28.ひとつの財産
バルはミーナに転移魔術で自宅まで送ってもらい、その後二等エリアの冒険者ギルドに向かう。
さえないただのおっさんに過ぎないと思われている彼が、何日も冒険者ギルドに顔を出さないのはそれでそれで不思議がられる。
自分で望んだ道ではあるものの、ごくまれに億劫に感じることもあるバルであった。
それを表に出さないように注意を払いつつ、大きいが質素な石造りのギルドの木のドアを開けると、ターニャの声が響く。
「本当にすごかったんだから、ヴィルヘミーナ様は!」
彼女に話しかけられているのはロイである。
明らかに辟易としていたが、彼女の話をきちんと聞くのは彼氏の甲斐性のうちだろう。
バルはそう考えて助け舟を出すことなく隣の受付にいる、若い兎人女性に話しかける。
「何かいい仕事ありませんか?」
「バルさんにお任せできそうな仕事、あいにくと今はないですねえ」
彼に聞かれた女性は困って頬に手を当てて答えた。
このような回答が来るのはちょくちょくあるため、バルは残念そうにしながら理由を聞いてみる。
「何かあったのでしょうか?」
「ええ。あそこのターニャさんがトロールの群れに遭遇してしまったのですが、運よくあの断罪の女神様に助けていただいたとか」
もちろんバルは知っているが、初めて知ったと大げさに驚いて見せた。
「へえ、そんなことが!」
「もしも断罪の女神ヴィルヘミーナ様が偶然通りがからなかったら、ターニャさんのパーティーを失っていたわけで、冒険者ギルドとしては事態を重く見ているのです」
兎人の受付嬢は「このおじさんじゃ何も知らないのは当然よね」という顔で親切に教えてくれる。
六級冒険者は決して高い地位ではないが、ターニャたちは若い女性のみで構成されていて、将来上級冒険者になることも期待できるパーティーだ。
ギルド側が事態を重く見たのはバルに理解できる。
「それでターニャがああなっているわけなのか」
「ええ、まあ」
彼の言葉に兎人の女性は微笑ましそうな表情になり、ちらりと赤い目を隣に向けた。
ターニャは何度目か分からないヴィルヘミーナの雄姿を語っていて、さすがのロイも聞き飽き始めている。
実際に彼女たちを助けたのはバルなのだが、彼女の様子を見て「ミーナに任せてよかった」と心から思う。
ミーナは知らないところで自分の武勲が増えても気にするような性格ではないというのもあった。
「しかし、話を聞いた限りだとターニャさんたちを助けたのは、バルトロメウス様のような気もするんですよね。ヴィルヘミーナ様なら、“いつ私がお前たちに手の内を明かした?”と冷たくおっしゃりそうですけど」
受付嬢のモノマネはなかなか似ていたし、バルは「あいつなら言いそうだ」と賛成する。
ただしただのおっさんの彼がヴィルヘミーナのことを知っているはずがない。
「へえ、そうなんだ」
いつものように感心してみせると、兎人の女性は「言う相手を間違えた」という表情を一瞬した後、普段の事務的な顔になる。
「そういうわけで冒険者ギルドは今、国と連携して安全調査をおこなっております。当分帝都の外に出る仕事は紹介できないとお考えください」
「仕方ないなあ……まだ死にたくはないし」
バルは残念そうに後頭部をぽりぽりとかく。
四級以上の冒険者であれば安全調査の仕事を割り振られるのだが、受付嬢はそれを言わなかった。
彼を傷つけてしまうだけだという良心的な判断からである。
「申し訳ないのですが、十日ほどは無理だというつもりでいてくださいね」
「十日もか……どうしようか」
「十日で足りるのか」と八神輝のバルは思うが、さえないおっさんのバルは「十日はつらすぎる」という顔をしなければならない。
「バルさんでしたら、雑用をお願いしてもいいかと思いますが」
不安そうな顔をした彼に受付嬢は気を利かせてくれる。
「え? 本当かい? 助かるなあ」
ギルドの雑用は賃金が安いが、昼食と夕食がつく。
お金のない若手の救済措置のようなもので、三十過ぎたおっさんが受ける仕事ではない。
馬鹿にされることをいとわずバルは素直に感謝して働くため、兎人の受付嬢のように気を利かせてくれる者がいる。
(これはこれでひとつの財産だな)
と彼は受付嬢に感謝の言葉を述べた。
「お礼ならギルドの総長にでもどうぞ。制度を考えたのはあの方ですから」
兎人の受付嬢は照れたようにそっぽを向きながら言う。
その姿はとても可愛らしかったが、指摘したり褒めたりするのはさえないおっさんのバルの性格ではない。
「そろそろ許してくれ、ターニャ」
ロイの情けない懇願を聞きながら彼はギルドを後にする。




