表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/19

プロローグ

 その日。

 僕は彼を殺し、彼は彼女を殺し、そして彼女は僕を殺した。




 月明かりもない真っ暗な夜。吹く風は生温く、僕の身体をゆるりとなぞる。歩いていても汗はかかず、ただぼんやり暖かいという感覚のみがある。こんな夜に一人で外を歩いていると、どうしても無駄な考え事をしてしまう。

 たとえば、こんなこと。

 世の中には、二種類の人間がいる。まともな人間と、まともじゃない人間だ。そして、この二つのカテゴリに当てはまらない人間は存在しない。こんなのは至極簡単な話で、誰にだって理解できる。

 難しいのは、果たして自分がどちらのカテゴリに属しているのかということ。自分ではまともだと思っていても周りはそう思っていなかったり、その逆だってあり得る。

 そんな中で、自分がどちら側なのかを正しく理解できている人間は、この世の中にどれだけいるのだろうか。

 ほとんど? 半分? それともゼロ?

 割合に大した意味はない。僕らにとって大事なのは、何よりも自分のことだ。自分がどちら側の人間で、周りからはどう思われているのか。それが全てなのだから。

 さて。それでは一体、僕はどちら側の人間なのだろう?

 そんなことを考えて、僕は一人でため息をつく。考えるまでもない。そんなこと、今更考える余地もない。僕は自分に呆れながら、自分の持っているビニール包みに目をやった。

 手の平に、感覚が蘇ってくる。先ほど自分のしたことが、鮮明に思い出される。



 足下に横たわる一匹の犬。よく手入れされた毛、そして首輪。首輪には『ジョン』と書かれていた。野良じゃない、飼い犬だ。このツヤツヤの毛並みを見るに、きっと大事に飼われていたのだろう。今頃飼い主は、このジョンのことを探しているのだろうか。心配しているのだろうか。

 そんなことを考えながら、僕は周りを見渡した。うん、誰もいない。ジョンの身体の下にビニールを敷き、準備は完了。ポケットの中の馴染みの感触を確認し、息を整える。

「よし」

 ポケットから取り出したのは、大きめのサバイバルナイフ。ナイフのカバーを外し、狙いを定める。僕は一息の呼吸の後に、ジョンの喉元めがけて、思い切りナイフを突き立てた。そして一気に引き下ろし、腹を裂く。ザクザクと肉を引き裂く感触。ブチブチと繊維を断ち切る感覚。それらがナイフを通して、僕の掌に伝わってくる。

「……ぎひっ」

 僕は歯をむき出しにして、口角を上げ、笑う。この感覚、もう何度目になるだろう。こみ上げてくる感情を必死に抑え込む。

「ぎっ、ぎひっ」

 口から笑い声が漏れ出す。ダメだ、あまり物音を立てないようにしないと。こんな夜中だって、誰かが通りかからないとも限らない。

 僕は手早く作業を進める。まず四肢を断ち、次に身体のパーツを関節ごとに切断し、さらに傷口から内臓を引きずり出し、ジョンの身体をただの肉塊へと変えていく。四肢と胴体、内臓。分けられたパーツは、さらに細かく切り刻まれ、徐々に原形を失っていく。ばらばらと、ぐちゃぐちゃと、解体されていく。

 解体。それが僕の趣味。

 完全に解体された死骸は、最早死骸とは呼べない。死骸とは、生前の姿を残していて、そこにかつてあった命の面影を想わせるものだ。ある意味、命の残滓とも言える。

 しかし、僕はそれを殺す。命の残滓など欠片も残さず、一片の余地なく解体し、殺し尽くす。

「ぎっぎひっぎひひ、ぎっ」

 気づけば、僕はよだれを垂らして笑っていた。声を抑えようと歯をきつく噛み締めているのに、口角は上がって歯はむき出しになり、声が漏れてしまう。

 仕方ない。僕は声を抑えるのを諦め、急いで作業を終わらせることに専念した。

 解体を切り上げ、最初に敷いたビニールの四隅を持ち上げて、風呂敷のようにして肉塊を包み込む。これでこの包みは、家庭用のゴミ袋程度の大きさになった。このビニールは僕の愛用品で、外から中身がほとんど見えない。誰かがこの包みを見ても、せいぜい生ゴミを入れたゴミ袋としか思われないだろう。さらに口をきちんと縛れば、臭いもほとんど漏らさない。まさに後処理にうってつけ。ホームセンターで見つけて以来、ずっと重宝している。僕は完成したビニール包みの外見をチェックし、首輪もきちんと見えない位置に包まれていることを確認した。

 うん、完璧。これで誰が見ても、この中にジョンがいるとは思わない。ジョンは僕に解体され、その死は誰にも知られることはない。たった今、ジョンが死んだという事実は闇に葬られた。一片の余地なく消え去った。

 僕は、ジョンの死を、殺した。

 ここまでが一連の作業だ。死骸を解体し、ビニールに包み込む。もうこの作業もだいぶ手慣れたものになった。自分の手際に満足し、僕はナイフをポケットにしまった。



 こうして作り上げた包みを持って、今僕は自分の家に向かっている。もう我が家は目の前だけど、このまま帰るわけにはいかない。

 僕の家の、隣りの家。立派な二階建ての一軒家で、家の前に小さな門がある。門にはインターホンと表札。表札には『桜庭』と書かれている。僕の幼馴染、アヤちゃんの住む家だ。

 僕は門の前で立ち止まり、二階のアヤちゃんの部屋を見上げる。カーテンが閉められているから中の様子はわからないけど、電気はついているみたいだ。もしかしたら、僕に気づいて顔を出してくれるかもしれない。そんな淡い期待をしてみたけれど、窓は堅く閉ざされたままだった。

 うーん。残念だけど、今日はもう帰ろう。また明日、学校で会えることだし。

「アヤちゃん、気に入ってくれるかな」

 そんなことを呟いて、門の前にビニール包みを置いた。最後にもう一度アヤちゃんの部屋を見上げ、心の中で呟く。

 おやすみ、アヤちゃん。

 また明日。



 ピピピッ。ピピピッ。

「ん……」

 いつも通りの朝。目覚まし時計の音で、目が覚める。もう少し寝ていたいけど、そうも言っていられない。そろそろアヤちゃんが学校に向かう時間のはずだ。

 僕は素早く制服に着替え、身支度を整える。もちろん、ナイフとビニールも忘れない。この二つは常に持ち歩くようにしている。

 準備を終え、窓を開けて外の様子を伺う。僕の部屋も二階にあり、アヤちゃんの家の全貌がよく見える位置にある。というか、そういう位置の部屋を僕の部屋にしたんだけど。

 アヤちゃんはちょうど家から出てきたところだった。アヤちゃんは門を出ると、すぐに僕の置いたビニール包みに気がついた。そして、それを二階から眺めている僕に気づき、僕の方を見上げてくる。その表情は固く、視線は鋭い。まるで睨みつけられているみたい。

 僕はにこやかに笑いかけ、手を振り返してあげた。しかしアヤちゃんの反応は悪い。すぐにそっぽを向いて、包みを近くのゴミ捨て場に持って行き、そのまま学校に向けて歩きだした。

「うーん……毎度のことながら反応が悪いな」

 なんでだろう。絶対喜ぶと思ったのに。

 しかしこの冷たい態度も慣れたもの。気を取り直して、早く学校に行かなければ。学校になんか行きたくないけど、学校に行かなきゃアヤちゃんに会えない。

 僕は一階に下り、玄関に向かう。

真士しんじ、朝ごはんは?」

 家を出る直前で、母さんに声をかけられた。

「いらない」

「お弁当……」

「いらない」

 僕の返答はたった一言。でもこのやりとりもいつものことだ。僕はそのまま外に出た。



 急いで通学路を駆け抜け、アヤちゃんに追いつく。

「おはよう、アヤちゃん」

「ひっ!? お、おはよう、泥谷ひじやくん……」

「今朝のプレゼントは気に入ってくれた?」

 プレゼントとはもちろん、あのビニール包みのことだ。どうしても感想が聞きたくて、追いかけてきてしまった。

「ぷ、プレゼントって……『あれ』のこと?」

「そうだよ。今日のは自信作だったんだ。外から首輪も見えないようにできてたし、中身が何かもわからない。完璧だったでしょ?」

「……」

「ん? どうしたの?」

「ね、ねぇ泥谷くん……もう、こんなことやめてよ」

「え?」

「もう、あたしに付きまとわないで……お願い」

「……? なに言ってるのさアヤちゃん」

「話しかけたり、しないで。もう近づかないで」

「どうして? 僕たち、幼馴染じゃないか」

「い、家が近いってだけじゃない……」

「そんなことないでしょ。昔から一緒に遊んでたじゃないか」

「あたし、怖いの。あなたが怖いのよ。もう関わりたくないの」

 そう言ってアヤちゃんは、震える手でカバンからあるものを取り出した。

「……それは」

「もう……嫌なの」

 アヤちゃんが取り出したのは、可愛らしいピンク色の果物ナイフ。護身用にもなりそうにない、そんな小さな代物。それをアヤちゃんはお守りのように握りしめ、僕を睨みつける。

「あ、あたし、本気だよ。い、いつでも、あたし……」

「そのナイフを、どうするの? 僕に使うの?」

「あたしはっ……!」

「知ってるよ。ずっと持ち歩いているんだよね、それ」

「えっ……!?」

「なんで知ってるんだ、って言いたいの? でも、知ってるのも当然じゃないか。僕は誰よりもきみのことを見てきたんだ。ずっと、見てきた。だから全部知ってるよ。アヤちゃんのことなら、全部知ってる」

 アヤちゃんが後ずさる。僕から一歩でも離れようと距離を取る。しかし僕がそれを許さない。僕はアヤちゃんに歩み寄り、告げる。

「きみは、逃げられない。きみがそのナイフをどう使おうと、事実は変わらない。揺るがない」


「きみに最も相応しいのは僕だ。『あいつ』じゃない。それを早く認めようよ」


「い……いやっ!」

 アヤちゃんは叫び、僕から逃げ出す。僕はそれを静かに見送った。無理に追いかけることはない。クラスは一緒なんだし、どうせ教室ですぐ会える。

 焦ることはない。きっと、いつかアヤちゃんもわかってくれる。僕はそれを、ただ待てば良い。

 僕はゆっくりと学校へ歩き始めた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ