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1-1

 僕が教室に着くと、それまで騒がしかった教室が一瞬で静まり返った。クラス中からの冷ややかな視線が、一斉に僕に突き刺さる。しばしの静寂の後に、ひそひそと会話が再開され始めた。僕はそれらを無視して、真っ先にアヤちゃんの姿を探す。僕より先に歩いてたんだから、当然いるはずだ。

 ……いた。

 アヤちゃんはクラスの女子たちと楽しそうに談笑している。僕のことを見ようともしてくれない。僕はちょっと悲しくなったが、これもいつものことだ。

 そして僕は、まっすぐ自分の席に着く。ここは僕の領域。ここだけは、僕のためのパーソナルスペース。この教室に、アヤちゃん以外の価値はない。話し相手なんていない。味方はいない。アヤちゃんに話しかけたいのは山々だけど、そんなことをしたらアヤちゃんに迷惑がかかる。僕だって、自分の立場くらいは把握している。スクールカーストなんてくだらない概念も、十分に理解している。

 だから僕は、ここでは一人。楽しさなんて欠片もない。僕は静かに机に突っ伏し、狸寝入りを始める。

 僕に構うな。僕を見るな。僕に一切関わるな。

 そんな断固たる意思表示。僕は世界を拒絶する。そんな僕の気持ちとは裏腹に、色んな会話が耳に入り込んでくる。

「マッドはヤバい」

「ナイフを持ち歩いている」

「夜な夜な動物を殺しているらしい」

「そういや昨日、飼い犬がいなくなったって近所のジイさんが」

「またかよ」

「連続ペット失踪事件?」

「毎日どっかのペットが消えるよね」

「マッドのせいだな、それは」

「その犬もマッドが殺したってウワサだぜ」

「なるほど、連続ペット失踪の犯人はマッドか」

「異常者じゃん」

「そりゃマッドだし」

「あいつ学校来んなよ気持ち悪い」

「死ねばいいのに」

「死ねよ」

「死ね」

 マッド。僕のあだ名……というか蔑称。僕の本名、泥谷ひじや 真士しんじをもじったものらしい。mud(泥)とmad(狂った)をかけているのだろう。蔑称とは言ったものの、僕自身は割と気に入っていたりする。

 それにしても、今の会話の内容……噂ってのは広まるのが早いな。全く、火のないところに煙は立たないというか、火があるから煙が出てくるというか……。まあ僕の趣味は昔から続いているものだから、今さらそんなこと言われてもって感じだけど。

「アヤ、今日元気ないね。もしかしてまたマッドに嫌がらせされたの?」

「う……うん」

 次に聞こえてきたのは、アヤちゃんたちの会話だ。

「ストーカーされてるんでしょ? 早く先生とかに言った方がいいって」

「警察に通報でもいいよね。犯罪だし」

 アヤちゃんの取り巻きが騒がしい。いつもアヤちゃんに引っ付いてる三人組だ。

「いや……大事にはあんまりしたくないしさ。周りに迷惑かけたくないんだ」

「アヤ優しすぎだよー。相手はマッドなんだし、刑務所に入れた方がみんなのためにもなるんだって」

 こいつはフツ子。普通だからフツ子。もちろん本名じゃない。というか本名は知らない。どのクラスにも一人はいるだろ? なんの取り柄もないクセして、人柄だけで友達付き合いうまくやってるようなヤツ。他人の意見に同調し続けて、周りの機嫌を取ってるヤツ。こいつはそんなタイプだ。

「で、でも変に騒いだら、し……仕返しとかあるかもよ」

 今の声は地味子かな? こいつはとにかく目立たない。そして暗い。前髪が目を隠してるもんだから、なに考えてるのか全然わからない。その上、アヤちゃんたち以外と話してるのを見たことがない。友達とか全然いないんだろうな。ま、僕が言えたことじゃないんだけど。

「うわヤッバー。それ考えてなかったわ。ストーカーとかマジ死すべき」

 こいつはギャル子だ。ギャル子の声はすぐわかる。うるさいから。何かと主張が激しいんだこいつは。髪は明るい茶色で、爪とか手首とかに無駄な装飾をガチャガチャつけている。僕は、こいつと地味子がつるんでいるのが不思議でならない。話が合うとは全く思えないんだけど。

「あたしたちも襲われちゃうかもね~」

 黙れフツ子のくせに。お前らみたいな一般人を誰が相手にするもんか。

 そもそも、お前ら程度がアヤちゃんと馴れ馴れしくするんじゃない。お前たちは、アヤちゃんに相応しくないんだから。

「先生がダメなら、せめてナイトくんには相談しときなよ。彼氏でしょ?」

「か、彼氏じゃないってば!」

「またまたぁ〜」

 ナイト? ナイトだと? よりにもよってあいつが彼氏だって? 笑わせるな、あんな世界一アヤちゃんに相応しくない男が、アヤちゃんの彼氏?

「……ナイトくんは、あたしにはもったいないよ。ナイトくんのこと好きな人、きっといっぱいいるし」

「でもナイトのヤツも、アヤのこと意識してると思うけどなぁ。しょっちゅう会いに来るしさ。クラスもちげーってのに」

「そ、そうだよね……アヤちゃんのこと、絶対好き、だよね。たぶん、一年生の頃からずっとだよ」

「去年からずっとかぁ。ナイトくんも一途だねぇ。いいなーアヤ。あのナイト様に見初められるなんてさー」

「もう、違うって言ってるのに……」

 アヤちゃんはそう言って、席を立った。トイレにでも行くのか、そのまま教室を出て行ってしまった。良かった。これ以上ナイトの話を聞いてたら、僕の精神がどうにかなるところだった。僕は、あいつの名前を聞くだけでもうんざりするんだから。

 うつ伏せのまま、僕が安堵のため息をついた時だった。

「おい、マッドくん。ちょっと顔貸せよ」

 しまった……。女どもに気を取られて、僕がこの世で二番目に嫌いな人間の存在を忘れていた。いつもなら、こいつに近づかれる前に距離を取るのに……なんたる不覚。僕としたことが、こんな凡ミスをやらかすなんて。

「なぁ起きろよマッドくん。おいってば」

 くそ、うるさいんだよ。鬱陶しいったらありゃしない。仕方ない、話を聞いてやろうかな。いや、せっかくだしもう少し焦らしてやろうか。今僕は寝たフリをしているし、すぐに起きるのは不自然かもしれない。ここはもう少し待って……。

「起きろっつってんだよこのクソマッド!」

 響き渡る怒号。それと同時に、頭に鈍い衝撃が走る。

 机を下から蹴り飛ばされたんだ。僕はたまらず床に倒れこんだ。

「このタイガ様がよぉ、顔貸せって言ってんだよ。すぐ起きて挨拶すんのがテメェの身分ってもんだろ、あ?」

 この単細胞め……誰がお前に挨拶なんかするもんか。

「ンだよその反抗的な目は。マッドのクセに、クソ生意気な」

 タイガ……足立あだち 大牙たいがは、そう言って僕を背中から踏みつけた。この図体がバカでかい単細胞生物は、力だけは異常に強いんだ。おかげで僕は、うつ伏せのまま床から起き上がることができない。

「マッドくんさぁ、最近調子乗ってるっしょ。弁当も持ってこないし、俺たちには冷たくするし。どういうつもりなワケ?」

 どういうつもりもクソもない。お前なんかと関わりたくないんだよ僕は。

「マッドくんの立場的に、俺たちに弁当献上したり、色々お使いしてくれたりすんのが普通っしょ? その辺わかってる?」

 僕はお前の下僕じゃない。お前なんかの言いなりにはならない。

「なんとか言えよコラァ!」

 タイガは、僕の胸を思いきり蹴り上げた。口の中に広がる血の味。視界が明滅し、息ができなくなる。

「おいお前ら、手伝えや。マッドくんが俺のこと無視すんだよ、ちっとヤキ入れてやんねぇと」

 呼びかけに応じて、タイガの仲間がゾロゾロと集まってくる。そして、僕の身体をドカドカと踏みつけ始めた。

「ぐ……ぎぃっ……」

 腕、腹、頭。次々と襲いかかる痛みに、僕は強く歯を噛み締め、耐える。教室の他の連中は、一切見て見ぬフリをしている。哀れみや同情さえもない、完全なる無視。

 この教室に、味方はいない。

 僕を踏みつける奴らは、みんな笑ってる。そしてそれを無視する奴らは、何の感情も示さない。この教室での僕の扱いは、まさにゴミそのものだ。厭うべきもの、忌むべきもの、居なくなった方がいいもの。それが僕。僕という汚物を、共通の敵として蔑むこと、それこそがこの教室でのルール。誰もが信じて疑わない、腐りきった規則事項。

 僕はポケットの中のナイフを握りしめ、ただ耐える。

 殺す。お前らいつか殺してやる。

 心の中で必死に叫ぶ。僕はお前らとは違うんだ。僕は特別なんだ。お前らなんかに足蹴にされるような、そんな存在じゃないんだ。お前らなんか死んで当然だ。殺してやる。殺されたって文句は言えない。文句なんて言わせない。お前らの方こそ、ゴミのように扱われるべきなんだ。いつか。いつかきっと、ゴミのようにズタボロにしてやるーー!

「明日は弁当持ってこいよ。で、俺が呼んだら即座に返事すること。わかったか?」

「ぐ……う……」

 まともに声も発せない。痛みが過ぎ去るのを、僕はただ待つ。返事もままならない状況でも、僕は絶対に屈しない。こんなやつに負けたりしない。

 だって、僕の方が強いから。本気を出せば、こんなやつら全員殺してやれるから。

 ポケットの中のナイフを握り、昨日のジョンの感覚を思い出す。

 そうだ、僕は強い。あんなことできるのは僕だけだ。タイガにはできるわけない。あいつにできないことが、僕にはできる。

「なんとか言えよマッド。おい」

 またタイガが僕を蹴る。でも僕は何も言わない。

「頑固だなマッドのクセに。チッ」

 タイガは舌打ちしながら、僕のカバンを掴み上げ、中身を床にぶちまけた。ノートに教科書、筆記用具がバラバラと散らばる。

「ロクなもん持ってねーなぁ。財布もなけりゃ弁当もねぇし。全部ゴミじゃねーか」

 タイガは笑いながらノートを踏みつけ、遠くへ蹴り飛ばす。カバンに大事なものは入れないようにしている。こいつが僕のカバンをよく漁るからだ。最初は僕も必死に抵抗したりしていたけど、今ではもうなんとも思わなくなった。

「ゴミは掃除しねーとなぁ」

 僕の筆箱は廊下に蹴り飛ばされた。続いて教科書も放り投げられる。

「ったく、持ち主がゴミなら持ち物もゴミか。生きる価値、ナーシ。あ、そうそうマッドくん。今度から俺の前で狸寝入り禁止ね」

 タイガはそう吐き捨て、ゲラゲラ笑いながら教室を出て行った。

 痛みがようやく収まってきた。僕はのろのろと身体を起こし、散らばった私物を拾い上げる。廊下に筆箱を取りに行くと、教室のドア前で立ち尽くしている担任教師と目が合った。ホームルームの開始時間はとっくに過ぎてる。でも、こいつは教室に入らずにこんなところで突っ立ってた。

 こいつはずっと、外から様子を見ていたんだ。ただ、見ていただけだった。教室に入れば、注意しなければいけないから。暴力を止めなければいけないから。だから教室には入らず、僕への暴力が終わるのをずっと待っていたんだ。

 担任教師は、僕と目を合わそうとしない。気まずいのか、それともただ無視しているだけなのか。僕はそいつから視線を外し、筆箱を拾い上げて教室に戻った。

 この学校に、僕の味方はいない。

 一人も……いない。



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