32.帝国冒険者ギルド総長イェレミニアス
帝国内の冒険者ギルドを統括する最高責任者、ギルド総長イェレミニアスは変わった経歴を持つ四十八歳の虎人族の男だ。
十五歳で同じ村の友達と同様徴兵され、そこで騎士に正式採用され、二十二歳にして帝国が誇る騎士団の副長、ナンバーツーに上り詰める。
その後、当代皇帝主導でおこなわれた冒険者ギルドの創設に関与し、二代目のギルド総長となった。
「轟雷の暴虎」という名前は帝国内で勇名の一つに数えられ、国外では将軍、魔術長官に匹敵するほどの存在とみなされている。
しかし、そのイェレミニアス本人はギルド総長となったことを後悔していた。
「責任者になるものじゃないな。毎日書類仕事か。つまらん」
そばに控える虎人の女性秘書がたずねる。
「なぜ予想できなかったのです? 総長は以前ツヴァイロートの副長だったのですよね?」
ツヴァイロートとは帝国が誇る騎士団の名前だ。
帝国において騎士団の副長となれるのはひと握りのエリートであり、イェレミニアスの能力を示している。
「騎士団は幹部クラスになれば書類仕事があるが、そっちが得意な副官をつけてもらえたんだ。それにこれほど書類仕事ばかりでもなかったぞ」
彼はそう説明して嘆く。
実は彼の性格と戦闘力を考慮した当時の騎士団総長が、書類仕事に忙殺されないように裏で手を回していたのである。
馬鹿ではないが深く考えることが不得手な彼は、そのことに思い当たらなかった。
女性秘書のほうは気づいたのだが、だからと言って事態は何も変わらない。
「魔物の増加や転移を使った襲撃もそうだ。俺が出ていけば話が早いのに……八神輝に世話になりっぱなしということも避けられるのに」
イェレミニアスはオーガやガーゴイルの大群ごときに遅れをとらないという自信がある。
それは事実だろうと秘書も認めるところだが、残念ながらギルド総長が長時間職務から遠ざかればそれだけで不具合が生じてしまう、まだまだ脆弱な組織であった。
「領主どもも自分の領土の防衛はまじめにやっているのか。各地の被害を抑えられたのは、何も八神輝が無双しているからだけでもなさそうだな」
冒険者ギルドの各支部からの情報を素早く読んで確認し、イェレミニアスは少し安心する。
八神輝は帝国が誇る最大戦力であり、もしかすると世界最強集団かもしれないが、あまりこき使いすぎてはいけないと思う。
帝国騎士団も強いが、精鋭ぞろいであるだけに各騎士団の数はそこまで多くない。
「それほど不満でしたら、誰か代役をご自分で用意なさってはいかがです? 代役さえ用意できるのであれば、反対はされないと思いますよ?」
と秘書はすすめた。
強大な戦力であるイェレミニアスを書類仕事に縛り付けておくのは果たして正しい人事なのか、とは帝国の上層部も疑問に持っている。
だから穴をきちんと埋められる人員さえ見つかれば、強い反対は出ないだろうという彼女の予想は間違っていない。
ただ、代役がいないという問題がある。
「しかし、そんな奴いるか? 冒険者どもを時には腕力でまとめあげ、ワガママ言い放題の貴族どもをひとにらみで黙らせられる奴が。いたらぜひ紹介してほしいぞ」
イェレミニアスの言葉には真情がこもっていた。
「……それらに合わせて事務処理能力もあるとなれば、八神輝のヴィルヘミーナ様くらいしか思いつきません」
「無理だ!」
秘書の提案を彼は水色の目を剥きながら却下する。
「あいつなら癖の強い奴らも、ワガママ貴族も黙らせられるし、仕事もできるだろう。しかし、論外だ!」
「なぜですか?」
彼の反応に対して秘書は実に怪訝そうな顔をした。
(そうか、こいつは知らんのか)
とイェレミニアスは気づく。
ヴィルヘミーナは帝国や皇族に忠誠心を持っているのか怪しい節すらあると。
彼女が敬意や忠誠心を抱いているのはもっぱらバルトロメウスに対してである。
せめて隠す努力をしてくれればいいのだが、信用できるわけがない。
彼女が八神輝の一員として認められているのは、皇帝とバルトロメウスに対する信頼がゆるぎないものだからだ。
イェレミニアスは粗暴な外見や大雑把な性格に反して、故国と皇帝への忠誠心はとても高い。
皇族を軽んじているような態度の女性エルフに対しては、敵意はないにせよ好意を持てるはずもなかった。
(しかし、どう説明すればいいのか)
彼は秘書の疑問を解くために発する言葉選びに迷う。
ヴィルヘミーナはその美しさと圧倒的な強さで、帝国内の女性には絶大な人気がある。
男たちの人気も馬鹿にならない。
類まれな美貌と冷たいまなざしがたまらないという者は多かった。
国民人気ランキングをもしも実行すれば一位の座を当代皇帝とバルトロメウスが争い、その次に来るのがヴィルヘミーナではないかと彼は思う。
ヴィルヘミーナに関してうかつなことを言えば自分の好感度は一気に暴落する。
イェレミニアスはそう確信していた。
「八神輝が書類仕事に追われるなど、俺以上の損失ではないか」
「言われてみればそうですね」
彼の苦しまぎれの言葉は、意外とあっさりと受け入れられてしまう。
悔しい気持ちがないわけではないが、それ以上に八神輝に対する畏敬の念が強い。
彼は八神輝全員に手合わせを願い、全員に完敗した過去がある。
世の中上には上がいるものだと驚き、納得したものだ。
「手、止まっていますよ」
「くっ」
秘書に指摘され、イェレミニアスは再び手を動かし出す。
そこへ取次係の若い人間族の女性がやってくる。
「そ、総長。お客様です。ひ、光の戦神様がいらっしゃいました」
「おお、通してくれ」
緊張でガチガチになっている彼女とは違い、イェレミニアスはリラックスした表情で答えた。
「は、はい」
彼がちらりと視線を動かすと、秘書の女性もかすかに緊張している。
「そんなに緊張するものか?」
「だ、だって、ひ、光の戦神様ですから」
彼女の声は震えていた。
これ以上話しかけるのは酷な気がしたが、イェレミニアスとしては彼女に頼むしかない。
「それは分かったが、お茶をふたり分用意してくれないか」
「は、はい。ただいま」
バタバタと普段の秘書らしくない動きをしながら、彼女はお茶を淹れに行く。
(まあやむを得ないか)
光の戦神バルトロメウスは八神輝最強と言われていて、その強さと謎の大きさから当代皇帝に匹敵する人気を誇る。
若い女性たちにはさまざまな感情があることだろう。
(しかし用件はなんだ?)
彼が来るのは唐突なのは割といつものことなのだが、今回の訪問理由については分からない。
心当たりが多すぎて絞れないと言うと正確になる。
「失礼する」
とそこへ茶色のフード付きローブに白い仮面をかぶった男がドアを開けた。
魔術によって高くて無機質な声になっているが、中身が男だとイェレミニアスは知っている。
「ようこそ」
彼は立ち上がってドアまで行き、飾り気のない言葉で光の戦神を迎え入れた。
 




