57.夕食を食べに行こう
世界樹の頂上でゆったりとした時間を過ごしていると、やがて日が西へと移動する。
「そろそろ夕飯を食うか」
「はい。何か希望はありますか?」
バルの言葉にすかさずミーナが反応した。
「……ミーナは何が食べたい?」
彼の問いに彼女は微笑みながら答える。
「今日の昼に堪能しましたので、夕飯はバル様のお好きなものをどうぞ」
「そうか」
彼は頭をかく。
確かに今日の昼はエルフ料理だったのだから、彼女の好みに合っていた可能性は高い。
「たまには肉を豪快に食いに行こうか。食肉用に育てられた牛や羊の肉は本当に美味いんだ。ミーナは脂身は苦手だったな」
「はい。赤身は美味しいと思うのですけど、脂身部分は美味しいとは思えなくて……」
バルの確認にミーナは答える。
「私もだ。若い頃は脂身もよかったんだが、すっかり苦手になってしまった」
彼はみぞおちあたりを右手で触りながら苦笑した。
「どこかに心当たりはおありですか?」
ミーナが聞いたのは移動には自分の転移魔術を使うつもりだからである。
「ベアーデ皇女のところだ」
「……えっ?」
虚を突かれたように目を丸くした彼女に対して、バルは人の悪い笑顔を向けた。
それに気づいたミーナはひかえめに抗議する。
「バル様」
「ははは。すまん。だが、あの方は赤身肉を好み、よく食卓には赤身肉がのぼるし私も何度か招待されたことがある。お前を連れて行けばきっとお喜びになるだろう」
バルは笑いながら謝り、そして説明をおこなう。
「いえ、今から訪れても大丈夫なのですか?」
ミーナの疑問はもっともなものだ。
「ああ。以前に似たようなことをやった時、皇族たちのワガママに比べれば大したことじゃないと殿下の専属シェフに言われたな」
ゆえに彼はすぐに答えたのだが、彼女ですらあっけにとられるような内容である。
皇女の食卓に不意に現れて食事を共にするなど、彼女からしても非常識だった。
「皇族の権力は強いからな。本人が喜んでいれば大体まかり通る」
「……奇妙なところで皇族と八神輝の権威を利用なさっているのですね」
ミーナは脱力しながら言う。
他国であればベアーデとバルは男女の仲ではないのかといううわさが飛び交うはずだ。
何の情報も出回らないところが帝国らしいと言えば帝国らしいのだが……と考えたところで彼女は思考を中断する。
「ではベアーデ殿下の離宮へまいればよいのですね?」
「ああ。入り口で頼む」
バルの注文にミーナはうなずき、転移魔術を発動させた。
「緑の離宮」はその名の通り、樹木や草花が植えられていて緑豊かである。
皇族の住まいでなかったらミーナももう少し足を運ぶ気になるかもしれないほどに。
入り口に立っている女性騎士はバルとミーナが転移してきたのを見て、敬礼を送ってくる。
皇族の住まいのすぐ近くに転移してきても警戒されず、敬礼されるのが八神輝という存在だ。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
バルから見て右側に立つ金髪の長身のきりっとした顔だちの女性が、赤い目を向けながら訪ねてくる。
「前々に殿下から夕食の誘いをいただいていてね。急ですまないけど、今日ご一緒してもいいか取り次いでもらえないだろうか?」
言ったのが彼でなければ女性騎士はためらっていただろう。
ベアーデと彼の仲が良く、よく食事に誘っていることは護衛騎士たちの間でも周知だからこそ疑われなかった。
「かしこまりました。殿下にうかがってまいります。失礼ですがしばらくお待ちください」
騎士のひとりが早歩きで奥へと姿を消す。
下の者を待たせるのは上の者の権威のうちと考える大陸の風潮は、この帝国にも存在している。
だから取り次ぎ係も急いではいけないのだ。
もしもバルではなく普通の貴族が訪問者であれば騎士はゆっくりと歩いていただろう。
早歩きになっているところが八神輝という立場を表している。
騎士が戻ってくる時はゆっくりだったものの、すぐ後ろにベアーデが三人の侍女を連れているのが理由だ。
「珍しいわね、バルにヴィルヘミーナ。でもいいわ。歓迎します!」
と皇女は笑顔で彼らを迎え入れる。
相変わらずフリーダムな少女であった。
周囲の苦労が忍ばれるが、少なくとも今日この場に限って言えばバルたちは彼女と同類だろう。
「肉を食べたくてやってきました。赤身肉をがっつり食べたいのです」
皇女に向かって要求するとは何と恐れ多い不逞な輩だと、本来ならば周囲が激怒するところだ。
しかし、言ったのはよりにもよってバルである。
「かまわないわよ。ちょうど今日は牛肉のヒレステーキだったもの。ふたりの分をいっぱい用意させましょう。あ、ヴィルヘミーナはどれくらい食べる?
」
ベアーデがバルに聞かないのは、彼の食事量を彼女も彼女のシェフも把握しているからだ。
「そうですね。肉は二百グラムくらい。新鮮な野菜もいただければうれしいですが」
ミーナは堂々と注文をつける。
皇帝にも敬意を払わなかったような性格なのだから、今さら皇女相手にかしこまるはずがない。
「分かったわ。聞いていたわね、リリ?」
皇女は笑顔で承知した後、侍女のひとりの名前を呼ぶ。
皇女が自分でシェフに注文を言いに行くわけがない。
実際に伝えるのは侍女の仕事である。
「かしこまりました」
侍女は早歩きで行ってしまうと、彼女はバルたちに向きなおった。
「さあ、料理の準備ができるまでお茶でもして待っていましょう。ヴィルヘミーナにはお母様も紹介しなければね」
そんなものいらないというのがミーナの本音ではあるが、黙ってうなずく。




