48.遭遇戦
バルは気まぐれに夜遅く、帝国全土を見回っている。
通常の移動方法ではどれだけ時間がかかってしまうか分からないほど広大な面積を誇るが、彼がその気になりさえすれば大したことない。
絶影と呼ばれる移動術を使えば、一秒で帝国全土を行き来できる。
異常がないか丹念に確認しようとすれば必要時間が五秒ほど増えるのだが、それでも非常識な速度に変わりはないだろう。
そんな彼がふと違和感を覚えて立ち止まったのは、帝国南東にある何もない荒地だった。
「誰だ?」
「ほう? 俺様の存在に気付くとは、地上界の下等生物にしてはなかなか優れた知覚の持ち主ではないか」
バルの問いに嘲るように応じて姿を見せたのは、闇を吸い込むような漆黒の皮膚を持ち純白の角を三本はやした異形である。
皮膚と同じ色の八枚の翼は禍々しく広がっていて、目は血よりもおぞましい赤色をしていた。
彼より二十センチほど高いからおそらく身長は百十九センチだろう。
吹雪を思わせる冷たく禍々しい魔力を放っているのは、どう見ても尋常な存在ではない。
「魔界の民か?」
「いかにも」
バルの言葉に異形はあっさりと認める。
「下等生物にしては多少はマシな勘をしておるな。俺様が特別に慈悲を与えてやろう。名乗るがよい」
「いや、名乗るほどの者ではないな」
彼が答えると、異形はピクリとたくましい肩を動かす。
「軟弱な地上にセコセコと生きる下等生物の分際で、俺様に盾突こうとするとは、やはり愚鈍で低能なのだな」
異形は笑う。
小動物が池に落ちておぼれているのを見て愉悦にひたっているような、残虐な笑みだった。
彼から見てバルはマントとフードと仮面をかぶった軟弱な生き物に過ぎない。
「まずはそちらが名乗るべきではないか?」
バルは冷静に問いかけると、異形は腹を抱えて笑い出す。
「ははははは。愚鈍で低能な下等生物の流儀という奴か? 魔界では殺される者だけが名乗るのだぞ。まあよいわ、俺様を笑わせた褒美をやらなければならないからな。俺様はゲヴァルトゥ。魔界の木っ端どもを統べる元帥よ。どうした? 絶望に震えて命乞いをしてよいのだぞ?」
「……魔界の元帥。かつて地上に侵攻してきた首魁と同格か」
ゲヴァルドゥと名乗った異形は、彼の言葉にうなずいて見せる。
「ああ。そうか、地上界と魔界では時の流れが違うのだったな。……そのことを思い出せてくれた褒美をくれてやろう。かつてこの世界へ攻め込んだ元帥とその配下の軍団は、最弱。我ら九元帥の中で最弱の元帥と最弱の軍団だったというわけだ」
そこまで言ったところで嘲笑を深めた。
「理解できるか、下等生物よ? 貴様らが九死に一生を得た相手は、我らの中ではほんの下っ端に過ぎなかったということを」
「九元帥か……ここでお前を始末すれば七まで減らせるわけだな」
バルはあくまでも冷静かつ前向きに考えている。
彼のそんな態度がゲヴァルドゥの癇に障った。
「下等生物如きが俺様を倒す? 百万の軍勢がいるわけでも、天界の加護兵器を持っているわけでもない、一匹の虫けら風情がか? 恐怖と絶望でおかしくなったのなら許してやるぞ?」
それでも怒り出さなかったのは、バルが自分との力の差を理解できていないからだと決めつけたからである。
ゲヴァルトゥにとって地上界の生物は全て取るに足らない雑魚で、警戒する必要など感じていなかった。
だからこそ単独でここにいるのである。
「せっかくだから聞いておきたいな。元帥が倒れたら、お前の配下の軍団とやらはどうなる?」
「……冥途の土産にしたいのか? よいだろう。その場合は誰がどの軍団に再編入するかということになる。すぐには決まらんだろうな。事実、グレゴーの奴が倒れた時も時間はかかった」
バルの問いに律儀に答えてくれた。
グレゴーというのがおそらく大昔に攻めてきた元帥なのだろうと彼は思う。
「つまりお前を倒せば時間を稼げるわけだ」
バルの言葉を聞いたゲヴァルトゥは肩を震わせる。
「くくくく……いい加減にしろっ!! お前如きっ!! 下等生物がっ!! このゲヴァルトゥに!! 勝てると思うかっ!!!」
彼は笑ったかと思うといきなりすさまじい怒気を発した。
「思うよ」
バルが気負わずに言えば、ゲヴァルトゥの全身が赤くなる。
「下等生物を絶望させる使者として生かしておこうと思ったが止めだ!! 殺してやろう!! 無残に残酷に、絶望的に死ね!!!」
わめく魔界の元帥に向かってバルは左手から千を超す光の弾を放つ。
通常であれば都市のひとつくらい半壊させるほどの破壊力だったのだが、ゲヴァルトゥは左手だけで止めてしまう。
「ほう? 雷程度の速さは出せるのか? 下等生物とは思えんな」
バルの力の一端を触れて冷静さを取り戻したらしい。
「だが、雷速如き、元帥全員が出せるわ!!」
ゲヴァルトゥは言葉通りの速さで距離を詰め、両手でパンチの雨を降らせる。
しかし、彼の予想に反して全てが空を切った。
「何?」
驚く魔界の元帥の背後から数千の光弾が浴びせられる。
「このっ」
全身に走る衝撃がゲヴァルトゥを憤激させた。
下等生物と決めつけた相手にあっさり背後を取られて攻撃されるのは、屈辱以外の何物でもない。
「失せろ虫けら!!!」
怒り狂ったゲヴァルトゥは口を開き青く輝く巨大な光球を撃ってくる。
(おいおい、避けたらこれ街五つ分くらいは焦土になりそうじゃないか)
バルは敵の攻撃の威力を予想し、迎撃を選ぶ。
あたりは荒地だと言っても、彼の背の向こうには都市があるのだ。
「光皇覇帝」
彼の両手からまぶしい光のビームが放たれ、ゲヴァルトゥの光球を大いに削る。
完全には相殺できずに一部がバルの体に直撃した。
「意外とやるな」
ゲヴァルトゥは己の大技の威力がほとんど消されたことに、またしても冷静さを取り戻す。
一方のバルは仮面が壊れ、フードが消し飛んだことがショックだった。
「私のフードと仮面が……」
「ふっ? フードと仮面が実は天界級の装備だったわけか? それが壊されては絶望するのは当然だな」
彼の反応を見てゲヴァルトゥは勝ち誇る。
バルが自分と戦えたのは装備による強化のおかげだと勘違いしたのだ。
「また作ってもらうしかないか……」
「ふ? まただと? 貴様に明日はない。ここで死ねっ!」
ゲヴァルトゥは己の勝利を確信し、距離を詰める。
直後彼の左半身が消し飛んでいた。
「…………何、だとっ?」
生命力の強い魔界の民だからか、即死せずに自身に何が起こったのか考えることができる。
「うーん、やっぱりリミッターがないと微調整が難しいな」
「り、リミッター……?」
困った顔で言い放ったバルの言葉を、ゲパルトゥは聞き返す。
リミッターとは力に制限をかけるための装置ではなかったか。
「魔界の元帥はリミッターありの私と互角くらいか。いい情報をもらった」
バルは淡々と言いながらゲヴァルトゥにとどめを刺す。




