74.師弟
「奥さまがた、準備が整いました」
執事のひとりが部屋に来て、アルベルタたちに声をかける。
彼女たちはバルとミーナを向いて笑顔を見せた。
「お待たせいたしました。準備ができたようですので、お召し替えをお願いいたします。今案内いたしますね」
アルベルタはバルを、ゾーニャはミーナをそれぞれ別の空き部屋へと案内する。
そこにはきれいにたたまれた服と、執事とメイドが二名ずつ待機していた。
着替えを手伝うためのメンバーなのは確認するまでもない。
帝国貴族にとって服とは着せてもらうものだからだ。
服を着替えた後、バルが外に出ると廊下で待っていたユルゲンと顔を合わせる。
「師匠、先に行かれなかったのですか?」
宴の主賓が今ここにいてどうするのだろうと彼は思ったのだが、ユルゲンは何食わぬ顔で言い放つ。
「一家しかいない内輪の会だからよかろう」
「そう言えばこういう人だった」
バルは苦笑する。
彼らの近くにいる執事は無表情のまま、何も言わずに待機していた。
彼らもユルゲンの性格はよく知っていて、あきらめているのだろう。
バルが廊下に出て五分ほど経過してから美しいレース付きの緑のドレスをまとったミーナが出てくる。
髪は後ろで結い上げられていて、首には立派なダイヤモンドが輝いていた。
彼女はバルの姿を見ると、大急ぎで頭を下げる。
「お待たせして申し訳ございません、バル様」
ここでユルゲンの存在に気づいていながら名前を出さないあたりが、実にミーナらしいと言えた。
「おいミーナ、私の師匠だぞ」
バルは注意したが、当のユルゲンは愉快そうに笑い声を立てる。
「よいよい。断罪の女神はバルトロメウスにしか頭を下げぬという噂は事実なのだからな。皇帝陛下にすら意に介さぬ者が、儂くらい何とも思わぬのは当然だ」
喜んでさえいそうな師匠を見て、バルは頭を抱えたくなった。
「だから礼儀を守ってほしかったのだ」
彼は師匠に対する無礼を批判したのではなく、師匠の性格を知っているからこそ注意をうながしたのである。
事情がよく分かっていないミーナに、彼は説明してやった。
「この人も大概礼儀知らずの問題児なんだ。ある意味、お前といい勝負かもな」
「師匠を捕まえて問題児とは何事だ、バルトロメウスよ」
「事実を指摘されたからって噛みつくの止めてくださいよ」
不満な顔でとがめてきたユルゲンに対して、バルは呆れた顔で言い返す。
(これがバルトロメウス様の師匠……?)
ミーナは不思議なものを見る目でユルゲンをながめていた。
このようなバルの姿は新鮮で、見ることができてとてもうれしいのだが、どことなく釈然としないものも感じる。
「おふたりとも、行かなくてもいいのですか?」
ミーナは態度には出さず、ふたりのじゃれあいに割って入った。
控えていた執事たちは安心し、バルとユルゲンのふたりはしまったという表情を一瞬だけ浮かべる。
「では行こうか、バルトロメウスよ」
「ええ、師匠」
ふたりはいかにもわざとらしい会話をしたものの、誰も指摘は入れなかった。
「こちらにございます」
にこやかに声をかける執事の姿に、ミーナはプロ根性というものを見た気がする。
もっともこれくらいでなければ、帝国貴族の執事など務まるわけがない。
廊下から宴の会場まではたっぷり五分以上歩かされる。
「相変わらずの広さだな」
バルは小声で言う。
その声色にはなつかしさがたっぷりとこもっていた。




