45.すごい誤解
「バルトロメウス様って、あのバルトロメウス様ですかっ?」
「本人だ」
絶叫するように質問してきた狐人の族の女性に、バルは冷静に答える。
光の戦神という大層な異名のせいだと思うが、いい加減慣れてしまっていた。
「デボラ、お茶をお願いしますわね」
シドーニエが頼むとデボラと呼ばれた女性はようやく我に返る。
「は、はい。ただいま。奥様、奥様!」
そして小走りに廊下を駆けていく。
「……いつもああなのか?」
バルがシドーニエにたずねると、彼女は恥ずかしそうにうなずいた。
「ええ。いつもにぎやかなのですよ。母の幼友達で私にもよくしてくれます」
「そうか」
彼女の声には同時にデボラへの愛情を感じとることができる。
「君はその気になればもう少し贅沢できるだろうな。私に言う資格はないかもしれないが」
バルが室内を見回しながらの発言に、シドーニエはにこりとして答えた。
「あなただけには言われたくなくてよ、バルトロメウス」
「だろうなあ」
彼は予期していたため、黙って肩をすくめる。
彼は庶民出身だが、彼女は貴族の生まれのはずだという理屈は言わないほうが互いのためだろう。
ほどなくして奥からドアが開いて、シドーニエとよく似た質素な紺色の麻服を着た中年の女性が姿を見せた。
「まさかシドーニエが殿方を家まで連れて来る日が、私が生きているうちにくるだなんて……」
彼女は感極まって紅の目を潤ませている。
「ものすごい誤解をされているようだな。訂正したほうがいいんじゃないのか?」
バルはたまらず小声でシドーニエに言う。
「今は何を言っても無駄ですわ。落ち着いてからにしなくては」
というのが彼女の回答だった。
「君が言うならそうなんだろうな」
彼は嘆息する。
「ようこそいらっしゃいました、私はシドーニエの母のシンディと申します。歓迎しますわ」
シンディはそう言ってバルを迎え入れてくれて、案内してくれた。
彼が通されたのはダイニングである。
貴族の豪邸や一等エリアにある大きな家でもない限り、応接間というものがないのは珍しくない。
上座にバルが座ったところでデボラが白い上等なカップに入ったお茶を運んでくる。
(カップはいいもの使っているんだな)
ちぐはぐな気がしたものの、バルは招かれざる客という立場を忘れていなかったため、黙っていた。
お茶以外にも銀色の皿に乗ったスコーンが彼の前に置かれる。
「よければ召し上がれ。私の手製で申し訳ないのですが」
シンディはそう言ってバルを驚かせた。
(本当に庶民的だな。下級貴族は庶民と大差ないと聞いてはいたが)
この母子が日陰の道を歩まされていた理由のひとつとして、シンディの実家が貧乏な男爵家だったからだというのがある。
八神輝であれば豊かな領地を治める上級貴族に匹敵する報酬を得られるはずだが、自分たちの贅沢のために使う気がないらしい。
バルとシドーニエは似た者同士だと言えるだろう。
彼が男として初めて家の中に入れてもらえたのは、おそらく無関係ではあるまい。
そのシドーニエは、バルがお茶にもスコーンにも手を出そうとしない理由を察し、母とデボラに頼む。
「申し訳ないですけど、退出してくださらない? バルトロメウスはシャイだからふたりがいては固まったままだわ」
彼が苦笑せざるを得ない言い回しを使ったのは、彼女のいたずら心だろう。
娘の発言をどのように解釈したのか、シンディは目を丸くして「まあ」と声をあげる。
「そうでしたのね。お邪魔虫は退散しなきゃ、ねえデボラ?」
「さようにございます、奥さま」
シンディとデボラはやけにうれしそうにニヤニヤしながら、シドーニエとバルを見てそそくさと出ていく。
「若い者同士、ごゆっくり」
彼女たちが出て行ってから、バルはため息をついて口を開いた。
「言ったら悪いかもしれないが、君と母上の性格はあまり似ていないね」
「おっしゃらないでください。後生ですから」
シドーニエは珍しく懇願するように頭を下げる。
「承知した」
バルはこれ以上言うのは止めようと思った。
シドーニエが魔術を展開したところで彼は仮面を取り、スコーンを口に運ぶ。
「……美味い」
「ありがとうございます。後で母に伝えておきますね」
彼女はうれしそうに口元をほころばせる。
「……君は料理できるのだったかな」
「たぶん人並みくらいには」
シドーニエはさほど感情を込めずに答えた。
自分の料理の腕がどれほどなのか、真面目に考えたことがなさそうである。
「料理できる人がうらやましいな」
とバルがぽつりと言うと、彼女は怪訝そうな顔になった。
「ヴィルへミーナに教わればよろしいのではなくて? 彼女ならきっと喜んで教えてくれますわ」
「うーん……」
シドーニエがそう言う理由は彼も分かるのだが、何となく気乗りがしない。
彼の様子を見た彼女は不思議そうな顔をしていたものの、重ねてすすめたりはしなかった。
聞いたのは別のことである。
「いい加減、本題に入っていただいてもよろしいでしょうか? まさか私の顔を見るためにいらっしゃったわけではないでしょう?」
「そりゃそうだ」
バルは認めてお茶をひと口飲んだ。




