34.揺り返しと魔界扉
バルが自宅に戻るとちょうどミーナがやってきたため、さっそくたずねてみる。
「自然な転移でガーゴイルが?」
彼女は怪訝そうに形の良い眉を動かす。
博識な彼女をもってしても珍しかったらしい。
「やっぱり珍しいのか?」
彼女に淹れてもらったお茶を飲みながらバルが聞くと、ミーナはゆっくりと回答する。
「そもそも自然な空間の揺らぎ自体、本来は珍しいのですよ」
「そうなのか……? 年に一、二回は聞くからそういうものだと思っていたな」
目を丸くした彼に彼女は説明した。
「おそらく今回のものは国内で転移が何度も使われた、揺り返しでしょう」
「反動みたいなものか」
バルの言葉に彼女はこくりとうなずく。
「高位の使い手であればどれだけ使おうが揺り返しを起こさないのですが、彼らの力量はそこまでではないということです」
「……言われてみれば私以外の八神輝は気軽に転移魔術を使っているのに、揺り返しらしきものが発生したことはないな」
実力次第では起こらないと言われて、彼はようやく納得する。
「つまり敵の転移魔術の使い手は、我々よりも遥かに実力が下なのか。朗報になるのかな」
彼は首をひねった。
敵が八神輝よりもずっと弱いというのは帝国にとって朗報だろう。
しかし、転移魔術の使い手がそうだというだけで、他のことが分かっていないのに変わりない。
それなのに喜んでもよいのだろうか。
「手がかりがほとんどない状況で、ひとつの情報が得られたのはよきことかと存じます」
彼女は笑顔を浮かべてはげますように言った。
「そうだな。そう思うことにしよう」
バルは彼女の心遣いに感謝し、自分の役目に徹する。
つまり彼女からいろいろと話を聞くということだ。
「遭遇したガーゴイルは戦闘経験の少ない弱い個体だったらしいんだが」
「でしたら空間の揺らぎに対応できなかったのはおかしくありません。ガーゴイルは知能も高くないですし、突発的な揺らぎに即応できる俊敏さもありません」
ミーナの回答を彼は記憶しておき、冒険者ギルドに報告しておこうと思う。
「……何か危険な予兆だったわけじゃなかったか」
彼はぽつりとつぶやく。
新たなる事件の始まりかと内心警戒していたのだが、どうやら違っていたようだ。
安堵した彼にミーナが遠慮がちに忠告する。
「そうとは限りません。揺り返しはおそらく各地で何回かあるでしょう。揺り返しで現れるの弱い個体の可能性が高いですが、それでも被害が出ない保証はできません」
彼女は彼に対して忠実だからこそ可能性を指摘したのだ。
彼が多少の被害を気にしない男であれば、黙っていただろう。
「そうだな……遭遇したのが四級冒険者パーティーだったから、ガーゴイルも倒せたようなものだ。六級以下だったら全滅していたかもな。ギルドと騎士団には忠告しておこう」
揺り返しが帝都内で発生する可能性を考慮してのことだ。
帝国の騎士団であればガーゴイル一体くらい、普通に返り討ちにできるはずだが、都内には一般市民が多くいる。
騎士団に警戒してもらったほうが安心だ。
「揺り返しか」
バルは改めてつぶやく。
もう少し早く知りたかったが、情報が少ない現状でミーナに的確なことを適切なタイミングで言えというほうが無茶だろう。
それを承知しているからこそ、彼はわざわざギルド総長に会いに行ったのだ。
「転移魔術の反動がそれとして、闇の召喚術の反動は? 何もないのか?」
「……召喚術次第によります」
ミーナは表情をややけわしくして答える。
「ただ魔物を呼び集めるものでしたら、危険な反動はほぼありません。しかし、魔界の民を召喚するものを多用しすぎると、魔界とこの世界のつながりが強化されてしまい、魔界扉が発生するリスクが高くなります」
「魔界扉だと?」
バルは目をみはった。
基本的にのほほんとしている彼にしては珍しく声に緊張がある。
「開いたら魔界の悪鬼どもが大量に流入してくるっていうのは、おとぎ話じゃなくて実話というわけか?」
「はい。私の祖先はかつて開いた魔界扉を封じた英雄と言われておりますが、おとぎ話じゃない、事実だと語り継いでいけというのが祖先の遺言だったそうです」
バルの表情はとても厳しくなっていた。
「敵の目的がそれだという可能性は?」
彼の鋭い問いに、今度はミーナが目を大きく見開く番だった。
「現状ではありえないと言えます。敵のレベルが低すぎます。……真の目的をこちらに悟られないため、あえてそうしている可能性はゼロではないかもしれませんが」
「……私も考えすぎな気はする。皇帝陛下の癖が移ったかもしれん。ただ、思いついた以上は最悪の可能性として想定しておきたい」
バルには彼女が驚いた理由がとてもよく分かる。
しかし、可能性が少しでもある以上、無視できないのが彼の立場だ。
「御意。私も同胞たちに伝達しておきましょう」
「エルフたちの協力が得られるなら、心強いな」
帝国は最強国家であり、バルは最強の個人である。
だが、もし最強の種族はと聞かれた場合、エルフなのではないかと彼は思う。
そのエルフたちの協力は是非ともほしかった。
「バル様がそうおっしゃったと知れば、同胞たちも名誉だと喜ぶでしょう」
ミーナはにこりとして応じる。




