89.聖国の現状
ビゴット聖国はクライン連邦の北東、帝国から見て北西に位置している。
太古の聖者ビゴットの教えを国教とする宗教国家であり、王侯貴族よりも神殿のほうが影響力を持っていた。
ただし、全ての神殿を束ねる最高神殿長と国家のトップである国王は、形式的には対等である。
その両者は今、聖国の首都「聖都リーベ」にある最高神殿にて会談をおこなっていた。
国王のほうが神殿に出向かなければならないという時点で、実際どちらの立場のほうが上なのかと歴然としている。
それでも当代最高神殿長アリョーシャは、国王に対して礼儀正しい態度を崩さない。
「わざわざおみ足をここまで運んでくださり、恐縮にございます。国王陛下」
「いや、我らが神に敬意を表するのは当然のことだよ、最高神殿長猊下」
国王フォルカー二世のほうは渋面で答える。
アリョーシャは今年で五十歳で、国王よりも二十歳ほど年長であった。
最高神殿長の証である金色の長い帽子を被り、金色の法衣を着ているせいか、しわの多い顔も茶色の瞳も威厳があるように映る。
一方の国王はまだまだ若く、血気盛んな年齢だった。
金色の髪と青い瞳は気品にあふれているが、注意深く観察する者がいればどこか危ういものを感じるだろう。
彼は何もかも気に入らなかった。
国王たる者がわざわざ出向かなければならないというのは屈辱だし、それでもうわべの礼儀は守るアリョーシャはなんて嫌な年寄りだと思う。
そんな彼に対して、礼儀を守らなければならないのもうんざりする。
(今に見ていろよ。いつか、絶対王権を手にしてやる)
とひそかに思っていた。
彼が憧れているのは西の王国、南東の帝国のように国家のトップが絶対的な権力を持つ国家である。
馬鹿正直にやろうとすれば当然神殿勢力は猛反発し、彼は国王の座を追われてしまうだろう。
聖国の人口は約九百万のうち九割が聖者ビゴットの教えを信じると言われていた。
つまり、国王と神殿勢力が対立した場合、一対九の戦いになる。
国王側に勝ち目など存在していなかった。
だからこそフォルカー二世は鬱屈しながら、現状に耐えるしかないのである。
「本日の話は他でもありません、最近われらが故国が魔物に脅かされている件でございます」
アリョーシャの言葉に彼は「そうだろうな」と思った。
神殿勢力のトップがわざわざ彼を呼び寄せて話すほど大事なことなど、目下のところ他に考えられない。
聖国は初動の対応が遅れたせいで、ふたつの町と四つの村を失っている。
さらに国王が有する騎士団と、神殿が誇る神殿騎士団が手柄争いを始めて険悪な空気になっていた。
そのせいでさらに町ひとつ、村をふたつ失うという目も当てられない事態になってきている。
この状況になってようやく最高神殿長と国王が話し合いを始めるという、帝国や連邦ではありえないような状況だった。
「このままでは厄介なことになる。他国に応援を求めるしかないと思うがいかがかな?」
フォルカー二世が言うと、アリョーシャは哀れむような笑みを浮かべる。
「そのようなことができるはずがないでしょう。われらが聖国の聖なる地に、異国の蛮人どもが踏み入れるなんて。国王陛下はお疲れのようですな」
国王は屈辱と怒りで身を震わせた。
アリョーシャは礼儀正しいが、一事が万事このような調子である。
彼は聖国こそ至上であり、それ以外の国は劣った汚らわしい国だと信じて疑わない。
そして神殿関係者こそ神に選ばれた上位存在、国王さえ劣った存在にすぎないと思っている。
そしてこれらは彼のみならず、多くの神殿関係者に共通する考えだ。
信者抜きにしてこの国は成り立たない状況が長く続いた結果、傲慢で歪んだ考えの持ち主が増えたのである。
フォルカー二世はこうなるまで手を打とうとしなかった、自分の父祖たちを憎み心の中で毎日のように罵倒していた。
祖先たちが先延ばしにしてきた結果、積もり積もった負債を彼が被らなければいけないからである。
「ではどうすればよい? 魔物の一体一体は大した強さではないが、数の暴力が脅威だ」
国王の言葉をアリョーシャは礼儀正しく冷笑した。
「神のご加護のない、国王陛下の騎士団はそうでしょう。しかし、神のご加護を受けた、栄光ある神殿騎士団は違います」
「何を言うか……」
フォルカー二世は爆発しそうになるのをかろうじてこらえる。
神殿騎士団と通常の騎士団と強さはほとんど変わらない。
強いて違いを探すとすれば、神殿騎士団は回復魔術の使い手が多いことくらいだ。
通常の騎士団が勝てない相手に神殿騎士団が勝てる道理はないのだが、神殿勢力にはそれが理解できない。
(思い知らせてやるしかないか)
とフォルカー二世は思う。
神殿騎士団とて大切な戦力であり、治安維持に必要な存在と考えていたからこそ、素知らぬ顔をしてきた。
だが、これ以上は放置できない。
現実を教えて鼻っ柱をへし折っておく必要を感じる。
(そうすれば少しは大人しくなるだろう)
さんざん苦い思いをさせられてきた国王は、「神殿勢力が御しやすくなるかもしれない」という甘い幻想は抱かなかった。
「では、神のご加護を受けた、栄光ある力を見せていただけないか」
フォルカー二世がそう言うと、アリョーシャは怪訝そうに茶色の瞳を彼に向ける。
国王がこのようにへりくだった発言をしてきた理由を探ろうとしたのだ。
しかし、国王もだてに国王ではなく、感情を消して相手にヒントを与えるようなまねはしない。
「ふむ……国王陛下がお望みでしたら、差し出がましいようですが、神殿の力をお見せいたしましょう」
アリョーシャは国王から何も読みとれなかったのを、裏がない証だと考えた。
そうだとすれば、神殿勢力に頭を下げて泣きついてきたのだとしか思えない。
一国の国王が何とかしてくれと神殿に頼ってくるというのは、彼にとって最高に気分が良かった。
だから快く引き受け、たっぷりと恩を売り、これからずっと頭が上がらない状態にしてやろうと決める。
彼はあくまでも神殿勢力だから国家権力に興味はないのだが、神の栄光が国家権力に勝ると本気で考えていた。
その理想への一歩を踏み出せるとなれば、心が躍るというものである。
(悪く思うな、陛下よ。人の身で神の栄光に勝てるはずがないのだ)
アリョーシャはフォルカー二世を馬鹿にしたりはしなかった。
神の栄光は全てに勝ると信じているだけだからである。




