43.八神輝シドーニエ
シドーニエはミーナと同じく女性の八神輝だ。
ただし、彼女はミーナとは違い帝国で生まれ育った生粋の帝国人である。
それも父は伯爵という高貴な身分だ。
そんな彼女が戦いに身を投じた理由は妾腹だったからである。
父は養育費をケチるような男ではなかったが、正妻に目の敵にされ、父の目を盗んだいやがらせを続けられた。
使用人たちは正妻を恐れ見て見ぬふりを決め込み、彼女が小さい時は母子ともども肩身の狭い日々を送るしかなかったのである。
シドーニエは自分の居場所を作るため、母を守るために戦いの道を選び、才能を開花させて八神輝の一員となった。
正妻がどれだけ彼女を憎もうとも、帝国の最大戦力とその親族を粗略に扱うことなど許されない。
かくして彼女は母を守れる立場を手に入れたのだ。
彼女は母譲りの茶髪と橙色の瞳と美貌を持ち、伯爵の娘という血統と八神輝という立場から、貴族の男性たちから求婚されているが、今のところ応じるつもりはない。
父と正妻と母のことを思えば、結婚する気になれるはずもなかった。
彼女は主に帝国の当方に滞在していて、外敵の監視や治安の維持を担っている。
今日は太陽の光と潮風を楽しみながら巡回していた。
「んー。今日もいい天気だこと」
上質な白シャツと青い丈夫なパンツといういでたちの若い美女が、目を細めて気持ちよさそうに背伸びする様はなかなか絵になっている。
たまたま通りがかった若い男が見とれてしまうのも仕方ないことだ。
彼女はそれに気づきながらも無視する。
自分の容姿が男の関心を引き付けることは知っていたし、ただ見とれるだけならば害はないと放置する習慣になっていた。
彼女はゆっくりと海岸に向かう。
そこには釣りを楽しむ人、砂浜で遊ぶ親子連れなどの姿がある。
シドーニエにとってどれだけ見ても見飽きない、非常に好ましい風景だ。
まれにではあるが海難事故はあるし、海から魔物が出現することもある。
彼女が定期的な見回りを欠かさないのは、自分の楽しみだからだけではない。
うれしそうに光景を見ていた彼女は急に真顔になり、その場から姿を消す。
魔術を使って海の沖に移動し、浮遊魔術を使いながら海の上から魔力弾を放つ。
それによって姿を見せたのは茶色がかった赤色の大きな生き物で、丸い球体のような頭部と吸盤がいくつもついた八本の足を持つ「デビルフィッシュ」と呼ばれている。
この魔物は気性が荒く、接近した船を容赦なく沈めにかかるため、非常に恐れられ嫌われていた。
「デビルフィッシュか。私が来ていてよかったわね」
離れたところには沖で漁をしている船が何隻もある。
特に武装もしていないし戦闘の心得がある者が残っているわけでもないから、遭遇していれば全て沈められていただろう。
魔力弾を打たれたデビルフィッシュは怒りの咆哮をあげてシドーニエに二本の手を伸ばす。
一般人には反応できないほど速く、しかも豪快なパワーをともなった一撃だ。
しかし、彼女は左腕ひとつで二本の手を絡めとり、びくともしない。
知能の高くないデビルフィッシュはそのまま獲物を海中に引きずり込もうとするが、相手があまりにも悪すぎた。
シドーニエは愚かな魔物に対して冷笑を浮かべ、ぐいっと左腕を引っ張る。
するとデビルフィッシュの巨体はいとも簡単に海の上に引きずり出されてしまった。
意外すぎる展開に魔物は混乱の極みに達し、硬直してしまっている。
もちろん彼女は魔術で自分の肉体を大いに強化しているのだ。
魔術なしだと彼女ではデビルフィッシュのパワーに敵うはずがない。
「【風切】」
彼女はデビルフィッシュをきれいに解体していく。
この魔物は嫌われ者だが味はよいし、「悪をたいらげる」ことで縁起の良い食べ物だとされている。
近隣の民にふるまうのが望ましい。
解体をし終えて運搬用の魔道具に詰め込むと、シドーニエはため息をついて振り向かずに発言する。
「来ていたなら手伝ってくださってもよかったのではない? バルトロメウス」
「さすがだな。気配は絶っていたはずだけど」
彼女の背後にいつの間にか来て、彼女と同じく海の上に浮かんでいるのは仮面をかぶりローブを纏ったバルだった。
「あなたが来ると空間が波立つのよ。0.2ミリくらい。だから分かるの」
「1ミリ未満に抑えようと努力してきたのだが、まだまだ甘かったか」
1ミリ以下の単位など感覚で分かるはずがない、というのは凡人の言葉に過ぎない。
平凡からかけ離れた領域に棲む超人と超人は穏やかに言葉を交わしている。
「それで? 淑女が働いているのに、黙って見ているという殿方失格なことをなさった理由は教えてくださるのかしら?」
作業を終えたところでシドーニエはようやく振り向いた。
「私は八神輝は仲間だと思っている。男女不問でだ」
バルの回答に彼女は可愛らしく小首をかしげる。
似合ってはいるが、だからこそ余計彼には計算高い仕草に映った。
「ミーナはどうなのです?」
「彼女は仲間だよ」
バルが即答すると、シドーニエはわざとらしくため息をつく。
「少しだけ彼女がかわいそうになりましたわ」
「君が八神輝に仲間意識があるのは意外だね」
彼は嫌味ではなく本心を語ったのだが、彼女には不満だったらしい。
「あら、女同士、仲間意識を感じることはありましてよ。もっとも彼女は私のことを何とも思っていないでしょうけど」
シドーニエは華奢な肩をすくめる。
彼女のこの予想は正しいとバルも思う。
「それで今日はどんなご用なの?」
「八神輝が街の治安維持に熱心なのは珍しいから、ひとつ参考にしようと思ってね」
彼女の問いに彼が答えると呆れたような反応が返ってくる。
「あなたにだけは言われたくなくてよ、バルトロメウス」
「何のことかな」
シドーニエはとぼけるバルに向かって微笑を向けた。
「冒険者や一般人が魔物が転んで助かる回数、偶然の割には多すぎですわ。せめてパターンを増やすべきではない?」
「……そういうものかな」
ワンパターンだと言われてしまった彼はちょっとショックを受ける。
ただ、同時にもっともな指摘だとも感じた。




