95.元八神輝オルドヴィーン
帝国東部にある墓地にて、オルドヴィーンは花を手向けていた。
「すまんな。皇帝陛下の呼び出しとなれば、しばらく家をあける」
彼は墓に眠る亡き妻に詫びて立ち上がる。
今年で六十二歳になる小柄な老人で、髪とひげは雪のように白かった。
「おや、オルドヴィーンさん。こんにちは」
「はい、こんにちは」
墓で顔を合わせる人に柔和な笑みを浮かべ、緑色の帽子をとってあいさつを好々爺然とした姿は周囲でも評判である。
あまりにも穏やかで人当たりがいいため、「元八神輝と同名の別人」と言っても納得する人たちばかりだった。
ユルゲンと違って彼は家族たちに召集に応じることに反対された。
おそらくは貴族と平民の違いがあるのだろう。
貴族は皇帝に必要とされることを誉れに思い、国のために働くことは義務だと思っている。
少なくともまっとうな貴族たちはそうだ。
しかし、平民は違う。
「父さんは今まで陛下のため、国家のために戦ってきたじゃないか! もう免除されていいはずだ!」
「そうですよ、お義父さん。これからはのんびり過ごして下さいな。そのほうが私たちも親孝行できます」
実の息子とその嫁はオルドヴィーンの身を案じてくれたのだろうと、彼は先日を振り返る。
結局喧嘩別れになってしまったのだが、彼に後悔はない。
彼がひとり息子と喧嘩してまで召集に応じたのは、当代皇帝の人柄を知っているからだ。
(陛下は約束を反故にするお方ではない)
義理堅いと言うのもあるが、それ以上に約束を破った悪影響を恐れている節がある。
「臆病者」呼ばわりされている理由のひとつだ。
(それでもあえて我ら三名を召集するとなると、よほどの事態が起こっているのではないか)
とオルドヴィーンは考えたのである。
魔物が活発化したり、大群が出現して現八神輝たちに蹴散らされたのは彼も耳にしていた。
彼らだけでは足りないと判断されたのは相当だろう。
(ほとんどのことはバルトロメウスひとりで片付けられそうなものだがな)
などと思うのは彼ばかりではあるまい。
特にバルトロメウスの師匠であるユルゲンはそのはずだが、彼はすでに召集に応じてアカデミーとやらのトップになるという。
彼がすぐに帝都に行かなかったのは、何が起こっているのか推測するためだ。
わざとのんびり帝都までを見て回り、土地の情報を集めていく。
平民出身とは言え八神輝になった男だけはあり、八神輝の特権感覚はまだ残っていた。
(どうやら、アカデミーとやらのために我らが呼ばれるのか。しかし、分からん。防衛はバルトロメウスひとりで事足りる。うちひとりを打撃役として配置し、残りのメンバーを教育係に回せばよさそうなのだが……それでは不足なのか?)
オルトヴィーンは帝都に向かって歩きながら首をかしげる。
いくら彼が元八神輝であり、情報収集をていねいにやったと言ってもさすがにインヴァズィオーンまでは思い至らなかった。
当代皇帝の真意は読み切れず、本人に聞くしかないという結論が出る。
城にやってきたオルドヴィーンだったが、事前予約なしにいきなり皇帝に謁見するのはいくら何でも無理だった。
代わりにユルゲンが呼ばれる。
「ずいぶんとまあ重役出勤だな、オルドヴィーン」
「来ただけ感謝してもらいたいものだな、ユルゲン」
皮肉たっぷりなユルゲンの発言に、オルドヴィーンは尊大な言葉を返し、茶色の瞳を向けた。
相手が元同僚となると遠慮のない言い方になるらしい。
「最後に来た奴が言うことじゃない」
ユルゲンの横からのっそりと現れたゼルギウスが姿を見せる。
「ゼルギウス! 貴様も来たのか!」
オルドヴィーンは青い瞳を丸くした。
ユルゲン、ゼルギウスも召集されたとは聞いていたが、ゼルギウスが応じるとは彼は思っていなかったのである。
「皇帝陛下が我らを呼ぶ。つまり帝国の危機。我は思う」
ゼルギウスの回答にユルゲンがうなずく。
「まだその段階ではないがな。将来は分からんと思っていてくれ」
「……そんなに悪いのか」
オルドヴィーンは絶句してしまう。
帝国の危機が来るかもしれないと豪胆なユルゲン、自由なゼルギウスが考えているということは相当に異常だ。
「バルトロメウスでは防げないのか?」
彼はついにある男の名前を出す。
彼らを破り引退を考えさせた男の名前を。
ユルゲンは肩をすくめる。
「奴ならきっと防げるだろう。しかし、帝国が今の形で残っているとはかぎらん」
「バルトロメウスはたぶん勝つ。でも国が残らないのは負け。平和が崩壊するのも負け」
とゼルギウスが言い、オルドヴィーンは納得する。
「そうだな。バルトロメウスひとりが無事でもそれは惨敗と同じだ」
うなずいてから彼はたずねた。
「そんな展開を貴様らが危惧しているとは何があった? もしくは何を予想している?」
ここでオルドヴィーンはインヴァズィオーンの再来を予想する意見を知らされる。
「インヴァズィオーン……魔界の元帥……陛下が我らを召集なさったのも道理だ……」
彼は頭を抱えながらうめく。
その程度ですませるあたり、この男もまた元八神輝の一角だと言える。




