しているから、今さら話すようなことはないんだ。こうして見守るだけで、僕も、彼女も、幸せなんだ。僕たちに必要なのは、お互いの存在のみ。そこに不純な会話や接触はいらない。ただ、お互いがこの場に存在しているという事実だけで、僕らは完成しているのだから。

 アヤちゃんが向かった先は、近所のコンビニだった。やっぱり単なる買い物か。途中で誰かと会うこともなかったし、僕とアヤちゃんを脅かすようなものは何もなかった。アヤちゃんはそのまま家にまっすぐ帰ろうとしている。僕もそれに後ろからついていく。もちろん無言で。

 アヤちゃんは一回も僕の方を振り返ることなく、家までたどり着き、そして帰っていった。僕はアヤちゃんの家の門のあたりでしばし待つ。程なくして、アヤちゃんの部屋の電気が点いた。

「よし」

 アヤちゃんは無事部屋に戻ったみたいだ。どうする? 僕も帰るか? それとも……。

 僕はポケットの中のナイフとビニールの感触を確かめる。二つとも、しっかりある。解体は、いつでもできるようにしてある。

「……ま、今日はやることないか」

 いくら趣味とはいえど、誰だって気分が乗らない時はあるだろう。それに今日は、標的となる動物もいないみたいだし。

 僕は大人しく家に帰った。自分の部屋で一人で夕食をとり、アヤちゃんが寝るまで見守り続ける。やがてアヤちゃんの部屋の電気が消え、今度こそ眠ったことを確信してから、僕も寝る支度を始めた。

 おやすみ、アヤちゃん。

 また明日、学校で。



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