52.シュタルク・オルドヌング
「ではエルフの料理はいかがですか?」
ミーナに言われてバルは一瞬目をみはったものの、すぐにうなずく。
「いいな。いつもは私に合わせたものを作ってくれているんだろうからね」
彼女の気遣いが分からない彼ではない。
「たまにはエルフ料理をごちそうになろう。ただ、準備や予約はしなくてもいいのか?」
「ええ。私が知っている店であれば、今から急に訪れても問題なくもてなしてもらえるでしょう」
彼の懸念に対して彼女は心配いらないと返す。
だが、バルには別の不安が首をもたげる。
「今日はのんびりしたいから、あんまり格式ばったところはな……」
彼がもてなしという言葉をどう受け取ったのかを察したミーナは、若干素早く訂正した。
「もてなしと言っても家庭料理の範疇です。私の知り合いがやっているところですから」
「急に行っても大丈夫なら、ミーナとはかなり親しいのか。それなら行ってみようか。魔界扉の件もあるしな」
彼女の言葉を聞いてバルは乗り気になる。
魔界扉がもしも開くような事態になれば、エルフたちの協力は必要だろう。
その前に知り合いになっておくというのは悪い選択ではない。
(ミーナは気を利かせてくれたのかもしれないな)
と彼は感じる。
分かりにくいがミーナはけっこう気が利くほうだし、じつはそこまで礼儀知らずでもない。
帝国内で誤解されているのは、エルフと人系種族の価値観の違いが主な原因だ。
彼女が思念通話でまず連絡をとり、許可をとってから彼に告げる。
「問題ないそうです。まいりましょう」
「えっ? 今から?」
さすがのバルも目を丸くした。
「いきなり行っていいのか? 私は料理に詳しくないが、食材の調達や準備だってあるだろうに」
「わざわざ仕入れる必要がある食材は一切使っていませんから。入れる材料の量を増やすだけという感覚でしょう」
彼の問いにミーナはくすりと笑いながら答える。
そういうものなのかと彼は首をひねったが、エルフ料理がどういうものなのかそもそも知らないのだ。
ミーナとエルフたちがかまわないと言うのであれば従うべきだろう。
「それならいいか。頼むよ」
バルの言葉に彼女は小さくうなずき、転移魔術を発動させる。
自分と別の誰かを同時に転移させるという高等技術を呪文の詠唱なしで行うという超絶高等技を使ったが、彼は今さら驚きもしなかった。
転移先は四方を緑豊かな高木に囲まれた平地に作られたエルフの里の入り口である。
木の門には「シュタルク・オルドヌング」とエルフ語で簡素に書かれていて、門の左右には見張りの若い男エルフが二名立っていた。
剣を腰に帯びた彼らは転移を感じとっていたらしく、殺意のこもった視線を浴びせてきた。
しかし、ミーナの姿を見るとたちまち警戒を解く。
「これはヴィルへミーナ様。お帰りなさいませ」
召使が王侯に取るようなうやうやしい態度だった。
「役目、大義である。客を連れ来るとは連絡済みだ。通してもらうぞ」
「はっ」
ミーナの尊大な態度を当然のように受け入れ、彼らは深々と頭を下げる。
「どっちも相当な使い手だな。後、高台にも見張りが三名ほどいるのか」
門をくぐりながら小声でバルが言うと、彼女はにこりとした。
「さすがバル様。見抜かれましたね」
どうせ彼は欺けないと思っていたため、彼女はいちいち言わなかったらしい。
エルフのと言うよりは里であろう。
まっすぐに伸びた平らな道を挟むように、木で作られたこじんまりとした家が左右に並んでいる。
外に出ているエルフは緑を基調にしたゆったりとした服を着ていて、男女での差は見られない。
彼らはみなバルを見て怪訝そうな顔をし、ミーナを見て敬意と信頼がこもったまなざしに変わる。
彼女が顔を知られていて、尊敬されていることがバルにもよく理解できた。
「ここは国と言うよりは町のようだが」
彼の言葉をミーナは肯定する。
「はい。人間の言葉で言うと国の首都に当たるところです」
「なるほど。そうなのか」
彼女の説明は分かりやすく助かった。
「ああ、ここです」
ミーナはしばらく歩いた後、とある民家の前で立ち止まる。
「ここがそうなのか」
他の家と特に変わった様子はない。
家庭料理をということだったが、まさか料理屋ですらないのだろうか。
彼の疑問はほどなく解消される。
ミーナが軽やかにドアを叩くと、彼女と外見上は同年代の金髪青眼の女性が顔を出す。
「あら、ヴィルへミーナ様。いらっしゃいませ」
彼女は笑顔で言ってから瞳をバルに向ける。
「こちらのお方がバルトロメウス様なのですね。ようこそわが家へ」
彼女は両拳を豊かな胸の前で合わせて、こつんと鳴らす。
エルフが目上の者に対して敬意を表すあいさつだ。
バルは右手をまっすぐ伸ばし、顔の位置から数センチ上にあげてすぐ下ろす。
エルフの返礼でああり、彼が知っていることに女性は感心する。
「見事なあいさつでございます。申し遅れました。私はエラと申します。私の母がヴィルへミーナ様の乳母をやっていた縁で、親しくしていただいております」
「へえ、つまり乳兄弟ならぬ乳姉妹なのか」
彼は目を丸くした。
帝国にはあるのだが、エルフにも同じ制度があるとは新鮮である。
「御意。ささ、どうぞ。何もないところですが」
エラに勧められてバルは中に入るとまたしても驚かされた。
入ってすぐ左手側に大きな茶色のソファーと丸い木のテーブルあり、右側がキッチンになっていたのである。
丸い大きな窓が左右の両側にあってそこから光が差し込んでいた。
「人間の家とは構造がやや違っているでしょうが、こちらがエルフでは一般的なのです」
ミーナが解説すると、ソファーに座ってくつろぐように勧められる。
エラが樫の木のトレーに載せてカップを持ってきた。
「ルイボスティーです。どうぞ」
「ありがとう」
バルはまず香りを楽しんでからひと口つける。
馴染みのある風味だったが、どこか甘さがあるように感じられた。
「料理はもうできあがりますが、少しお待ちください。今、家族がまいりますから」
エラはそう言うと奥の引き戸を開ける。
「彼女は両親、夫とふたりの子どもがいるのですよ」
ミーナの言葉にバルは「量を増やすだけ」という意味を理解し、同時に申し訳なくなった。
「まいったな。そうと知っていれば遠慮したのだが」
「大丈夫です」
彼の心配を彼女が否定する。
「バル様をお連れしなかったと後で知られれば、エラにもエラの家族にも大いに私が責められるでしょう」
「そういうタイプのエルフたちなのか」
バルは何となく予想できたため、もう気にしないことにした。
ここまでエルフは彼に対して高圧的な態度をとっていない。
おそらくはミーナこそが原因のはずだ。
エラの家族に責められたところで気に病む彼女だとは思えないが、彼女の顔を立てておこうと思う。




