38.フリーダム
バルは翌日、約束通りベアーテ皇女のところへミーナを連れて行った。
ミーナの魔術で両名は移動したので案内したのがバル、運んだのが彼女と言うとより適切かもしれない。
ベアーテ皇女がいるのは「緑の離宮」と呼ばれているエリアで、ここに彼女の母たる第三妃と共に侍女たちに傅かれて暮らしている。
彼らは立派な木の門を通って中に入り、上質の白い石できれいに舗装された道の上を歩く。
「あら、バル。いらっしゃい」
今年で十六歳になる皇女はバルがやってきたことに気づくと、ルビーのような瞳を輝かせた。
彼女はちょうど侍女たちに囲まれながら庭でお茶をしていたらしい。
無邪気に手を振って侍女にたしなめられている彼女は、年齢よりも幼く見える。
もっとも皇女だけあって着ているのは上等な生地が使われた可愛らしい青のドレスだ。
「お邪魔します、殿下。こっちは私と同じ八神輝のヴィルへミーナです」
白いおしゃれなテーブルのところまで行き、バルは簡単なあいさつをする。
皇族に対しては無礼に当たるそうな文句だが、これくらいにしておかないとベアーテ皇女は「堅苦しい」と不満をこぼすのだ。
「初めて御意を得ます、ベアーテ殿下。ヴィルへミーナ・エールデ・プリメーアと申します」
何も知らないミーナはかしこまったあいさつをして、彼女の機嫌を損ねてしまう。
ただし、皇女も相手が初対面だということを考慮して、数秒で気を取り直す。
「初めまして。ベアーテよ。フルネームは忘れちゃったわ」
いたずらっぽく笑いながらとんでもない発言をした皇女にミーナは呆れ、侍女たちは「殿下」とたしなめる。
皇族はもちろん高貴な身分の人にとって自分のフルネームを言えないというのは大恥であった。
恥じ入るどころか気にせず笑顔なベアーテは、たしかに皇族の常識が通じない少女である。
(バルトロメウス様と親しい理由が分かった気がします)
とミーナは内心思ったものの、態度には出さなかった。
侍女たちの自己紹介は省略される。
彼らはあくまでも皇女の付属物に過ぎないからだ。
「突然の訪問ですが……」
バルの言葉は途中で皇女にさえぎられてしまう。
「もちろん、大歓迎よ!」
ベアーテは美しい花が満開になったような笑顔で答える。
皇族に事前連絡を入れずに訪問したバルも大概だが、皇女は彼と同じくらいフリーダムだった。
侍女たちは仕方なく対応する。
「今日はバラ茶よ。お口に合えばいいのだけど」
ベアーテはそう説明した。
さまざまな色のバラの花びらを鑑賞して楽しみ、香りを楽しみ、ほのかに甘い味わいを楽しむ。
それがバラ茶なのだと彼女は語る。
「バラにお茶を入れて、それが甘いとは最初驚きましたよ」
「わたくしもよ。何でもお茶に合うバラを開発したそうなの」
バルの言葉にベアーテはにこりとして答えた。
嗜好品の開発に力を注げるのはこの国が豊かで平和な証であろう。
やがて彼女のルビーのような瞳は黙っているミーナに移る。
「どうかしら、ヴィルへミーナ? エルフにバラ茶は抵抗はあって?」
「いいえ。我々でも植物は食べたりお茶にして楽しんだりします。大切なのは生態系や環境を破壊しないことです」
皇女の問いはエルフへの先入観に近いもので、ミーナは言われ慣れていた。
回答にベアーテは安心したように可憐な唇をほころばせる。
「よかったわ。さすがに楽しめないものをお出しするわけにはいかないものね」
ならば淹れる前にまず確認しろよという話なのだが、誰も指摘はしない。
皇族とは基本的にそういう生き物であり、無邪気で天真爛漫なベアーテ皇女ですらこの点は例外ではなかった。
バルに出されたのは青、ミーナに出されたのは赤の花びらである。
「青のほうが甘さ控えめなのよ。バルはいかが?」
「美味しいです。ありがとうございます」
彼が礼を言うと皇女は満足そうに微笑む。
「ヴィルへミーナは?」
「ありがとうございます」
味の感想も求められたと気づきながら、礼だけ述べたミーナもまたフリーダムと言えるかもしれない。
無礼をとがめられてもおかしくない彼女の発言だったが、当のベアーテは吹き出して慌てて口元を隠す。
「素敵な人ね。仲良くなれそうだわ。もっとも、わたくし以外の皇族は分からないけれど」
皇女は自分が少数派だと自覚がある発言をした。
ミーナはバルしか分からないレベルの微笑をもって応える。
(変人ばかりだわ)
とある侍女は思い、頭が痛くなった。




